あなたは「人生」というものを考えてみたことはありますか?
ども、すずです。今日は父の話に絡めて、マインドセットとコラムです。ビジネスの話はしません。
読みたい人だけ読んでください。
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父の意識がなくなってから、時間さえあればほぼ毎日面会に来ている。たった1時間足らずだが、病院にいるとたくさんの人の「人生」を感じる。
人生で初めて救命救急センターに運ばれる人、手術に挑む人、何度も入退院を繰り返している人、ずっと療養していて、全身管だらけで病床に寝たきりの人、亡くなってしまってストレッチャーで運ばれる人、そしてその人たちの家族。
彼らと込み入った話をするどころか、直接会話をすることもないが、父の面会に病院へ行っていろんな人をぱっと見かけるたび、たった一瞬すれ違うだけでも、その人たちの人生を垣間見る。
たとえば、たったいま私の目の前をストレッチャーで運ばれていったのは、中年の男性と若い男性というご家族の姿から察するに奥さんかな。きっと紙パンツの袋を持っている若い男性はその息子さんなのかな。
先日、白髪混じりのご夫婦が、白い布で包まれたストレッチャーの後ろを歩いていたが、その布の大きさから察するに、それはきっとおばあさまなのかな。
とか。
病院にいるといくら他人の人生とはいえ他人事ではないように感じられる。
いつか私も彼らのように自分の両親を見送るときがくるのだ。それがいつかはわからない。まったく喜ばしいことではないが、足もやせ細りほぼ骨と皮だけになってしまった父を見ると、きっとそう遠くない未来に、私も彼を見送るときがやってきそうだ。
いくら覚悟ができていようとも、もしもいざそれが現実となって私の目の前にやってきたとき、私は後悔だらけになるだろう。いや、すでに父と意思疎通がはかれない現時点で後悔はあるが。
だからこそ、「『今』できることは『今』しなければ」と、つくづく思わされる。
人の命は永遠ではないからこそ、こういった貴重な経験からの学びは、自分の息子にもしっかり教えていかないといけないなと思う。
生きていて当たり前、会えて当たり前、話せて当たり前、考えることが出来て当たり前…なんてことは、人間にはないのだ。
時間をつくってでも自分のやりたいことは「今」やるべきだ。
年明けに、高校時代の親友と約5年ぶりに再開して、何ら変わりない、楽しい時間をともにした。こういうのも、「会える機会」を自分からつくりにいかないと実現しない。
これは「会いたい」というものにだけ言えることではなく、こんな仕事をして生きていきたい、こんなことを趣味にしたい、あんな部屋にしたい、こんな生活をしたい…といった、
「あれをしたい、これをしたい」という「理想」は、やっぱり自分から手に入れに行くための行動をしなきゃいけない。
そのために人は時間をつくるし、考えるし、行動する。
だから結果として「望んでいたもの」が得られる。手に入る。
結局、人生ってそういうもんだと思う。
思考は言葉となり、言葉は行動となる。
「明日でいいや」「いつかできる」とばかり心のなかで言い続けて、それができた日があっただろうか?
たしかに、少しは前に進んでいるかもしれないが、本来自分が思った位置とは違う場所に、今いるのではないだろうか。
それを続けていては、一生目標とする場所へはたどり着けないし、人生を謳歌することなんてままならない。
むしろ、「あのときこうしておけばよかった」と、後悔ばかりが残るだろう。
身体が元気に言うことを聞いてくれるうちに、やりたいと思ったこと、やるべきだと思ったことはすぐやる。
結局、すぐやる人が未来を手に入れられるのだ。
自分の心に正直に、他人の目を気にすることなく、人生を生きていける人こそ、本当の意味で「充実した人生」を送れるのだと思う。
まとまらんのでこのへんで終わる!
ただの日記というか吐き出しですみませんが、ここまで読んでくれた方、ありがとうございました😌
絶賛企画ネリネリ中です。がんばります。
ではまた!
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