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やりたいこともなく、何のために生きたら良いのでしょうか?

やる気がないように見えて、

実は、ものすごく強くて大きな

「生きるためのエネルギー」を内包していると、
私は思うんです。


オンラインカウンセリング・ココロノマルシェに寄せられたお悩みに、
お答えします。

【就活と生きる目的】

るりさん

私は現在就職活動をしている大学3年生です。
自己分析をすればするほど自分がどんな人間かわかりません。
自己分析の時に使用される質問って場合によりませんか?
例えば、大人数で物事に取り組むのも嫌いではないし、1人でも出来ます。
どちらにせよ仕事を完了させるのに問題はありません。
昔からの方法で行うか、新しい方法を取り入れるかも、効率の良い方を選択します。
どちらに対しても好き嫌いありませんし、向き不向きもありません。
また、生きる目的が見いだせず、志望意欲が湧きません。
数社分の志望動機を書き、面接を受けましたが、逆質問で聞きたいことがありません。
別にやりたいこともないです。
生き続ける目的も特にありません(今この瞬間死んでも悔いはありません)が、死ぬ理由もないので、生きるために仕事を得なければなりません。
5年後どうなってたいか?やキャリアプランについての質問がとても困ります。
やってみないと分からないのに何をいえと言うんでしょうか。
説得力がないってわかってますが、私はどこに行っても上手く出来ると思います。
ここでいう上手く、というのは言われたことだけやるとかではなく、やるべきこと、やった方がいいこと、やったらもっと良くなるだろうことを考えて行動します。
キャリアアップや昇給にあまり興味がありません。若手から責任ある仕事を任せる、って人手不足だからなのでは?と思ってしまいます。
長くなってしまいましたが、社会人はみんな将来像が明確でやりたいことがあるものなのでしょうか?
それともみんな嘘をついているのでしょうか?
また、なんのために生きたら良いのでしょうか?

るりさん、はじめまして。

共感力も寄り添い力も、ほぼ無い、
心理カウンセラーのスズキチサからお返事させてください。

るりさんの文章から、私が感じ取ったのは「ものすごい、怒ってますよね?」だったんです。

なんていうか、世の中の仕組みや生きることそのものに対して、

「知るか、ボケ!生きなきゃいけないから、ただ生きとんじゃ!!やれって言われたことは結構上手くやってやるから、仕事させろや!!!」
的な、

めちゃくちゃ反抗期なのかな?と感じたんです。

どうでしょうか?

「やりたいことなんてないし、生きる意味なんて分からない」

という人は、20代だろうが60代だろうが、どの世代にもいると思います。

私の肌間では70歳前後くらいになると、
そろそろ、この地球上での魂と肉体の終わりを意識するので

「何しに生まれてきたかよく分からんかったけど、まあ楽しければいっか。」

の境地に達している人が多いような気もしますが。

それでも、なんか知らんけど、この世の中にずーっと怒ってるおじいちゃんとかおばあちゃんも、いますよね。


「生きるために仕事を得なければならない」とありますが、

ちゃんとした就職をしなくても、アルバイトとか、メルカリとか、そういう形で「生きるためだけの最低収入額」を得ることはできると思うし、

何なら「生きるため」のいろんな援助や支援的なものも、この日本という国では、

与えてもらえるようになっているので(その辺は詳しい人に聞いたり、ご自分でも調べてみればすぐに見つかると思います)、

必ずしも「きちんとした会社に勤めて仕事を得ないと生きられない」ということではないですよ。

実際に、私もほぼ「会社」という安心安全な組織的なものに属すことなく、
今まで生きてきています(元気にここまで生きてきて、今、45歳です。)

なので、「ただ生きるために働く」くらいなら、
働かずに生きられる方法を
一生懸命に探してみるのも良いのではないでしょうか?
と、思ったのです。

そんなに怒りながら「雇ってもらおう」としても、
雇う側だって人間だから、何かしら不穏な空気って察知するだろうし、

雇ってもらうことは、なかなか険しい道のりのように感じるし、

例え雇われたとしてもその「怒り」を感じながら働くことは

るりさんにとって心地の良い環境になることはなく、
割と苦痛を伴う毎日になっていくんじゃないのかな、
と思うのです。

だったら「どうしたら仕事をせずに生きていけるか」ということを、真剣に考えてみてもいいのではないでしょうか?

「生きるためには何かをしないといけない」という観念から

「やりたくないし、気も進まないのに、仕方なくやる」
ということを、

この世の中の、かなりの数の人がやっているように感じます。

何なら「やりたくないことをやる」ことに、人生のほとんどの時間を費やしているんじゃないのかな、と思うんです。

「生きるために、仕方なく」という理由で。


もし、私が感じたように、るりさんの中に、

この世の中や、

「こうじゃないといけない」と、決めつけられたように感じる人生のあり方に怒りがあると感じているなら、

(もしくは、ここまで読んでご自分の中に「怒り」があることに気づけたとしたなら)

実はその「怒り」って、ものすごく強い「生命エネルギー」なんです。

やりたいことはない
生きる意味もわからない、
今日、死でも後悔はないけど、生きなきゃいけないから生きる、と、

まるで死んだように生きているかのように見える、るりさんですが、

実は、ものすごく強くて大きな「生きるためのエネルギー」を内包していると、私は思うんです。

その強大なエネルギーを持って

「やりたくないことはやらない」という選択をして、

「自分の好きなように、自由に生きる」という、リーダーシップを見せていくことができるんじゃないでしょうか?

るりさんがそうであるように、
この世の中や人生を諦めずに、そのシステムについて「怒り」を感じられるような人は

「仕方なく、死んだように生きる」ことを選んできてしまった人たちに、
勇気を与えられる人
なんだと、私は思います。

今、るりさんは、
やりたいこともないのに、
生きたいとも思っていないのに、

この世の中に生かされていることで、

世間や(もしかしたらこの世にるりさんを誕生させた、お父さんお母さんや)

社会の仕組みのせいにして「怒りまくっている」状態なんじゃないかな、と思うんです。

そして、「やりたいこと」も見つけられず、
ただこの世に生まれてきた「自分自身」にも、めちゃくちゃ焦っているし、怒っているんじゃないでしょうか?

だって、このままの状態であと何十年生きるんだろうと、途方に暮れませんか?


けれど、るりさんは何とかそうでない人生を生きるために
ここにご相談くださったんだと思うんですね。


それって、るりさんが「自分を変えて、楽しく生きたい!」という、心の奥深くから出てきた望みなんじゃないのかな、と思うんです。

もしかしたら、るりさんは知らず知らずのうちに
「やりたくないことを、やる」ことを自分に納得させながら生きてきたんじゃないのかな、と思うのです。

やりたいことが見つかる前に
やりたくないことを選んでやってきていたとしたら、

「やりたい!」と感じることを知らずに
その方向にセンサーが動かなくなるのは、当然なのです。

だから「やってもいないのに、何ができるか分からない」状態になるんです。

「やりたい!」と感じたこともないのに、やりたいことなんて、見つかりません。当然です。


やりたいことがないのなら、無理に見つけたり探そうとする必要なんてないと私は思います。

その代わり

やりたくないことを、やらない

ということを選んでみてください。

とても勇気がいることです。

けれど、やりたくないことを、極力やらないことで、
心に「感じる」ことの、余白が生まれてきます。

「仕方なくやること」に使っていたエネルギーの無駄遣いがなくなり、
「自分のために動く」ために使うエネルギーが溜まっていきます。

そうすると、「やりたい!」や「ワクワク」を感じることが生まれて、

そのことに向けて「動き出す」エネルギーも、るりさんの中に溜まっていくと思います。

そうは言っても「生きるための仕事」を探すことを手放すことが怖いということであれば、

そこはやりつつ、

それ以外の「気が向かないこと」や「やりたくないこと」を減らして行ってみてください。

それから、るりさんの中にある「怒り」の大元も何なのか、
向き合ってみられることも、お勧めします。

その下に、きっと、るりさんの生きる理由が隠れているように思います。

一人ではどう進めていいか分からないということであれば、
カウンセリングもお勧めです。

共感力と寄り添い力があるカウンセラーさんが、
根本裕幸師匠のお弟子たちの中にはたくさんいます。

もし、気が向いたら、私のカウンセリングもご利用ください。

何かのお役に立てれば幸いです( ´∀`)


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こんにちは、『自由に、自分らしく、人生楽勝!と言える自分になる!』
セクシュアリティ専門・心理カウンセラーのスズキチサです。

やりたいことを見つける前に
やりたくないことをやめてみよう!

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