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インターネットで降る雨は私たちを濡らさない

現代では私たちは声よりも先に文字でやり取りをする。

おはようとかおやすみとか言っている間に

文字のやり取りだけで終わることも少なく無い。


私は世間でいうZ世代であるのに、

文字は文章には良いが、会話には向かないと思っている。


ラインの返事に関してもこの文面は冷たすぎるとか

既読無視だとか、

絵文字で終わらせようとしているとか何とか、

私たちは必要以上に文字に踊らされていると思う。

その予感が合っているかどうかなんて

文字のやり取りでわかるはずがないし、

答えたことが真意かどうかも分からない


だから基本的に私はSNS上の文字をあまり信用していない。

正しくは、信じすぎないようにしている。


最近友達が恋をして、

好きな人とのやり取りを全て送ってきては

どう返事をしたら良いかと頼ってくれるが、

それではその人はその友達と話しているのではなく

私と話していることになる。

100パーセント、

その人が打ったかどうかも分からないんだ。

なるべくこんなもの当てにしすぎないでいたい。


同様に現代で問題の、ネット上の誹謗中傷もそう。

本当ならこんなもの胸に届かない人間でいたいのに、

それに殺されてしまう人もいる。


そういえば私が中学生の頃、

親友とひたすらメールで喧嘩をしていて、それは

言い合うよりも攻撃的で、

殴っていないのにも関わらず、私に痣をつけた。


散々気にしないでいたいと言ったが

文字の威力は侮れなかった記憶がある。


とても怖いものだった。

次に届くメールをひどく恐れた。



中傷は意見ではないし、聞き流したいところだけど

この文字の衝撃波は見た人の脳に確実に届く。



問題なのは、届くということを感じられないことだ。


傷ついていることも、悲しんでいることも、

目で見ていないから伝わらない。


殴る蹴るだとその人がボロボロになるのは気づけるが、

文字は度合いも測れないから永遠に傷つけられる。


一度叩かれた犬は、手を上げるだけで

また叩かれると怯えてしまうように

一度文字で傷ついた人間は、文字をとても恐れる。


しかしなかなかインターネットとは乖離できない現代で、

向き合う手段は耐性をつけるか、

処理能力をつけるかしかないように思う。


そんなものはできる人できない人いて当たり前で、

私は誹謗中傷の問題をあまり軽んじれないと思っている。


中傷は意見ではなく、攻撃ですから。


このインターネットという広い海に降る雨は、

どれだけ降ろうとも私たちを濡らさない。


濡れないから、分からない。いつまでも。


そんなインターネットの問題を、

今一度、考えてみようと思った。






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