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ショートショート「秋も深まりそろそろコタツ」

「ただいまー」

脱いだ靴を揃えて自分の部屋へ向かおうとすると家の中が妙な緊張感に包まれていることに気づいた。僕は怪訝に思いながらリビングを覗き込んだ。

「んー」

そこには何やら唸っている母の背中があった。目線の先には押し入れがある。僕はハッとした。一瞬にして冷たい汗が流れる。刹那、母の手が押し入れに伸ばされていく。

「母さん」

僕は咄嗟に叫んだ。すると母は「あら帰ってたの」と振り向く。

「母さん、今コタツ出そうとしたでしょ」

「だって今日寒いじゃない」

「だめだ。コタツは人を駄目にする。我が家のルールを忘れたのか」

僕はテーブルに置いてあった置き型カレンダーを手に取り、暦の一部分を指差した。そこには「12月1日」の文字がある。そう、我が家は12月になってからではないとコタツを出してはいけないというルールがあるのだ。そのルールは、コタツに入ってしまうと出られなくなる僕と姉を見かねて母が決めたものだ。

「でも12月まであと少しじゃない。今年は冬が早いってことで特別にオーケーにするわ」

母は自分を納得させるように何度か頷くと、とうとう押し入れに手を伸ばした。次の瞬間、僕は「やめろー」と駆け出した。だが、母の手は僕の手が届くよりもコンマ一秒早かった。禁断の扉が音を立てて開かれる。

露わになったコタツを見て、「あんたも運ぶの手伝って」と母が言ってくる。僕はそんな母にもう一度考え直すように説得した。

「もう出すことに決めたの。あんまりしつこいと夕飯抜きにするわよ」

「ぐぬぬ……」

僕は観念した。それから半ばやけくそ気味に、おとなしくコタツを出すのを手伝った。僕がコタツを出すのを渋っていたのは、なにも我が家のルールを守りたかったからではない。真の理由は、押し入れの奥に絶対に母に見られたくないものをしまっていたからなのだ。

迂闊だった。コタツルールを信頼しきっていた。12月まであと数日の猶予があると過信し、回収をせずにいた己の軽率な判断が仇となった。

後悔している間にも、二人の手によってコタツは押し入れから着実に引っ張り出されていく。後少し、後もう少し、ああもう見えてしまう。

うんとこしょ、どっこいしょ、とうとうコタツは完全に引っ張り出された。すると、母は押し入れの中を見て、「ん?」と声を出しながら、ある物に手を伸ばした。僕は深くため息を吐きながら、言い訳を考えることに切り替えた。

「母さん、違うんだ。それは……」

だが、母が手に持ったものを見て、僕は開いていた口を閉じた。

「なくしたと思っていた靴下、ここにあったのね」

「はて?」

目の前には、古びた靴下に目を輝かせた母の姿があった。僕は一体何が起こっているのかと押し入れを覗き込んだ。

「おかしい、ない。ないぞ。いや、これはよかったのか……」

押し入れに隠していたはずのものがどこを探してもないのだ。しかし、そのおかげで助かったのも事実である。

「よかったー」

「よかったって何がよ」

「何でもない」

僕はホッと安堵した。安心したら何だかお腹が空いてきた。冷蔵庫の方に向かい、楽しみに取っておいたプリンを食べることにした。

「さあプリン、待たせ、た、ね……」

僕は再び目を見張った。おかしい、今度はプリンがどこを探してもないのである。僕は少し考えた後、プリンの犯人に思い当たった。

早速、階段を駆け上がり、姉の部屋へ向かった。扉を叩いて、「姉ちゃん」と呼びかける。

ゆっくりと扉が開かれると、姉が出てきた。

「姉ちゃん、僕のプリン勝手に食べただろ」

姉の勉強机の上には、空のプリンの容器が置いてあった。もはや言い訳できる状況ではない。それなのに姉は次の瞬間、驚きの行動に出た。

「プリン? 食べてないけど」

「この期に及んで嘘をつ……」

と、姉の手に持たれているものを見て、僕は瞬く間に戦意喪失した。

「ごめん。僕の勘違いだったようだ」

僕はそう言って姉から例の物を受け取った。それは本来、押し入れの奥にしまわれていたはずのものだった。僕はのそのそと自分の部屋へと踵を返す。背中越しに「隠し場所もっと工夫しなー」という声が聞こえた。

僕は手に抱えた「ムフフな本」を今度こそはと自分の部屋の本棚の裏に隠した。最近、こんな調子で僕はろくにプリンを食べることができていない。

「はぁ、もうそろそろ冬か……」

しばらくすると僕は階段を降りて、リビングへと向かった。こんな日は何だかコタツの布団に顔をうずめたい気分だった。

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