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別の踏切事故の遺族の元へ。そこでまたもや浮かび上がる「トパーズ」というキーワード。或いは、『フワつく身体』第十九回。

※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第十九回です。(できるだけ毎日更新の予定)

初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

前回分はこちら:環は加奈たちの援助交際の噂の出所だった恵の元へ。別のグループから見たあの頃と二人。或いは、『フワつく身体』第十八回。

『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?

八割方無料で公開いたしますが、最終章のみ有料とし、全部読み終わると、通販で実物を買ったのと同じ1500円になる予定です。

本文:ここから

■二〇一七年(平成二十九年)十月二十五日

 環は職務の合間を塗って、また踏切事故の遺族に会いに行くことにした。二〇一〇年の七月に神泉の踏切で死んだ、ミュージシャンの早瀬健の元だった。

 早瀬には妻がいたが、彼女は既に再婚しており、話には応じてくれなかった。

 事故当時、早瀬のマンションは中目黒にあったが、事故後引き払われ、遺品は川越の実家に送ってあると言う。

 夜勤が開けると環は、渋谷から東武東上線直通の副都心線で川越に向かった。副都心線は渋谷から神奈川方面は東武東横線になるので、服部の家のあった田園調布とは、同じ線の逆方向になる。

 川越駅からは、川越線に乗ってふた駅先の鄙びた駅に降り立った。
 今日も雨が降っている。今年の秋は本当に雨が多い。台風が去って台風一過の青空が見えたのは半日ほどで、昨日からまた曇り空が続いている。

 雨の古びた住宅地からは、微かな埃の臭いがする。

 赤いトタン屋根の家の呼び鈴を押して、現れたのは、早瀬の兄という人物だった。玄関の表札から、勝という名前だと言うことが分かった。七年前に早瀬が死んだ時は四十五歳。その兄ということなので、六十手前と言ったところか。

 くせ毛の白髪頭の男だった。

 環が警察手帳を見せると、

「警視庁の、しかも鉄道警察の方がなんの用で?」

 と訝しんだが、

「七年前の弟さんの鉄道自殺について、改めてお聞きしたいことがあります」

 と言うと、中に招き入れてくれた。

 やや雑然とはしていたが、散らかってはいない。

 ただ、寝たきりの人間がいる家特有の、ムッした臭いが立ちこめていた。特に今日は雨なので、その臭いがはっきりと鼻につく。

「母は三年前に死にまして、八十八になる父を、私が早期退職して介護しています」

「そうなんですか」

「代わりに妻がパートに出ています。脳梗塞をやってから半身動かなくなっても、元体育教師だった父の力は強くてね。女性ではどうにもならないものですから」

 早瀬勝はそう言いながら、居間に湿気た座布団を敷いた。

「ありがとうございます」

 そう言って環が座布団の上に座った。

「弟が死んで、六、いや七年でしたっけ? 今さらお訪ねになられるってことは、弟の死が自殺ではない可能性があると?」

 勘が鋭いな、と思ったが、そもそも環と話したくなかった竹谷や、認知症が始まっていたと思われる服部の妻の芳子に比べると、普通の反応だとも言えた。

「いえ、現段階ではなんとも」

 そう言って環は一呼吸置いてから、
「ですが、もう七年も前の話ですので、覚えていらっしゃらないこともあるとは思いますが、当時の弟さんの様子など伺えればと思いまして」
「そうですか。あ、よかったらお茶、飲まれます?」

 そう言って、勝は台所へ立つと、五百ミリペットボトルのままの緑茶を持ってきた。見覚えのないラベルは、どこかのPB商品のようだった。

「いただきます」

 環がキャップを開けて口をつける姿を見ながら、勝は言った。

「自殺したと聞いて、その時は驚いたんですけど、自殺の理由には心当たる部分がありましたし」

「と言いますと?」

「弟は若い頃からミュージシャンになるって実家を出て行って、好き勝手にやってました。とは言え、自分が組んでいたバンド活動の方はあまり評価されずに、弟が名を上げたのは、アレンジャー、編曲の方でした。今から二十年ぐらい前ですかね、CDが売れまくっていた頃は、それは羽振りが良かったんですよ。リリースされる時にはレーベル会社から、かなりの額をもらっていたようですが、編曲者ですと、印税は入らないんですよ。だから、その後、カラオケでいくら歌われたとしても、弟の元には一銭も入らないんです。だから、CDが売れなくなってくると、レーベルが出す金も次第にしょぼくなって行きましたし、仕事自体も減って行きました」

「そうでしたか」

 そう言って、環はもう一口、出されたペットボトルの緑茶を飲んだ。大手メーカーの緑茶よりも苦みが舌に残るような気がする。それとも、勝の話のせいだろうか。

「とは言え、弟は派手な生活を辞められずにいましたから、金銭的に徐々に苦しくなって行きましてね」

「派手な生活と言いますと?」

「酒も女も派手でしたからね。年甲斐もなく、若い子が好きだったんです。女子大生とか、十代後半から二十代前半の子がね」

 若い子が好きだった、か。

「女子高生とかは?」

「さあ、そこまでは知りません。好きだったのかも知れませんが、私の知るところではありません」

「ていうか、刑事さん、なんで女子高生って聞いたんです?」

「いやいや、お気になさらず、ちょっと聞いてみただけです」

 刑事、じゃないんだけどな、と環は少し、ヒヤリとした。

 まあ、刑事だと思わせておけばいいか。

「だから、弟は嫁さんとの仲も悪くなりましてね、生活は破綻していたので、自殺を選んだというのも不自然ではなかったです」

「そうでしたか。でも、自殺したということを聞いた時は、驚いたとおっしゃっていましたよね、直前にはそんな素振りはなかったということでしょうか」

「直前と言いますか、その前の六月に実家に顔を出しに来まして、その時は元気なように見えました。新曲を作るとか言ってたんですけど、ただその後、反動で折れてしまったのかなとも」

「新曲ですか」

 と環がオウム返すと、

「ええ、その時のメモが残っていたはずです。ごらんになります?」

「あ、いいんですか」

「ちょっとお待ち下さい」

 勝はそう言うと、立ち上がった。階段を昇る音が聞こえる。二階で何かを探しているのだろう。

 五分ぐらい待っただろうか。早瀬の兄がB5サイズのノートを持って現れた。
「これを作っている途中で、自殺してしまったので、立ち直ろうと思ったけれど、才能の枯渇を感じてしまったんじゃ、と私は思っていたんですがね」

 ノートは五線譜が書かれているコクヨの音楽帳だった。

 ゲルインクボールペンで、何度も書いて消した跡がある。

 ノートは三分の一ほど使われたところで終わっていた。

 最後のページの五線譜の上に、

「タイトル トパーズ」

 と書いてあった。

 トパーズ。

 ……また、トパーズだ。

 五線譜は三段ぐらい書かれていたところで終わっていた。

 その下には走り書きがあった。

「夜の女神に誇りを潰されたくなかったら、トパーズを拾え」

……トパーズを拾え

 巻紙が最後にツイッターに残した言葉、それから、タチバナカナを名乗る人物がかつて2chに書き込んだ言葉とも一致していた。

 しかも、夜の女神とは?

 あの、ヴァギナデンタータ、ヒネ・ヌイ・デポのことではないのか?

 壁の向こうから、わめき声が聞こえた。環の耳には、言葉を結ばない、うわうう、という声だった。

「ちょっと待って、父さん、今、お客さん来てるから」

「あ、すみません。そろそろ、失礼させてもらいます」

「申し訳ありません。父の下の世話がありますので」

 早瀬の父の容態がどのようなものなのか分からないが、来客中におむつを替えられるのは屈辱だろう。

 環はそうそうに、早瀬の実家を後にした。

 川越の中心部から離れたうら寂しい住宅街を歩きながら、環の頭の中は、トパーズと夜の女神という言葉で一杯になっていた。

 帰りの東武東上線の中で、恵からラインのメッセージが来た。

 梢子の連絡先だった。

環【ありがとう】

恵【梢子に会ったらよろしく。ラインではたまにやり取りするけど、しばらく会ってないから】

環【分かった】

恵【あの頃のこと色々思い出したんだけど、私の持ち物はヴィトンのバッグ以外、バッタものばっかだったけど、梢子んちは結構お金持ちで、いいもの持ってて羨ましかったなあ】

環【そうだったんだ】

 あの頃の環には見えていないところだった。少し大人しい梢子は、恵の後を一方的についていっているようにしか見えなかった。

恵【あ、それからうちの旦那がタマちゃんのお兄ちゃんによろしくだって】

環【え? 兄貴のこと知ってるの?】

恵【分からないんだけど、府中のヨガファイターと言えば、その筋ではちょっと有名だった、って。なんのこと?】

「ストリートファイター2」か。その頃の卓也は大学生になって千葉で一人暮らしをしていたので、恵の夫で同級生の加藤大輔が小学生か中学生の時の話か。スト2が流行った年代的にもそれぐらいだろう。

環【兄貴、ダルシム使いだったな。そう言えば】

恵【なんのこと?】

環【男子の世界の話】

 環の通っていた学校は都立高校だった。環たちの頃から、隣の埼玉県などとは違い、都立には女子校は存在しない。男女比率は学校によって違うが、環たちの高校は男女比は同じぐらいだった。

 だが、加奈の失踪に関して、驚くほど同世代の男子は関わって来ない。

 彼氏ではないか、というのも大学生ぐらいと表現されていたので、明らかに年上だったのだろう。

 あの頃。女の子の世界。お洒落と恋愛の先に、資本主義が大きく口を開けていて、一足先に女の子だけを大人にしてしまった。

 男子は、小中学生の頃と同じように、スポーツとゲームとジャンプやマガジンの周りをうろついていた。

 ギャル男と呼ばれる人たちや、オヤジ狩りのような、男子の問題行動が話題に上がることもあったが、そういう人たちも含め、男子の世界には、子供の頃と変わらない共通言語があって、女子とは違う世界だった。

 恵の夫の大輔も、ギャル男とまではいかないまでも大分派手な方だったが、あの覇気の全くない四つ上の兄貴をアーケードゲームを通じて知っているぐらいなのだ。

 環は、恵とのやり取りをそこで終わらせると、早速、梢子にメッセージを送ってみた。

環【お久しぶりです。サトメグからアカウントを聞きました。聞いてるかもしれないけれど、二十年前に行方不明になった立花加奈さんを改めて探しています】

 だが、既読はつかなかった。

 環は実家から持ってきた卒業アルバムで確認した、当時の梢子の姿を思い浮かべた。

 白い肌にやや眠そうな目元。

 恵たちと仲が良かったので、髪は色を抜き、茶髪にしてあった。だが、それでもどこか大人しい印象を受けた。

本文:ここまで

続きはこちら:第二十回。

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読者の皆様へ:

※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。



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