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工事中の現場から首つりの仕掛けが見つかったという。だが、環はもう事件に関わらないと決めていた。或いは、フワつく身体第三十四回。


※文学フリマなどで頒布したミステリー小説、『フワつく身体』(25万文字 366ページ)の連載第三十四回です。(できるだけ毎日更新の予定)

初回から読みたい方はこちら:「カナはアタシの全て……。1997年渋谷。むず痒いほど懐かしい時代を背景にした百合から全ては始まる。」

前回分はこちら:蝕まれ、転落していく加奈。だが、美頼はそれを止める術が見つからない。あの頃の誰もが加奈に届く言葉を持っていなかった。或いは『フワつく身体』第三十三回。

『フワつく身体』ってどんな作品?と見出し一覧はこちら:【プロフィール記事】そもそも『フワつく身体』ってどういう作品?


▼参考文献より引用


 現代人の盲点、そして「援助交際」の少女たちの行動。これらについて関連付けて述べるとなると、どうしても、たましいのことに触れざるをえない。しかし、いったい「たましい」とは何なのだろうか。

 彼女たちの行動は現代社会を反映している、と述べた。黒沼も「ウリをする子をお金儲けの目的のために手段を選ばない人と言い換えた場合、大人はあまり偉そうなことが言えなくなる」と述べている。ある意味では彼女たちは多くの大人と同じことをやってきるのだ。しかしこのような点を越えて。彼女たちの行為に対して、心ある大人が憂鬱になるのは、この年齢にして売春をし、なお、それに対して別に恥ともなんとも感じていない、という事実ではなかろうか。

 彼女たちは、何のかげりも感じさせない。昔の「売春婦」というイメージとは異なり、むしろ輝いてさえ見える。彼女たちは、はっきりと「割り切って」いる。心と身体を明確に分け、体の関係をもっても心は関係がないと考える。大人でものごとをまともに考えようとする人は、そこに「割り切れない」ものを感じる。「心が傷ついているはず」と思いたい。しかし、彼女たちに会ってみると、心は何も傷ついていないのだ。

「割り切れない」気持をあくまでも保持しようとするなら、われわれはここで「たましい」という言葉を導入するより仕方がない。人間を「体」と「心」に完全に割り切った途端に抜けおちてしまう大切なもの、それが「たましい」である。体と心とを裏打ちして「いのちあるもの」として、人間を生かしているのが「たましい」である、と考えてみてはどうであろう。われわれは、たましいを見ることも触れることもできない。しかし、それがなくなれば、人間は人間として生きていけない。

 ユング派の分析家ジェームズ・ヒルマンはたましいを重要視する。彼は次のように述べている。「たましいという言葉によって、私はまずひとつの実体(サブスタンス)ではなく、ある展望(パースペクティブ)、つまり、ものごと自身ではなく、ものごとに対する見方、を意味している」(河合俊雄訳『原型心理学』青土社)

 これは、心と体、自と他、内と外、などを明確に割り切ったときに見失われたものを尊重したいという態度を示している。そのような態度をとることにコミットするとき、実体でもなく極めてあいまいな「たましい」という言葉を「確実もに存在するもの」であるかのごとく用いることになる。そのためにはイマジネーションが必要である。人間は割り切ることによって、「考える」ことがしやすくなるが、たましいを対象にすると「想像する」ことが重要になってくる。

 村上龍との対談で、黒沼克史は「『ひとに迷惑をかけないで援助交際をして、なんでいけないの?』という論理にどうやって対抗するのか。僕は女子高生にありふれた法律やモラルの話をしても、もう誰も耳を貸さないだろうと思って……」と言っている。本当にそのとおりだ。割り切って考える限り、彼女たちの論理に誰も負けてしまうだろう。

「援助交際」はこころにも体にも悪くない。しかし、それをたましいを著しく傷つけるものだ。このことをよほどしっかりと腹の底まで納得していないと、彼女たちに立ち向かうことはできない。そして、たといそう思っていても、それを彼女たちに伝えることは非常に難しい場合が多い。

 ※河合隼雄(1997)「『援助交際』というムーブメント」『世界(632)』岩波書店pp.143-145


■二〇一七年(平成二十九年)十一月七日

 夕子が自殺未遂をした翌日から環は、捜査本部を離れた。
 所詮は鉄道警察隊に過ぎない。始めから関われるものではなかったし、責任は問われなくてはならない。それは、今回、捜査に巻き込んだ羽黒が指示をしてもしなくてもだ。

 そこは筋をつけなくてはならない。

 分駐所に戻ると、中隊長の鷺沼がいた。そう言えば、環と赤城が応援に行っている間、渋谷署で見かけなかった。鷺沼は緩い丸メガネを上げながら、
「お二人がいない間、これは鉄道警察のお仕事を知るいい機会だと思いまして、僕はこちらの方の応援に来ていました」

「そ、そうなんだ」

 別にいつもいてくれて構わないのだけど、と言うか本来ならそうすべきなんじゃないのか。

 すると、赤城が、

「ひょっとして、鷺沼さん、タマ姉のこと怖いんじゃないです?」
「えー、怖くないでしょ? 怖くないよね、赤城っち」
「もうその言い方が怖いですよ。タマ姉」

 という返す赤城をよそに

「いやいやいやいや、別にそんなことはないですよ。深川巡査長のことはベテランですし、大変、尊敬申し上げています」

 ……年上でも一応、部下である環に対して申し上げるとか出て来てしまう時点で、ビビってやしないか。そう思ったが、口には出さないでおいた。
「鷺沼さん、細かいところまで注意深く見てるし、何でも知ってるんですけど、本当ビビリで。たかだか、酔っ払い相手に足がすくむ警察官なんて初めて見ましたよ」

 と言ったのは葉月だった。
「いやあ、葉月さんには何度も助けられました。さすがに、元レスリング日本代表」

「オリンピックは行けなかったですけどね」

 と葉月は笑った。

 環と赤城がいない間、その分の業務が増えて忙しかったそうだが、取り立てて変わりはなかった。小隊長の瀧山が累犯のスリを捕まえたらしい。

「前に捕まえた時はもうやらねえって言ってたのになあ、馬鹿だなあ。人間ってのは一度落ちてしまうと、前に戻るのは難しいんだよなあ。やっちまったものは戻らない」

 と、遠い目をした。

「食べてしまったカントリーマアムは返せない」

 それに対して、環がデスクに座って、カントリーマアムを食べながら言った。葉月が先日差し入れてくれたやつの残りだ。
「あ、こないだ差し入れありがとね」

 と環は付け加えた。

 一度落ちてしまうと、前に戻るのは難しい。累犯の薬物犯の江崎のことを思い出す。

 社会人として復帰はしているが、一度鬱をやると、なかなか元の体力に戻らないという秋の言葉も思い出した。

 ああ、引きこもりになって、なんとかフリーターまで回復したうちの兄貴もか。

 そして、酷い摂食障害が治らなかったまま、死んだ美頼。

 美頼は、援交を重ねて行く中で恐らく、不可逆な何かを見た。

 でもいい、もう因われるのはやめよう。

 すると、鷺沼が、

「ああ、そうそう。一応、捜査本部には伝えておいたんですけどね。僕が警ら中に渋谷署の巡査からたまたま聞いたんですけど、東口のビックカメラの奥のところ再開発しているじゃないですか。あそこのプレハブの飯場の前に、八月、九月と二ヶ月連続で、首吊り自殺の仕掛けみたいなものが設置されていたことがあったそうなんです。プレハブを支える鉄パイプから輪になったロープが吊られて、その下に踏み台があったそうなんです。でもまあ、誰かが死んだりとかそんなことはなかったそうなんですが、誰かの未遂の跡だろうと、たまに警戒に行ってるっていう話だったんですけど、その仕掛けが見つかった日が八月二十二日と、九月二十三日だったんですよ」

「巻紙が自殺した日と、私が江崎に襲われた日か……」

「一応、お伝えした方がいいと思いまして、あ、でももう関わらないと、おっしゃってましたよね。すみません」

「そんな、いちいち謝らなくてもいいですよ」

「すみません」

 確かに気になったが、もう環には関わりのない話だ。

本文:ここまで

続きはこちら:第三十五回

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読者の皆様へ:

※この話はフィクションであり、現実の人物、団体、施設などとは一切関係がありません。

※警視庁の鉄道警察隊に渋谷分駐所は存在しません。渋谷駅、及び周辺でトラブルにあった場合は、各路線の駅員、ハチ公前の駅前交番、渋谷警察署などにご連絡ください。

※現在では、一九九九年に成立した児童買春・児童ポルノ禁止法において、
性的好奇心を満たす目的で、一八歳以下の児童と、性交若くは、性交類似行為を行った場合、
五年以下の懲役若くは五百万円以下の罰金、又はその両方を併科されます。
本作品は、こういった違法行為を推奨、若しくは擁護するものでは決してありません。

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