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ライカ旅#7 イタリアの田舎のすゝめ

ローマ、フィレンツェ、ミラノとイタリアには魅力的な都市が点在するが是非とも田舎の村に行ってほしい。田舎にこそイタリアの本質があると僕は思っている。

ネットで調べたら大抵のことがわかる昨今、情報が全然見つからないことがざらにある。日本語なんて勿論の事、英語で検索してもイタリア語を英語に自動翻訳したサイトを見ても本当に情報が入らない。インスタ映えするものも特にないし観光地化もしてないから日本人がわざわざレビューなんかしていない。
いいのです、こういう所にどんどん行くべきであるのです(イタリアに限らず)、旅に不確定要素が出てくるのだから。

不確定要素なんて言うと物騒でわざわざ貴重な休日を使ってまでそんなことしたくないよと思われるかと思うでしょうが、そもそも何故、旅をするのかと言うのを問いたくなる。「自分探しの旅に出ます」とはよく言ったもので、よく分からない物に出逢ってよく分からない状況に陥って自分の中の「価値観」を揺さぶる。柿の木をおもいっきり揺らすように、木から落ちる実もあるが残るものもある、引っ掛かってた葉がいい具合に落ちて太陽に晒されてなかった実が新たに育つことがある。ネットで沢山情報収集した日には「旅をした自分」を仮想の現実を作りあげて、元々持っているものさしで異物を測ることになってしまう。この世界には一つの基準では計り知れないもので溢れてるのに、とてももったいない。

カンパニア州のモンテマラーノ村(Montemarano)には他の地方にはない謝肉祭の祝い方があるのだが村人はこの伝統をとても大切にしているしここに来なかったら知り得なかった素敵なこと、Leica M10-R + Summicron-M 50mm f/2

何か哲学的でよく分からないパラドックスに陥りそうになるのだが、言いたいことは取り敢えず旅に出る、自分の感覚を信じて。わからない事を体験するのが旅だのだから。

イタリアの話に戻りたい。9月にナポリにて学会が開かれるのにあたり妻と友人とナポリから東の方に一時間ほど走った所にあるイルピーニャ地方に週末遊びに行った。ワインの名産地であること以外何も日本人には知られていない地方だ。その中でもモンテマラーノの村という所に宿をとった。

宿は某サイトで予約して当日までの間に宿主とは英語でやりとりをしていたのだが現地に着くなり怪しい兆候が。宿主のおじさんが英語を喋ってくれない、いやこの人は喋れない!これまで連絡してたの誰だよ、と気になるのだがもう一人お友達のおじさんが同行していたので、このおじさんが通訳してくれるのかと思いきや、この人もイタリア語の嵐(何しに来たんだよこの人)。でも良いのです、とても優しくてお茶目な方達です。久しぶりにこんな心が温まる良い人に出会いました。英語を喋れる事を前提にする僕たちの奢りですので。

無事に宿に到着して窓ぎ窓際で黄昏る友人、Leica M10-R + Summicron-M 50mm f/2

おじさま達の説明では村で英語が喋れるのはセニョーラマリア。バーを経営しているマダム。困ったことがあればこの人に相談すること!街で唯一、日曜日に開いてエスプレッソを出しているお店でもあり、翌朝に来店することに。セニョーラマリアは南アフリカに長く住んでいたらしく、とても流暢な英語で敬愛溢れる様に話かけてくれた。彼女の作るエスプレッソもそんな彼女に似て優しい味がしたのを今でも思い出す。そんな感じにくつろいでいる僕たちを物珍しい目で常連客が見ていたのも印象的だった。排他的なそれではなく、喋りかけたいけれど何を言えばいいのかがわからない、そんな空気が流れていた。

とある(ワイン狂の間で)有名な葡萄畑から望む村々、Leica M10-R + Summicron-M 50mm f/2


村を降りた中規模の街のスーパーで干し肉のお買い物に行ったのですがここも英語が通じませんでした。裏から俺に任せろと言わんばかりのお茶目で大柄な20歳くらいのお兄さんが出てきたが、彼とも意思疎通を取れずじまい。事態は収拾がつかずに同僚が喋れるからと次から次へと、シフト入っている人全員かと思うくらい精肉部門のスタッフが出てきてしまいました(結局誰も喋れませんでしたが)。そしてさらに上司を呼ぶだのと大ごとに。どれが地元で作られたのか聞きたかっただけです、ごめんなさい。

こんな英語が通じないと連呼して嫌味を言っているわけではなく、何を強調したいかというと言語が通じない相手に親身になって助けようとする他愛に溢れた人が沢山いたと言う事、そう皆んな素敵なのだ。

とあるイタリアの山間の村、Leica M10-R + Summicron-M 50mm f/2

魅力は他にもある、もちろん食べ物。フラッと寄った肉屋で購入したパンチェッタが異常に美味しい。そして肉屋のおじさんとおばさんはその事を誇りに思っていた、「僕たちが作ったのだから」と。そんなパンチェッタはトマトソースと一緒にパスタに和えたらもうご馳走になってしまう。他の野菜やら肉の品質が恐ろしく高い。それにワイン、イタリアワイン好きを自称していてコペンハーゲンの自宅でイタリア各地のワインを日常的に愛好しているが、旅をしていない最高の状態で現地の郷土料理を楽しむ事は、どの高級レストランでも表現できない「味」だった。これは「僕たちのワインだよ」と紹介してくれた白ワインのフィアーノ・ディアヴェッリーノにタウラージ・アリアニコを飲むたびにこの旅の記憶が蘇る。

イタリアの田舎の村には一つ一つにこの様なストーリーがあり、ネットやガイドブックなんかにはまず載っていない。そもそも体験なんていうものは頭で理解するものでもない。

最終日の村を出る朝、セニョーラマリアの作るエスプレッソを楽しんでいると彼女がふと言う「聞きたかったのだけど、なんでこの村を訪れてくれたの?」。僕たちは返信に苦しみ、返したのが「理由は特にないよ、強いて言えばお気に入りのワイナリーに近かったからかな」。「そう、でもこんな田舎に来てくれて嬉しい、また会いましょうね。エスプレッソはウチで持つからナポリへの道がら気をつけるのよ」と彼女は僕たちを送り出してくれた。


とにかく続く山と村、Leica M10-R + Summicron-M 50mm f/2

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