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東京に行きたい。

東京に、行きたいなぁ。

ふと、思う。

わたしはもともと都会が好きで、定期的に用事を作っては東京に一人旅に出ることがあった。

田舎育ちのわたしには『都会』はとてもキラキラして見えて、行けば実際に自分の気持ちまでキラキラと輝く。わたしにとって東京に出かけることは“デトックス”であり、旅の後は充実感と幸福感でいっぱいになる。東京はわたしのモチベーションを上げてくれるパワースポットなのだ。


しかしいま、わたしは東京に行けない。

わたしたちの2020年を唐突に奪っていった『新型コロナウイルス』のせいで。

東京が悪いわけではない。全てはこの未知なるウイルスのせい。

巷では“帰省警察”や“マスク警察”などといった正義を履き違えた人たちが他者を責め、自分勝手な自己満足をしているようだけれど。


去年の夏も、わたしは一週間近く東京に滞在していた。

いくら交通機関が充実しているとはいっても隣町に行くような感覚で行ける距離ではないので、滞在時は毎日予定が入っていた。

わたしはオタクなのでコミケにもいった。その際同じように地方から出てくるオタクの友達と予定を合わせ、美味しいごはんを食べお酒を飲みながら好きな作品の話に花を咲かせたりするのがとても楽しかった。

東京に住む妹との“The 東京観光”もお決まりだ。あまりにもド定番スポットすぎて、逆に今まで行ったことのない東京の観光スポット。そんな場所に行ったりした。去年は浅草。気兼ねせずに過ごせる妹との観光スポット巡りは、修学旅行みたいで楽しかった。

東京に住む友達と歌舞伎町で飲んだり、Twitterで見かけてずっと行ってみたかったお店に行ったり、おすすめのお店に連れて行ってもらって朝まで飲んだり・・・。

そんな『非日常』を味わうことは、普段抑制された生活をしている「母」としてのわたしにはこの上ない幸福な時間だった。

この時間は決して当たり前ではなくて、これらを許し、送り出してくれる夫に感謝していた。しばしのバカンスを終え帰宅すれば、また変わらない日常が始まる。キラキラした東京での滞在期間とはまるで違う、所帯じみたいつものわたしの生活。普段ならば全く魅力のないものだが、それがまた愛しいものに思えてくる。わたしの心のどこかにあるぽっかりとした穴を埋めてくれることで、日々の生活に愛情が注げるようになる。


・・・・・でも、わたしは東京に行けない。

一体いつまでかは分からない。いつまで我慢すればいいんだろう。

強制されているわけではない。現に私の居住地はgo toキャンペーンの対象内だ。

・・・・・でも、行けない。

もし自分が東京に行くことで、ウイルスに羅漢して、地元にウイルスをばら撒いてしまったら。

そうなった時に一番に被害を受けるのは、いろんな意味で家族だろう。

精神的にも肉体的にもダメージを与えてしまうかもしれない。

いまの世の中を見てそう思う。


「こうしたらいい」「こうであるべきだ」「これがいい」

たくさんの意見がメディアの海に流れてはいるが、

「ソースはどこ?」「裏付けはとれてるの?」と心配になる。

私くらいの年齢層は、インターネットが急速に普及し、学生時代からガラケーを持ち、インターネットで失敗もしながらルールを学び、便利さだけでないインターネットの危険性も学んでいる人が多い気がする。

しかし少し上にいけば、ガラケーは通話やメールをするためのツールとしてしか扱ってこず、いまこのスマホ時代にようやくインターネットに触れた世代がぐんと多くなる。

逆に下に行けば、子どもの頃からスマホに触れ、YouTubeやらTwitterやら、ネットの“便利さ”や“存在”が当たり前であり、生活の一部になっている世代ばかりだ。

(もちろんそういう人ばかりではないことは重々わかっている。あくまで傾向の話。我々の世代でもインターネットの怖さを知らない人もたくさんいるだろうし、上の世代にもネットに詳しい人はごまんといる。)


“インターネット”が発達したこの世界で“正しい情報”や“間違った情報”を判断することができるひとはどれほどいるのだろう。

いま、誰かを非難している人、未知なるウイルスに対して所見を述べている人は、もう一度自分の中で深く考えてみてほしい。


「その情報に、責任は持てますか?」


いつかまた、東京に行ける日がきますように。

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