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【不登校ママ編】 「いま」を生きる

いま【ママ編】と【ムスメ編】を同時に並行して書いている。
ということはこの段階でもう、今の主の繋がりとしては其処なわけで。
で、たまに顔を出す、少しの息子への将来の心配みたいな状態(笑)

以前から手離そうとしている『普通』『あたりまえ』という概念。

ムスメの入学にあたって、またその概念が戻ってきていたことに気がつく。

『人生は行って来い、行って来い』の繰り返しだ。
先のことは分からない。
結局は、今を生きるしかないのよ。

ママは今、アドラーなのだ

もともと、アドラーの心理学は(ほうほう、なるほど)と思うことが多く、以前から好きだ。
今はこの1冊を寝る前に読んでいる。

[あなたが悩んでいる問題は 本当に「あなたの問題」だろうか]

そう、私が悩んでいるものは子の将来であって、私の問題ではない。
息子が自分の裸を見られることを気にするようになってきて、思春期が来たぞ〜!と思うと同時に、親から離れて行くことが近いことを悟る。
その中で不登校。
人間関係が希薄な状況で、親とも離れて行ったら、息子が思いを吐き出せる所がないじゃん!見つけてあげなきゃ!
(???)
いやいや、それって私の問題じゃないですよね。
そうなった時に、自分で探せばいいんだ。あっぶねー。(THE 私の先回りグセ問題になるところでした)

[大切なことは「共感」することだ。相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることである。]

ムスメは痛みに過度に敏感。ちょっとのキズで、この世の終わりのように泣くし痛がる。
以前は(おおげさだな)と思って「大した事ない!気にしない!」って言っていたけど、HSC(繊細さん)という特性を知ってから、やめた。

本当に本人は痛いんだ。
「痛いんだよね。魔法の絆創膏を貼ろう!」
貼ると瞬時に泣き止む。

今日はキズに更に土がついて汚れていた。
「まず汚れは水で流さないと絆創膏は貼れないんだよ。ばい菌が入るともっと痛くなっちゃうからね」いやーーーーーーーー(泣)
この攻防に1時間。
結果、自分で塗れたティッシュで汚れを落として収まった。

その後、「痛かったけどね、自分で土を拭いて、絆創膏貼ったんだよ!」と褒めてくれと言わんばかりに上目遣いで、さっき泣いたことをチャラにしてくれという気持ちありありで、訴えてくる。
「自分でできたんだね。そのほうが痛い時は加減ができるもんね。今度から、自分でするのがいいのかどうか、ママも聞くようにするね。」
これぞ共感✨いい仕事したわ(笑)


[陰口を言われても、嫌われても、気にすることはない。「相手があなたをどう感じるか」は相手の課題なのだから」

結局は、世間の目を気にしているのは息子だけではなくて、私もそう。
ご近所さんは理解のある方々ばかりだから、外に出て話し掛けられれば、心配してくれる。
でも、平日の日中、元気な子どもの声が家の中から響いていることをどう思っているんだろう。
これから暖かくなって、ムスメはきっと庭で遊ぶ率が高くなり、プールを出せと言うだろう。
考え方によっては、体育(笑)
しかし周辺はおじいちゃん世代のお家ばかりで、気になるのは親としての世間体なのかもしれない。
(元気なのに学校行かせてないの?とか思われてないかな?)

いやいや、不登校になって困ってるのこっちですから💢って思いは、今の元気な子どもの姿からは周囲は思い浮かばないだろうな。
義父母からも似たような思いの長文メールがきたこともあるし、、、

でも、やっぱり元気が一番!!!
陽の光を浴びてくれることのほうが、安心!!!
出してやるぜ!プール!準備は任せた夫!(笑)



子ども達に繋いでいく

[すべての悩みは対人関係。仙人のような世捨て人さえも、実は他人の目を気にしているのだ]

長期の休みであるはずの子ども達。
それでもやはり、今日が平日なのか休日なのかを気にして生きている。
それは、平日に受ける大人からの視線なのか、休日の同世代の子どもが大勢いて賑わっていることへの安心感なのか。
結局は人の目が気になる。

(他人にどう思われているんだろう)
(教室に入る時に「おはよう」って言ったら皆はどんな顔をするんだろう)

その不安を受け止めて、寂しさを払拭して、立ち向かえるためにはまだまだ経験が足りない。
仙人だって、そうなんだから。


[叱られたり褒められたりして育った人は、同じように評価してくれない相手を敵だと思うようになるのだ。]

不登校以前、叱る率が高かった。
出来ているところは、子供自身が気づいていると思っていたから。
でもそうじゃない。
だから、不登校直後は褒めまくった。
褒められると嬉しそうな顔をする。
でもそれも、やり過ぎは良くない、、、
褒められないと、やらなくなる。

褒めなくてもいい、認めてあげればいい。
存在そのもの。やったことそのもの。ありのままを、認めてあげればいいんだ。



これから目指す場所

[相手の権利に土足で踏み込んではならない。権利を尊重し、自分で決めさせるようにすれば、人は、自分を信じ、他人を信じるようになるだろう。]

先の事はわからない。
子ども達の気持ちを尊重し、自分で決めて納得しないと進まない子たちなのは、この半年で嫌と言うほど理解できたのさ。

だから、子が自分自身を信じて、家族という場所に安心を感じて、社会の場所を信じるようになって、踏み出すことを、親は待つしかないのだ。


[苦しみから抜けす方法はたった1つ。他に人を喜ばせることだ。「自分に何ができるか」を考え、それを実行すればよい。]

夕飯のあと、「デザート!」と言った息子が自分でフルーチェを作っている。ママも欲しいとは一言も言っていないのに、私の横にそっとお皿に分けたフルーチェをスプーン付で置いていってくれました。
最高かよ(泣)
その気持ちがあれば、あなたは大丈夫。

母の日を意識して、折り紙で花束を作ってくれたムスメもまた然り。


虫を探しに行くように、自らの道を探し求めるのだ(笑)

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