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宮沢賢治 法華文学という方便/仏教、写真

皆さんご存知のように

宮沢賢治さんは百性でありながら

作家でありました。


そしてあまり知られていないかもしれませんが

法華経行者でもあります。


父が念仏信者で若い頃 法華経と念仏どちらが

凄いのかと言い争いをして家出をしたのち

東京で一人暮らしをしながら国柱会という

宗教団体に入り法華経を学びます。


そんな生活の中

宮沢賢治は小説を書いていました。

宮沢賢治はその小説に法華経の精神を宿したと
いいます。


と言うことは

みなさんは知らず知らずのうちに法華経の

素晴らしさを小説を通じて

感動していた事になります。




お釈迦様は

「私が悟った事を皆が理解できるわけがない

  この悟りは私だけのものにしよう」と

  思われましたが様々な諸天善神が

「この世の人の為に法華経を説いて欲しい」と

  懇願され長い距離を歩かれながら悩まれ

   方便を使っていけば皆は理解し

   佛の道に歩めるだろうと悟られます。


方便とは正しい手段という意味です。



先程お釈迦様のお話の通り

直接ストレートに法華経を伝えても

あまりに難儀で理解不能なことなので

周りの人達が理解できるような

手段を用いていく事が法華経では大切であると

お釈迦様は方便品というお経の中で

説かれています。



まさに宮沢賢治がしたことは方便であり

そしてお釈迦様のご真意のもと

法華経を小説という形で布教されていたのです。

宮沢賢治はそれを法華文学と呼んでいました。

銀河鉄道の夜はまさに法華文学であると

思います。


私は方便がどれほど大切か

日々心に染みています。

方便は万億あると言われ人の心の数だけあると

言っても過言ではありません。


ですがこの世の人は仏教というだけで

差別したり悪口や暴力を振るったり

汚い目で見たり人を嫌ったりする

傾向があります。


これは法華経行者や仏教徒が

法を広めようとする時に必ず起きる

迫害ではありますが


それともう一つ


法華経行者が

法を説いてこなかった大罪ではないかと

思うのです。


法を説く事は小説や写真や音楽や絵画で表しても

私は全く同じものという認識です。

小説や写真など先程言ったものは方便に過ぎず

その先にはこの世の真理に気づき本当の自分に

目覚めてもらう為と。という大きな目的が宿して

あります。


法華経行者はその願いを持って世の中に

この素晴らしい教えを知って幸せに

なってもらいたいその一念を持って伝えて

いかなければ

この世は間違いなく終わります。


その終わりに今 一歩一歩向かっているのです。

だから私は逆に一歩一歩平和に向かって

歩き 抗い 無抵抗に抵抗するという

ガンジーの精神で歩んでいきたい

私は強くそう思います。











































































































 



































































































 
















 

















 
















































 






























































































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