親友の秘密② ~守護の熱 第五話
冬の海の中に、飛び込んだ。必死にもがいた。冷たさのあまり、感覚が無くなりそうになるのに、抗いながら、羽奈賀の身体を捕まえた。荒れる海の中、親友の身体を抱えて、必死に泳いだ。浜がすぐ傍で良かった。でなければ、二人とも、海の中で凍えたまま、助からなかったかもしれない。
「羽奈賀、しっかりしろ」
浜に上がると、急いで、そのまま、意識の無い、羽奈賀を背負って、漁師小屋に急いだ。中に入ると、海女や、漁師たちが、暖を取る為に用意してあった、たき火用の一斗缶があった。火つけの為のマッチや新聞紙、炭があったので、それを一斗缶に入れ、火を点けた。休息用の毛布をあるだけ出して、床に敷き、羽奈賀を横たえる。
「待ってろ、今、温めるから」
お互いの上着は、崖の上にあった。後で取りに行くにしても、ひょっとしたら、この海風で、飛ばされて、もう、それも海の中かもしれない・・・。
どうしようか。連絡をして、大人に助けに来てもらおうか・・・いや、それはできない。事情を説明するにも、難しい。羽奈賀は、きっと、今の状態だと、家には帰りたくないだろうし、俺も・・・こんなんじゃ、帰れない。大人に理解してもらう為の説明の仕方が、思いつかなかった。
とにかく、急いで、毛布で、羽奈賀を包んだ。しかし、毛布が濡れてきた。ああ、そうか、着衣が濡れている為、そうなるんだ。このままだと、濡れたまま、凍えてしまう。羽奈賀の服を脱がし、素肌に毛布を重ねてやった。濡れた衣服を、小屋の中の物干しに掛けた。羽奈賀は目覚めない。唇が紫色になっている。毛布の上から、腕や足を摩る。
「羽奈賀、おい、羽奈賀、目を覚ませ、・・・まさか、死ぬなんてこと・・・」
身体が震えてくる。俺も冷えている。羽奈賀と同様に、服を脱いで、毛布を身体に巻きつけた。同様に、脱いだ服を物干しに掛けた。
「寒中水泳なんて、初めてだ・・・」
本当なら、今頃、流星群を見ながら、ココア飲んでたのにな・・・
そう思いながら、羽奈賀の身体を手で摩り続けた。まだ、意識が戻らない。一斗缶の上に、傍においてあった、焼き網を乗せ、水の入った
薬缶を乗せた。これは、漁師たちが常備しているもので、何日かで入れ変えて、飲料水にできるようしてあることを、俺は知っていた。お湯を沸かそう。気が付いたら、飲ませてやろう。
「少し待ってろ、羽奈賀」
自分の手をまず、一斗缶の火で温める。こういう時は、どうすればいいか。何かで見聞きしたことがある。命に関わる。俺は、それに気づくと、急いで、そのようにした。
羽奈賀の身体は冷たかった。俺は、それに身体を寄せた、肩から胸を摩りながら、自分の身体の熱が、少しでも、親友に伝わってくれれば、毛布を重ねて、互いがその中で温まればよいと。必死に、身体を抱き締めた。羽奈賀の身体を目にした時、言っていた通りの痣を、全身に見つけた。摩ってやっても、消えるものではない。しかし、なんとなく、そうすることで、消せるような気がしていた。
「ごめん、本当に、気づかなくて。嫌な思いしてたんだろう。言えるわけもないことだし・・・」
羽奈賀は、大人に虐められていたのだ、と、俺は思っていた。
「頑張れ、羽奈賀、死ぬなよ。俺がついてる。俺は、お前の味方だからな」
外は、雪が降り始めた。窓から、大きな雪の塊が落ちるのが、見えた。降り積もりそうだと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・夢を見ていた。好きな人に、受け入れてもらって、満たされる。でも、それって、自分勝手で、特に、この国では、多分、理解は難しい。解ってる。これは、夢なんだ。
ランサム人の母は、王室の遠縁だった。父の家は、東国の芸術家の一族だった。小さい時は、ランサムで育った。自由な気風の中、僕は、それに関わる、大人の中で育った。
いつも、綺麗なものに囲まれていた。音楽、芸能、美術、服飾、美容など、当時、羽奈賀は、クリエイティブな領域の業界を司る商社の先駆け、と言われていた。ランサムの地元の事業者とも提携を持ち、父は事業を展開していく中で、母に出会ったそうだ。そして、僕が生まれたという。
母に面差しが似ている僕は「女の子みたいに可愛い」と言われた。東国とランサムのハーフということで、どちらの国でも、色眼鏡で見られるような所もあったが、最近では、そういうのにも慣れた。東国の長箕沢の父の家に、こちらでいう所の中学三年生の秋にやってきた。あちらのジュニアを卒業してきたので、半年は、学校に行かず、過ごしていた。
まぁやこと、辻雅弥とは、その頃、出会った。彼はまず、見た感じが、凄く印象が良かった。東国のキリッとした男らしい顔つきで、それと、何よりも、真面目で、きちんとしていた。何事にも、筋を通すタイプで、堂々としていた。とにかく、男らしかった。僕にはないものばかり、・・・とにかく、カッコよかった。
生まれのこと、ハーフであることで、虐められかけた時、周囲から、護ってくれたのが、まぁやだった。心強かった。それ以来、親友でいてくれてる・・・筈だ。
服飾デザイナーで、ランサム人の叔父とは、正直、向こうにいる時に、そういう関係になった。尊敬していて、それは変わらない。極自然に、そうなった気がする。ただ、それは、こちらでは、人に知られたくないことだった。そのこと自体は、僕の中では、あまりにも自然で、その後、解ったことだが、僕は、女の子には、興味がなかったのだ。今まで、意識したことがなかった。大人の中にいたので。
こないだのまぁやのように、手紙をもらったりしたが、やはり、素気無く断った。彼女たちという存在は、僕の中では、全く、埒外のものなのだと、その時初めて、気づいた。そして、僕の興味は、その反対に向いていく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
はぁ・・・、生きてたんだ。
もう、どうでもいいと、一瞬、思ってしまったんだ。
あんなとこ、彼に見られた。一番、見られたくなかった・・・
・・・はぁ・・・あったかい、ここは?
たき火の臭い。少し、焦げ臭い。湯の沸いている音がする。目を開けると、明るい。もう、朝になってるのか。あったかいのは毛布のお蔭か・・・熱を帯びた空気を左の方に感じた。
あ、・・・よく知った、その感じと似ていたが、ちょっと違っていた。
人肌の温みに気づく。自分より、少し浅黒く、太い腕が僕を包んでいる。
あああ、嘘・・・こんなことって・・・泪がたちまち、溢れてきた。
有り得ない。こんなの。ダメだ。そう、解ってる。これは違う。苦しい。
大好きな彼が、自分の身を使って、僕を救ってくれたのが、解った。
さっきから、左が温かったのは、眠っている、彼の吐息だった。
いくらかの大人から躾けられた、それとは違う。
・・・結びつけてはいけないんだ。
「ごめん・・・ありがと・・・」
小さく、彼の左の肩に口づける。後は、眠ったフリを続けよう。
これで、・・・お終いにする。
叔父に言われていた、ランサム大学への進学を早めることに、僕は決めた。
大好きな君と、ずっと、親友でいられるように・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・ん・・・あぁ、羽奈賀、・・・ああ、顔色が戻ってる、寝てるのか?・・・あああ、良かった」
彼の声が、こんなに近くに聞こえる。・・・そう、僕は、今、気が付いたとこなんだ。
「・・・あ、・・・僕」
「羽奈賀・・・良かった。助かったんだな。良かった」
まぁやは、半分泣きそうになりながら、そのまま、僕を抱き締めてくれた。もう、何も要らないよ。だから、今だけ、これで・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
羽奈賀が、無事で、本当にホッとした。服もなんとか、乾いていたので、着ることができた。湯のみに、薬缶の湯を注いで、一緒に飲んだ。温かさにホッとした。羽奈賀の唇が、いつも通り、紅く戻っていた。安心した。照れ臭そうに、笑い返してくれた。よくする顔だ。本当に、安心した。
近くの松の根元に、二人の上着と、俺のトレーナーが飛ばされてきていたのが、ラッキーだった。雪は、少し積もったぐらいで、それも助かった。上着は、粉雪で冷えていたが、湿り気がほぼなかったので、それを払って、着た。お互い、天体観測をしていて、雪で帰れなくなって、連絡できずに、漁師小屋に避難していたと、それぞれ、親に伝えて、この日のことは、事無きを得た。
それから、一か月も経たない内に、羽奈賀は、ランサムに戻ることになった。ランサムの大学で、服飾の勉強をして、デザイナーの叔父さんの後を継ぐそうだ。
「何も変わらない。その、嫌いになったり、偏見で見るとか、そんなつもりはないから・・・」
俺は、別れ際に、羽奈賀に告げた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
優しいまぁやのその言葉に、僕は、却って、落ち込んだ。僕が本当に好きなのは、君なのに・・・。今はもう、気持ちも全部、飲み込む。その身で、命がけで、僕を援けてくれた。その事実だけでいい。これ以上、嫌われたくない・・・。
髪を切った。
「これ、僕が作ったんだ。こっちは寒い時期が長いから、使って」
―――これは、僕だからね、・・・まぁや。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もともと、手先の器用な、羽奈賀から、手編みのマフラーをもらった。羽奈賀らしい。センスが良いのがよくわかる。しかし、はたして、これ、俺に、似合うだろうか?
「お前が、有名なデザイナーになったら、これ、プレミアがつくかもな」
そういうと、照れ臭そうに、嬉しそうな顔をした。
「大事にするよ」
良い匂いがする。光に当たるとキラキラとした。どこかで見たことがある感じだ。
「ああ、やっぱり、似合うよ」
「そうか?」
「まぁやは、東都大に行って、弁護士になるんだよね?」
「ああ、そう、話したっけ?」
「うん、言ってたよ。頑張って、応援してる」
「羽奈賀もな」
「うん」
羽奈賀は、こうして、ランサムにまた、戻っていった。・・・そう言えば、あの翌日には、多くて、長めの髪を、綺麗に切り揃えていた。あの時、なんとなく思ったのだが、少し、大人っぽくなって、何か、吹っ切れたような・・・。きっと、新しい目標が定まって、羽奈賀自身も頑張ろうとしてるんだと、俺は思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「雅弥君、ちょっと、見せて。・・・これ、素敵ねえ、そこらの店で売ってるのと、違うみたいね」
兄嫁の明海は、そのマフラーを手に取って、ハッとする。
・・・これ、金の糸じゃない、・・・人毛が織り込まれてる・・・。
明海は、最近まで、義理の弟と、ずっと、一緒にいた、淡い髪の色の親友の顔を思い浮かべた。察しの良い兄嫁は、このことを、誰にも―――雅弥本人にも言わず、心に留めておくことにした。
~つづく~
みとぎやの小説・連載中 親友の秘密② ~守護の熱 第五話
読んで頂きまして、ありがとうございます。
こんな展開になりました。
第一話から四話までの、羽奈賀君の態度の意味が解ると思います。
この直前のお話は、こちらになります。未読の方は、是非、ご覧ください。