アイリス

思いついたことをそのまま出せるようになりたい

アイリス

思いついたことをそのまま出せるようになりたい

最近の記事

窓からさす光

起きた時に朝日を浴びたくて、私はカーテンを開けた。 すると、月の光がさした。 その優しい光が窓を通過して、まるで布団のように私にかかった。 起床だけでなく入眠までも助けてくれるとは、なんとも粋である。

    • 月の見えない夜の句

      窓の外 星は見えども いと明るし 雲に灯すは 昨日の月かも 昨日まではとても明るい月が見えていました。本日も綺麗な月が見えると思いましたが、雲に遮られて見えませんでした。 しかし、外は明るい。昨日の満月が雲を照らしているためでしょうか。

      • 太政官のかんさいをこう 判断を仰ぎます

        忘れると困ることや覚えなくてはいけないことを喪失しないように、携帯のメモ機能を使って備忘録にすることがある。 あまり頻繁に使う機能ではないので、次に使用する機会に前に書いたメモを見返すと、当時の記憶が蘇って面白い。 だが、バイトの仕事内容をメモした箇所にあったこの言葉は理解できなかった。 太政官のかんさいをこう判断を仰ぎます 万が一人に見られた時に恥ずかしくないように表現をぼかしたり、暗号を使うことはないでは無いが、そのようなものを作った記憶すらない。 バイトに関す

        • ゆめのあと

          どうやら寝てしまっていたらしい。腕を枕にすることもなく、顔を床につけたままで。 寝違えた時の首の痛みがそこにはある。意味があるかは知らないが、とりあえず反対を向いて首を伸ばした。 起きるまでの準備体操みたいなものだ。瞼も、体も、まだ重かった。耳には自分の鼓動が聞こえた。 でも、鼓動の他に、体内では出ない音も聞こえた。なんの音だろうか。 銅鑼を叩くような、引き出しを閉めるような、階段を降りるような、色々な音に聞こえた。 リズムは一定ではなく、しかし止まることは無かった

        窓からさす光

          続きは執筆中です

          2話を読んで頂きありがとうございます

          続きは執筆中です

          「弟の秘密のスケッチブック」第1話

          私の2つ下の弟、陸は高校生になってもどこか抜けている。いつもボーッとしていて忘れ物もしょっちゅうだ。 日曜の朝、友達と遊びに出かけた陸の部屋を掃除してやろうとドアを開けた。案の定散らかっている。ついため息が出たが、せめて机の上だけでも片付けてあげようと思い、教科書の山に向かった。 すると1番上にスケッチブックが置いてあるのを発見した。おかしいな。陸は音楽を選択たから、もう美術はやってないはず。なのにスケッチブックが1番上にあるなんて。 思わずそれを手に取って開いた

          「弟の秘密のスケッチブック」第1話

          「弟の秘密のスケッチブック」第2話

          山さんについて 山崎さん(山さん)は、バイト先の店長である。最初の出会いはバイト面接だ。「ありがとうございます」が口癖と言っても過言ではないほど感謝を伝えてくれる。 ここからは私の主観が強い。彼女の優しさは礼儀によって形作られたものだろう。自然に備わっていたものではなく、後天的に、人為的に取り付けられているような印象だ。 だが、後天的であっても、それは芸術的な域に達している。社会人の模範とも言える人だ。苦手と思った経験は思い出せない。 ただ時々、その芸術のあらが見えて

          「弟の秘密のスケッチブック」第2話

          学び「直し」?

          「学び直し」とは社会人、または定年になってから学生の頃の振り返り等をしてみようという動きだ。「学び直し」はとても楽しいのだが「直し」という言葉に違和感を感じる。 なぜなら、一旦区切られている心地がするからだ。学ぶのは学生の内だという偏見がある。 学びはいつやっても良いものだ。なので私は「自主的な学び」の方が良いと思う。 何かを学ぼうと思い至って学ぶ。これは最上の学びの機会である。確かに、「学び」が強制されている学生では、ここ行為は難しいかもしれない。「学び直し」が最上であ

          学び「直し」?

          科学と宗教

          もしも科学が神様を証明したらどうなるのだろうか。人類が揃ってその宗教を信じることになるだろうか。 証明されたからと言って全ての人が信じる訳ではないだろう。例えば、その宗教と別の宗教に属する人は改宗しないだろう。だが、何も信じていない人、つまり無宗教者はこれを機に信心するかもしれない。なぜなら無宗教者の大半は科学を信じているからだ。 ここで1つ疑問が浮かぶ。科学は宗教ではないのか。上記の例を見ると非常に類似しているように考えられる。 科学の次に信じられるものが出てきたなら

          科学と宗教

          知行合一

          自分の知識と行動は合致する、のような意味だったと記憶しています。この言葉に結構苦しめられたものです。今も時々苦しめられます。なのでこいつを分析してみようと思った次第です。 まずは例を考えてみます。「テストがあるとわかっていながら勉強しない」を考えてみましょう。「テストがある」とわかっている、そこで良い成績を取らなければいけない、これが「知」。では「行」はテストのため勉強をすることでしょうか。皆さんにもこのような経験がありますか? やるべきことは勉強です。しかし、それが難し

          知行合一

          一周まわって

          私は哲学(とまでいかない考えにふける時間)が好きだ。取り留めのないようなどうでもいいことについて納得いくまで考える。 すると大体は一般論にたどり着く。私としては考えに考えて到達した結論なので、素晴らしい意見だと思っている。ところが、人に話してみようとすると、「これ当たり前じゃないか」となる。 だとしても、自分の頭でたどり着こうとした努力は無駄では無いと信じたい。水平線の先にも大陸があると身をもって実感出来たような心地がするからだ。 「これってもしかして、皆すでに考えたこ

          一周まわって

          責任を追求して凹む

          なにか悪いことが起こってしまって、そのとき明らかに自分が悪ければ素直に反省する訳だが、そうでない時、すなわち責任の所在が明らかでない時は困る。 そんな状況下ではストレスが溜まり、誰かを責めたい気持ちが湧く。これはごく自然な事だろう。ところが、責めようにも誰を責めて良いものか分からない。 一旦冷静になって責任を探す。いったい誰が悪いのか当時を振り返ってみる。すると、当然ながら自分の行動しか評価できない。相手の気持ちとか、行動の理由とか、自分以外は不明瞭なものが多すぎる。結局

          責任を追求して凹む

          運転が怖い

          ついに高校を卒業する時期がやってきた。いよいよ学生生活も終わりを迎える。進学する人や就職する人、周りには様々な選択をした人達がいる。 進路の選択は様々だが、どの進路であっても、ほとんど共通する選択がある。自動車学校だ。おそらくはこのタイミングがベストであるだろう。ほとんどの人が免許取得を目指す。私も同じ選択をした。 最初は学校内で練習をした。緊張もあるが楽しかった。自転車と違い、軽くペダルをふむだけでぐんぐん進むので、感覚がおかしくなった心地がした。思ったよりもハンドルが

          運転が怖い

          読書感想文「人間失格」

          そういえば読んだことがなかった。教科書で読んだことのある太宰治の作品は「走れメロス」くらいだったと思う。 「人間失格」はある1人の青年の生涯を振り返るような作品である。青年が残した3つの手記を我々が読むのだ。後の手記になるほど歳をとっていく訳だが、歳をとるにつれて人間らしくなっているように思う。青年の、幼い頃の異常さは失われていった。 私がもっとも印象に残った場面は、青年の妻が穢されるシーンの描写だ。具体的に観察されている訳ではない。ただ、青年の妻の「信頼する心」に傷がつ

          読書感想文「人間失格」

          好きなはずなのに、あれ?

          なぜかやりたいと思えない。私は高校生の時から英語が得意でテストでは常に良い点を取れていた。大学でも英語を学びたいと思って言語学習に力を入れている所を選んだ。 しかしなぜだか、英語を勉強したいと思えない。授業も面白いし、理解出来ていて、モチベーションが失われた訳でもない。なのにテスト前でもないと自主的に学ぼうとは思えない。 そんな時にふと物理に関しての本を読んだ。とても面白かった。理系科目はさっぱりだった私がこんなに物理を面白いと感じるなんて意外だった。 それに乗じて、久

          好きなはずなのに、あれ?

          向き、不向き

          向き、不向きには2段階ある。 最初の選別は好き嫌いによって行われる。勉強が好き、運動が好きなど。主に物事を始めるきっかけを与えてくれる。 その次に得意、不得意が選別を開始する。こちらは主に、続けるモチベーションを与えてくれる。

          向き、不向き