「note77日連続投稿です」「続けることに意味も価値もないです!」「はぁ?」
昨日の時点で、noteの77日(11週)連続投稿を達成しました。「達成」という言葉を使うこと自体烏滸(おこ)がましいですし、別に難しいことをやっている訳ではないのですが、時々「凄いですね!」というコメントをいただきます。しかし、凄いかどうかは、人によって評価が分かれるところです。
今回はそれについてお話しします。
9月3日から昨日の11月18日まで77日間連続投稿を続けていますが、続けることに意味や価値があるかどうかは人それぞれです。
なぜなら、本来、noteの使い方は人によって異なるからです。
例えば、次のような例があります。
1.純粋に自己表現を楽しんでいる人
・人間ぐらい創造を楽しむ生き物はいません。その創造を文章を書くことで楽しんでいる人たちがいます。こういう方々の場合、毎日の投稿に意味はありません。自己表現したい時に書けばいい訳です。
2.良質の記事を書きたい人
・生きている間にこの世に何かを残したい人は、良質の記事に拘るはずです。「1」同様に、毎日投稿をする必要がありません。
3.記事を売りたい人
・このタイプは、毎日記事を書くことでその質が落ちる可能性があります。記事の購入者様を満足させるためには、投稿回数より記事の中身が重要です。
4.毎日投稿することに拘っている人
・こういうタイプの場合、記事の質は問題ではありません。日記や備忘録でも簡単に毎日投稿できます。
5.反響を楽しんでいる人
・純粋に「スキ」や「フォロー」が欲しくて記事を書いている方もいるはずです。この場合は、投稿回数を好きなように選択できます。
6.誰かの役に立つ記事を書きたい人
・上の「2」や「3」と重なりますが、この信念で書く人もまた毎日投稿に意味や意義はありません。どこかの誰かの役に立つ記事を書いて、コメントで「ありがとう」と書かれればそれで大満足の方もいます。私のように(笑)。
要するに、人によって第一義的なことが異なるということです。自分自身がどこに重きを置くかによって、投稿回数は違ってきます。
ですから、毎日の投稿自体が凄いかどうかは、その人の目指すところによって評価が変わってくることになります。毎日投稿を目指していて挫折した人から見れば、私や諸先輩方の連続投稿は評価の高いものになるかもしれません。
私の連続投稿はいずれ途切れるはずです(笑)。しかし、連続更新が止まったからと言って、私自身の私に対する評価は変わりません。
その場合、また投稿を始めるだけです。
あまり毎日投稿に拘ることなく、一緒に書くことを楽しみましょう。
私も自己表現が楽しいです。
毎日ワクワクしています。
だからこそ、小さな幸せを実感できるのです。
以上です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
昨日は2回投稿しましたが、届いた通知は2種類でした。4回投稿の時も4種類でした。noteの運営者側で何種類用意しているのか気になるところです(笑)。
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