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『幸せだと思いなさい』:幸福感の社会的強制は幸福度を低める

📖 文献情報 と 抄録和訳

幸福でなければならないという社会的圧力を感じることは、特に幸福な国々において、幸福度の低さと関連している

Dejonckheere, Egon, et al. "Perceiving societal pressure to be happy is linked to poor well-being, especially in happy nations." Scientific Reports 12.1 (2022). 17;12(1):1514.

🔗 DOI, PubMed, Google Scholar

💡 ハイライト
- 世界幸福度の高い国で「幸せだと思いなさい」という社会的圧力を感じている国民が報告した幸福感が、世界幸福度の低い国の国民が報告した幸福感よりも低かったことを明らかにした論文が、Scientific Reports に掲載される。
● Nature 注目のハイライト >>> doi.

[背景・目的] 幸せは貴重な経験であり、社会は国民が幸せであることを望んでいる。この社会的コミットメントは称賛に値すると思われるが、ポジティブ(対ネガティブ)を過度に強調することは、達成不可能な感情規範を生み出し、皮肉にも個人の幸福を損ねることになるかもしれない。

[方法] 個人が受けた「悲しむのではなく幸せだと思いなさい」という社会的圧力から幸福感の感情的指標、認知的指標、臨床的指標がどのように予測され、この関係が、各国の幸福感の評点(世界幸福度)に応じてどのように変動するのかを調べた。調査対象となったのは、40か国の7443人で、精神的安寧、生活への満足度(認知的幸福感)、気分愁訴(臨床的幸福感)についての調査が行われ、肯定的に感じることに対する社会的期待をどう受け取っているかに関する自己申告を調査対象者に求めた。

[結果] 平均的な国では幸福の有害な関連性が現れるが、これらの関係の強さは国によって異なる。人々が感じている「幸せでなければならない」「悲しんではならない」という社会的圧力は、世界幸福度指数の高い国において、特に幸福度の低さと関連していることが示された。幸福感が低いことの具体的な内容としては、生活満足度の低下、肯定的感情の頻度と強度の低下、抑うつ・不安・ストレスの症状の増加などがあった。幸福感の指標の大部分において、「幸せだと思いなさい」という社会的圧力と幸福感の低さとの関係の強さは、世界幸福度の高い国の方が、低い国の約2倍になっていた。

[結論] 我々の研究は横断的であるため、因果関係を結論づけることはできないが、我々の発見は、社会的感情評価と個人の幸福との相関関係を強調し、国の幸福レベルが高いと、一部の人にとって不利益になる可能性があることを示唆している。

🌱 So What?:何が面白いと感じたか?

たとえば、あなたに同僚Aと同僚Bがいたとしよう。

同僚Aは、近づいてきて、ただこういった。
「なぁ、おれって優しいだろ。優しいよな。おい、優しいと思えよ」
患者さんと歩行練習中のあなた。その歩行路に椅子が立ちはだかっているのを見つけて、同僚Bは、その椅子をそっとどけた。こちらを振り返ることもなかった。

どちらが、優しい同僚だと思う?
明らかに同僚B。だけど、その理由を説明できるだろうか。
僕が考える1つの回答を、以下に示してみる。
それが、この研究を読み解く鍵になる。

その回答は、「感情・価値観が生じ、分化する過程・仕組み」だ。
この仕組みを考えるときに、吊り橋効果(Suspension Bridge Effect)とその実験が参考になる。

✅ 吊り橋効果:吊り橋を用いた実験
- カナダにある2つの橋(吊り橋と固定された橋)が舞台となった。
- 18歳から35歳の通りすがりの男性を対象とした。
- 男性がいずれかの橋を渡り始めると、インタビュアー (男性または女性)から声をかけられる。
- 質問への回答に協力してもらった後、インタビュアーは名前と電話番号を書いたメモを男性へ渡し、後でもっと詳しい研究の説明をしたいので電話をくださいと伝える。
- その結果、男性が女性のインタビュアーへ実験後に電話をかけてきた人数は、吊り橋条件のほうが固定の橋条件よりも統計的に多かった
- 一方で、男性が男性のインタビュアーへ実験後に電話をかけてきた人数については、上記のような差は見られなかった。
- つまり、吊り橋の上といった恐怖からくるドキドキ感を、異性に対する恋愛感情であると勘違いしたと考えられた。
📕 Dutton et al. J person soc psychol 30.4 (1974): 510. >>> doi.

この実験から示唆される、感情や価値観の想起から分化のプロセスとは、ざっくり以下の2 stepようなものだ。

①感情や価値観は方向性を持たないエネルギーとして生じる(未分化感情);なんかドキドキ
②自分を取り巻く状況や現実から分析的に方向性が規定される(分化感情);ドキドキしていて近くに女性がいる、つまり僕はこの人が好きなんだ!

このStep2は「自己知覚理論」と呼ばれたりする。
これで、ようやく感情や価値観の定義を共有する準備が整った。
『現実・実体から分析的に生じる実体なきもの』、それが感情や価値観だ。
『水』に似ているかもしれない。
水は方円の器に従う。
(水は、容器の形が四角ければ四角になり、円ならば円になる)
感情や価値観も、現実や状況という器に従う。
だから、四角い感情作りたかったら、四角い実態を持った現実や状況を用意するしかない。
水を素手で形作ろうとするのは馬鹿げている、そう思うだろう。それと同じくらい、感情や価値観を強制することは、馬鹿げたことだ。

同僚Aほどではないが、そんな馬鹿げたこと、やっちゃっているのが僕たちだ。
たとえば、歩行練習の後、「良かったですね」とか言っていないか?
膝関節の疼痛への介入の後、「痛くなくなりましたよね」とか言っていないか?
子どもが転んでギャン泣きしているとき、「大丈夫だよ!痛くないよ!」とか言っていないか?
いいか。
感情の舵は、すべからく本人が握っている。
いや、本人すら握っていないのかもしれない。
現実が、状況が、勝手に解釈を要求するんだ!
だから、杖歩行した後には、「以前より左への重心移動量が大きくなりましたね」とか。
だから、膝疼痛への介入の後には、「以前より熱感と腫脹が減っていますね」とか。
子どもが、ギャン泣きしているとき、「つまづいて膝を打っちゃったね」とか。
現実や状況を伝えろ、解釈を容易にする『情報』を提供しろ。
その提供する情報の種類とか光の当て方とかは、お前の腕の見せ所かもしれない。

人が認める理由
あることを人が認める、その場合は三つある。
まずは、その事について何も知らないから。
次には、それが世にありふれているように見えるから。
そして三つ目は、すでにその事実が起こってしまっているから。
もはや、そのことが善悪のどちらなのかとか、どんな利害が生まれるのかとか、どんな正当な理由があるかなどということは、認める基準にならないのだ。

ニーチェ 『曙光』

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