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メキシコTemazcal編②浴室を司る、個性豊かな神々とシンボリズムの世界

前回の記事の最後に表明したとおり、ここから先は、民族や時代によってさまざまな流派がある(と言えるかもしれない)メキシコ・プレヒスパニック時代の蒸気浴文化の中から、temazcalliという言葉を生んだナワトル語の話者ナワ族が今日まで継承・実践してきた、本家テマスカルの世界観や実際の入浴法を浮き彫りにしてゆきます。


アステカ神話が土台となったテマスカルの世界観

ナワ族(のなかの自称「メシカ」たち)が、最後に栄華を極めた舞台がアステカ帝国であったことは前回も述べました。そしてそれゆえ、ナワ族が今日まで受け継いできたテマスカル文化にも、アステカ神話の世界観や宗教儀礼が、かなり直接的に影響を与えています。

スペイン征服後にも奇跡的に焚書されずに残った『ボルジア絵文書』のレプリカ。
ナワ族の神々、儀式、占い、暦、宗教に関する詳細が描き込まれている

アステカ神話は、数あるメソアメリカ神話世界の極致?

アステカ文明が勃興したのは14世紀でしたが、今日「アステカ神話」として知られているメシカたちの信仰対象や宗教観が、当時ゼロから生まれたというわけでは決してありません。彼らがアステカ文明を築いたメキシコ盆地でも、テオティワカン文明(紀元前2世紀から6世紀)のように、はるか前から別の文明が発達しており、そうした過去文明の神々や宗教観が、アステカ神話もに強く影響を及ぼし素地をつくっています。

さらに、アステカ帝国が周辺地域に勢力拡大するに従い、別の地域で信仰されていた神話がアステカ神話に取り込まれた例もあれば、アステカ帝国とは距離を隔てたユカタン半島で数千年に渡り高度な文明を築いたマヤの神話とアステカ神話との間にも、類似するモチーフやストーリーがたくさん出てきます。つまりアステカ神話は、長大な歴史の中で編まれたさまざまな神話を受容しながら構築された、メソアメリカ諸文明の集大成ともいえる信仰の世界観を内に秘めているのです。

ともに推定9世紀ごろに建造されたと伝わるマヤ文明のカバー遺跡(上)とコバ遺跡(下)
マヤの宗教観や価値観も、アステカ文明に大いに影響を与えた

アステカ神話をざっくり理解したければ、この本がオススメ!

アステカ神話と一口に言っても、そこには創造神話、世界の構造、暦、アステカの建国神話、そして個性豊かな神々たち…と、途方もない世界観が内包されており、とてもここで要点をまとめることはできません。

もちろんアステカ神話に関する書籍や情報源は、日本語で読めるものでも無数にありますが、私が旅行前にさっと読んで、取り急ぎそのカオスな全体像を把握するのに役に立てたのは『面白いほどよくわかるアステカ神話』(高安正明著、ミスペディア編集部)という一冊でした(Kindleで読めます)。

もちろん、複雑な世界観をもっと高尚・マニアックな次元で理解したい人には、もっと相応しい専門書もいくらでもあると思いますが、知識ゼロの段階でにわかに読むにはハードルが高いです。かといって世界の神話を寄せ集めたような概説本では物足りなさを感じるので、一冊まるっとアステカ神話だけに特化しており、要点がまとまっている(あるようで他にない)本書は、簡易予習&おさらいには十分用が足りました。
コンパクトな入門書をお探しの方は、ぜひチェックしてみてください!

テマスカルを司る守護神たちの紹介

アステカ神話においては、あらゆる場や物事に宿る、由来や性格が細かに設定された個性豊かな神々の存在が欠かせません。その中にはもちろん、テマスカルの守護神も存在します。

汚物の女神!? 地母神 Tlazōlteōtl(トラソルテオトル)

『ボルジア絵文書』に描かれた地母神トラソルテオトル(左の股を拡げた赤い顔の神)

テマスカルの守護神として伝わるのは、トラソルテオトル(Tlazoltéotl)と名付けられた地母神(=大地の生命力や豊穣を神格化した女神)のひとり。ところが、その名の由来にはいささか意表を突かれました。ナワトル語でtéotlは「神」ですが、前半のtlazol(tlazōlli)は「汚物」を意味するというのです。その文字通り、ナワ族の神話世界では「不潔で肉欲的な受胎の神」と描写されるトラソルテオトル。不憫すぎるやろ…

トラソルテオトルは、まがりなりにも豊穣と出産の守護神であるはずが、なぜにこんな気の毒な由来を背負わされているのか…。ところがホアンさんに言わせれば、「汚れの神は、転じて浄化や蘇生の神」でもあるそうなのです。

トラソルテオトルの傍らに描かれた台車のようなものは、
彼女が取り込んだあらゆる汚れを浄化するコンポストのような装置として機能する

このトラソルテオトルの傍らに描かれた台車つきクリームソーダのような装置を介して、彼女が引き受けたあらゆる汚れ、ゴミ、罪業、屍を清らかで有機的なへと生まれ変わらせ、再び土壌に還すことができるのだそう。つまり汚物の女神は、この世の汚れや罪や死の一切を浄化して再び母なる大地へと転生させる、まるでコンポストのような能力を備えた神だったのです。
この解釈には膝を打って納得しつつ、そういえば『風の谷のナウシカ』での、人間に忌み嫌われる腐海の森も、実は汚染された土を浄化して地下に還す役割を果たしているのだ…というあのナウシカの気づきをぼんやり思い出していました。

この話を踏まえれば、なぜ汚れの女神トラソルテオトルが「テマスカルの守護神」なのかも、にわかに合点が行きます。ナワ族にとって、テマスカルとは浄化と蘇生の場であり営みに他ならないのです。

入浴行為を通じて心身を浄化し蘇生する…この観念自体は、この「サウナ比較文化学」の他国文化に関する過去記事でもおなじみの、まさに万国人類共通のイデオロギーですね。はるばる遠い地まで来たけれど、ああ結局ここでもそうだったか、と、安堵のような小気味よさに満たされます。

ドーム状に造られることの多いテマスカル浴室は、
蘇生や出産を司るトラソルテオトルにあやかり「女性の子宮」を象徴している
神話の中で、トラソルテオトルはメキシコの食文化を支える
とうもろこしの神センテオトルを出産したとされる。
テマスカル前のお供物の中には、もちろんとうもろこしの種もあった

二元性を備えた創造神 Ometeotl(オメテオトル)

トラソルテオトルのように直接的な「テマスカルの守護神」というわけではないのですが、テマスカルの儀式中にずっと崇め続けることになるもう一人の神が、オメテオトル(Ometeotl)という創造神です。

2体の身体が一体化したようなビジュアルのオメテオトルは、
二項対立する物事の両面を常に兼ね備えた、完全無欠の象徴神

ナワトル語で omeは「2」を意味します。まさにその名の通り、オメテオトルはあらゆる事象の二元性の象徴神であり、その二項対立する物事の両面を兼ね備えた完全無欠の「万物の主」として描写される気高き創造神の1人です。

二項対立する事象というのは、例えば天と地、光と影、昼と夜、善と悪…など。それらの二元性の両極を司るオメテオトルの超越性にあやかり、テマスカルの儀式中は「オメテオ(ㇳ)!」という言葉を皆で幾度も幾度も叫びます。テマスカルの入り口を出たりくぐったりするときも、土下座姿勢で必ずオメテオと唱え、深く一礼することを求められるのです。

テマスカルの内外を行き来する際には、必ず「オメテオ」と唱える

ナワ族がオメテオトルを完全無欠の神としてとりわけ崇め、テマスカルという蘇生の儀式においても「オメテオ」という言葉を終始連呼して心身に植え付けるのは、二項対立する事象が対峙し共存・融合することで「均衡」がもたらされ、それによって「世界が整う」という考え方に基づくものだと、ホアンさんは説明してくれました。また究極的には、天地、つまり「この世」と「あの世(神々の住まう世界)」の融合や共生を象徴しています。
まさか、日本の裏側の国にあるサウナのなかで「ととのう」という言葉を耳にすることになるとは…。思えば、日本人のサウナ浴という「温冷交代浴」も、暖と寒という二元性の先に待つ穏やかさを心身で尊ぶ行為。こうした感覚もまた、時と場所を超えて人類が共有できる類のものなのでしょうか。

テマスカルの儀式を支配する4という数字

あるテマスカルでは、空間の中央に菊の花によって四方に伸びる十字が象られていた

これらの守護神への畏敬をベースにした観念や作法だけでなく、テマスカルでは、さまざまな「シンボリズム」に基づく儀礼プロセスが見られました。詳しくは、次回以降の記事で具体的な作法を紹介しながら説明していこうと思いますが、今回は、儀式中にとりわけ重要視され、形を変えて繰り返し現れる「4」という数字の担う象徴性に、次回予習を兼ねて触れておきます。

テマスカル儀式においては、さまざまなシーンで4という数字が強調されます。まず浴室への入室前には、東西南北の4方向を順々に巡り、それぞれの方角を向きながら天地に祈りを捧げます。

先導師のホアンさんが法螺貝を吹いてはナワトル語で叫ぶ祈祷呪文を、皆で復唱する

テマスカル前に配置されるお供物も、四角形が対角線によって4分割され、赤青黄黒の4色に色分けされた布の上に集められます。

4色に分割された布の上に、儀式で使われる用具やお供物がぎっしり乗せられる

そしていざ入室してからは、一連の儀式がプエルタ(=扉)によって4つのセッションに分割されており、それぞれのセッションが始まる前に扉を開けては、蒸気を点てるための新たな焼け石を室内に運び入れます。各回で運び入れる石の数もきっちり決まっており、13個×4回と、最終的には52個の石が室内中央のくぼみに積まれるのです。

4という数字が、この世界を構築する東西南北の四方位を象徴しているであろうことはすぐ想像が及びますが、それだけではなく、実は上述した「4つの扉」という観念こそが、「蘇生」を最終目的としたテマスカルの一連儀式の根幹をなしていると言います。

新しい扉が開くごとに、新たな焼け石を追加してゆく

テマスカルには、実際の入口は1つしかありません。その「扉」は各セッションが始まる前にのみ、換気や採光、石の搬入をために開閉されるのですが、これをその都度「新しい扉(プエルタ)を開ける」と表現するのです。ではなぜ4つの扉なのか。それは、各セッションにおいて「風(大気)、土(大地)、水、火」という自然界の4大元素(の精霊)に畏敬を払い、1つの扉を開けるごとに1つずつエネルギーを分け与えてもらうという考え方をするからです。

蒸気浴室の内部には、これらの四元素が常に共存しています(風=蒸気、土=石、水、火)。ですから、蒸気浴という営みは名実ともに自然四元素のエネルギーの力を借りて浄化を促し、心身を蘇生に至らしめる行為なのです。

さて、この四元素のくだりに、既視感を感じてくださる読者はいるでしょうか…? 過去にこの記事で紹介した、リトアニアの蒸気浴文化ピルティスの「象徴的行為」に出てくる四元素とまったく同じですよね。さらにいえば、フィンランドのサウナ浴の伝統においても、「水・火・空気・土の自然四元素が宿っているサウナは、必然的に神聖な空間である」という価値観が古来根付いていました(ただしフィンランドの場合は、5番目の特別要素として「ロウリュ(蒸気)」を併置させる観念もあったようですが…)。

次のプエルタを開くころには、互いの顔も認識できないほどに
真っ白い蒸気が暗がりの空間を満たしている

世界の入浴文化を知れば知るほど、私が「結局どこも一緒だな」という思いを強めてゆくのは、もはや必然なのでしょうか。人間の創造力や思考力は途方もないようで、根っこの部分では皆ひとつの糸で束ねられているような気がしてなりません。

次回予告。

本記事の後半で、4という数字が象徴する部分を抜粋して儀式のようすを描写しましたが、次回は改めて、具体的にどんな営みがテマスカルの中で行われるのか、詳しく紹介したいと思います。

(写真:村瀬健一)


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