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リトアニアPirtis旅⑤ 土着信仰と異文化と時間軸のせめぎ合いの果てに

2020年夏のフィールドワークを基にしたリトアニアン・サウナ=Pirtis(ピルティス)の取材・考察記事が、④バスマスター養成アカデミーについての記事を最後に、完結の寸前で何年も置き去りにされてしまっていました…。言い訳がましいですが、この数年は『クリエイティブサウナの国ニッポン』の執筆や『究極のサウナフルネス』の翻訳編集などにかまけ、すっかり業務外に「書く」ことに億劫になってしまっていました。。

あれからCovidパニックも(一応)収まり、ロシアのウクライナ侵攻という世界的懸念事項が新たに増えたものの、ひとまずまた自由に海外渡航できる時代が再来しました。その間の、日本でのウィスキングブームの高まりを背景に、今夏は多くの日本人サウナ愛好家や施術者たちがリトアニアなどバルト三国にも足を運び、本場の知識経験を吸収しにきているようですね。

私もまだ、世界の入浴・公衆浴場について比較文化学の観点から知見を深めたいという意欲は依然人一倍ありますし、まだ公開できていないこれまでの世界各国の取材記録もたくさんあって、さらに今後の調査・関心事項についても、このサイトに書き出してアーカイブ化してゆきたいという思いは決して消えておりません!!
そのリスタートのため、まずは数年越しに、リトアニア編をここに完結させたいと思います。

「魂の救済」に通じる儀式的行為としての、ピルティス浴

ここまでも、リトアニアにおけるPirtisという入浴文化が、単なるリラックスや快感を求める日常習慣としてだけでなく、いかに精神の浄化にも関わる「神聖な」場であったか、ということを すでにお話してきました。

リトアニアの入浴文化研究の権威である民俗学者のStasys Daunys氏は、そもそも古来リトアニアにおいて、ピルティス浴は日々の「魂の救済」に通ずる儀式そのものだったと指摘しています(*1)。
というのも、バルト諸国の古代信仰においては、「自分たちの代わりに苦しんでくれる〈絶対神〉に祈りを捧げて崇拝する」ことではなく、「〈世界創造〉へとつながる営みに自ら加わる(=象徴的な行為を儀式化して自ら実践する)」ことが、何より贖罪や魂の救済につながるという観念が根底にあったのだそうです(*2)。そして、ピルティスでの水・火・空気・土の自然四元素を包括した「入浴」という行為は、まさにこの世界の創造(人の誕生や出産から、豊穣に関わるまで)のイメージをさまざまに象徴する、特別な営みでした。
実際にピルティス浴が土着信仰との関わりにおいて特別な意味を持つことを示す伝承は、今日まで数多く残っているのだそうです。

バルト諸国は、多くの神々と多彩なアミニズム信仰が根付く地だった

現地で聞かせていただいた、「ピルティスと土着的な自然信仰との結びつき」を示す一例を挙げると、例えばある地域では、ピルティスにおける焼け石と水を、雷と雨水になぞらえるのだそうです。
雪解けの季節が終わり、雨が降るとともに、雷は大地に「熱い石」を落とす。この熱い石には生と癒やしのエネルギーが宿っていて、とりわけ春に最初の雷鳴がとどろき雷雨が降ると、地にエネルギーが漲り、植生が回復し、農耕の季節の始まりの合図になる……。つまり、ピルティスで癒やしの蒸気を発生させる石と水は、豊穣をもたらす雷雨の象徴であり、逆に自然界の雷雨のことを「ピルティス」と呼ぶこともあったそうです。

また、リトアニアおよび隣国のラトビアに共通する古代信仰(自然界のあちこちに神々の住まう世界観)における重鎮が、太陽神サウレ(リトアニア語:Saulė/ラトビア語:Saule)でした。サウレは女神で、生命・豊穣・温暖さ・健康を司ります。現代でもリトアニアやラトビアでは、夏至の夜に盛大な夏至祭を行ないますが、その起源はサウレを崇め祀る祭りでした。夏至祭の合間にピルティスに入る習慣が残っているのも、その女神の持つパワーを思えば不思議なことではありません。

このように、リトアニアを始めとするバルト諸国の小国たちは、言語も古く希少ならば、宗教観においても、古来さまざまな特有の自然信仰を宿す「神々の住まう地」でした。ところが、その後の周辺国の進攻や他宗教の流入に翻弄され、土着信仰の存在もずいぶんと揺さぶられたのです。
特にその大きな脅威となったのが、中世のキリスト教流入に伴う宗教的排他主義と、第二次世界大戦中のソ連編入に伴う同化政策でした。

キリスト教改宗の裏でも根強かった土着の自然信仰や入浴文化

キリスト教の象徴である十字架と、土着する多神教信仰の要素がミックスされた、リトアニア特有の少し奇妙な十字架デザイン

リトアニア全土にキリスト教(ローマ・カトリック)が普及したのは16世紀ごろだと言われますが、キリスト教化を目論むドイツ騎士団(北方十字軍)との抗争は13世紀から激化。結果として欧州有数な強大国、リトアニア公国(のちにポーランド・リトアニア共和国へ)が成立したものの、国土では着実にキリスト化が浸透してゆきました。
キリスト布教の大義名分を掲げるドイツ騎士団は、土着自然信仰との結びつきが強いピルティスの文化も徹底排除しようとしました。当時とくにその影響力が強く及んだエリアによっては、今日もピルティス文化の名残が薄くなっていたりするのだそうです。

とはいえ、歴史上、概してリトアニア人は自分たちの土着信仰への執着が強い民族であり続けました。名目上キリスト教が国教になってからも、とくに農村部では、従来のアミニズムや多神教が目立たないかたちで信仰され続けていたようです。ラウメさんから、「街なかでは十字架に注目してみなさい。リトアニアの多神教への信仰心を暗喩する、太陽や蛇を象った奇妙な形のものが多く見つかるはずよ」と聞かされていましたが、カウナスの街で泊まっていたカトリック系の宿の中庭で、さっそく発見!(上の写真)
これはまさに、キリスト教と彼らが守ってきた古代信仰の共存の象徴なのです。

夏至祭に大焚き火を焚く文化は、フィンランドでもバルト諸国でも共通。ただし、太陽神を祭るリトアニアとは違い、フィンランドの土着信仰においては、太陽の軌道のピークに動き出す悪霊を追い払う儀式という意味合いが込められている

先述した「夏至祭」も、実はキリスト流入後は「聖ヨハネスの生誕祝い」という名目の祝祭に無理やり合併させられて今日に至ります(同じく、冬至祭がクリスマスに強制併合)。とはいえ、バルト諸国でもフィンランドでも、呼び名上はキリスト行事の「名目」を保ちながらも、祭りの形式は今なお、土着のアミニズム信仰色の強いままなのです。

ソ連が植え付けた「公衆バーニャ」文化も根付かず終いに

さらに近現代(とくに19世紀以降)においては、ロシア帝国への強制編入に対抗するための民族運動の一環として、「ペイガニズム」と呼ばれる、キリスト教から異教とみなされた民族宗教の復権運動が、とくにリトアニアで盛んになりました(バルト・ネオペイガニズム)。この流れの中で、キリスト教国化以降、徐々に意義や習慣が薄れつつあったピルティス浴の、思想やメソッドへの関心や復興意欲も自然と再燃したのだと言います。

ところが1940年に、ソビエト連邦が第二次世界大戦の混乱に乗じてバルト三国を占拠し、強制的にソ連編入させてからは、こうした民族運動やペイガニズムも徹底抑圧され、ソ連の社会文化への同化政策が強化されました。入浴の場であるピルティスは、行為自体は直接的に抑圧されることはなかったものの、もはやそこで土着文化との交わりや儀式色を押し出すことは難しくなります。

いっぽう、ピルティスに代わって戦後リトアニアの諸都市に突如建てられ始めた「異邦」の入浴施設が、ロシア版公衆浴場「バーニャ」です。バーニャもピルティスも(そしてフィンランドのサウナも)、密室内で焼け石に水をかけて発生させた蒸気を浴びるという蒸気浴の場であることには、相違ありません。
ですが、ロシア人の好む温度設定は全く違った……という話はこちらの記事で述べた通りですし、リトアニア人は今も昔も、サウナ師の先導のもと、家族や友人、ご近所さんレベルの小さなコミュニティで入浴を楽しむのが主流。大規模な浴場で、見知らぬ人が集って盛大に「我慢大会」をする公衆バーニャにはいまいち馴染めず、結局客はロシア人がほとんどだったと言います。

2000年代に、公衆バーニャを手本にしつつ現代的にリメイクされたリラクゼーション入浴施設外観

ソ連解体後は、このようなロシアスタイルの公衆浴場はあっさりと街から姿を消すことになり(ラウメさんの話では、2020年の段階で首都ビリュニスのロシア人居住区に2軒だけ老舗バーニャが残存とのこと)、もちろんその後に公衆バーニャやドイツ式スパを手本に作られた公衆浴場やスパ施設も都会にないわけではないですが、それらはいずれも、リトアニア人にとって本来の自国文化という感覚はあまりないのだそうです。

それぞれの国の、現代への伝統文化の受け継ぎ方

こうした激動の時代を経て、今日のリトアニアで、再びピルティスという入浴文化が、その様式だけでなく土着的・内面的な意味合いを取り戻し、アカデミック機関も設立されて国際的な注目も受けながら、現代そして未来へと受け継がれつつある……という一連の流れは、まさに伝統文化継承というチャレンジの絶妙なロールモデルの一つだと、個人的に評価しています。

入浴文化に限らず、あらゆる伝統文化は、なんらかの形で「世俗化」や「文明化」することなしには、現代にまで生き残れません。フィンランド・サウナの場合、サウナ室(ストーブ)の技術自体をどんどん進化させたり、入浴の場を拡張してゆくことで、現代人の住環境や生活スタイルに柔軟にフィットするサウナ室や入浴法を獲得し、その結果、今日「どこの国よりもサウナ浴が身近な民族性」であり続けているのは誇るべきことです。
ですが、そういった世俗化や文明化を推し進めた結果、今日のリトアニアや他のバルト諸国ほど、サウナ文化古来の「精神性」や「神聖さ」を変容させず極力維持できているかといえば、(もちろんフィンランド国内にだってそういう部分もちゃんと残している人々や地域もありますが)、その点においての軍配はやはりバルト海対岸の国々に上がる気がします。

ただし、それでは模倣や波及が難しいという課題も生まれます。いくら他国の人が「ウィスキングブーム」に乗じてにわかに所作を模倣しても、本来そこに根ざした奥深い「土着性」や「内面性」までは、なかなか他者には伝搬や共有がされづらい。でもだからこそ、AIやコピー・アンド・ペーストに牛耳られたこの世界において「自分がそこに行かない限りは真髄を体験できない」ピルティスの価値は、今後ますます大きく、尊くなってゆく予感もしています。

リトアニア・ピルティス編、これにて完。
最後までお読みくださりありがとうございました!Ačiū!!

次回からは、西アジア(コーカサス地方)の入浴大国ジョージアの「アバノ」文化と歴史について詳しくお話してゆく予定ですので、どうぞお楽しみに!


*1-2 Stasys Daunys: Paprotinės pirties soteriologiniai aspektai, Pirtis ir moters nepaliečiamumo teisė Lietuviškoje tradicijoje

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