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メキシコTemazcal旅①文明滅亡後もテマスカルを手放さなかった先住民族たち

いよいよこの記事から、中米メキシコに伝わる蒸気浴文化の「テマスカルとは一体なんなのか」という本題に切り込んでいきたいと思います!
が、初回は例によってやや偏執的な言葉のルーツと歴史に関するお話です。


ナワトル語由来の「テマスカル」は、どんな意味?

前回の準備編の最後にご紹介した、今回の私たちのフィールドワークに全面的に協力くださったナワトル語話者の先導師ホアンさんに尋ねたところ、テマスカル(Temazcal、ナワトル語での正確な発音は”temazcalli”)という言葉はメキシコ先住民の言語のひとつであるナワトル語で「熱い石の家」という意味の古語だと説明くださいました。

テマスカル内での儀式中は、真っ赤になるまで焼いた石を次々運び入れて水をかけ蒸気をたてる

ところが、いろいろな本やサイトを見ていたり、他のメキシコ人に尋ねてみると、他にも「熱い家」「蒸気の家」「発汗の家」などそれらしい訳がいくつも新たに登場し、困惑させられました。”calli”が「家」なのは確実なようですが、前半の"temaz"部分は、そのような韻の単語自体が今日まで残っているわけではないので、長い歴史の中で解釈も諸説増えてしまったのかもしれません。

あるいは、一口にナワトル語といってもその話者は古くからメキシコの広範囲に居住していたのだから、スイス人言語学者ソシュールがかつて提唱した「言葉の恣意性」の理屈で、そもそも往時から"temaz"という韻に与えられた概念自体に、地域や人それぞれの幅があったのかもしれません(英語ではratやmouseという語で細分されている動物が、日本ではすべてネズミという語に集約される、みたいな話ですね)。事実、「熱い石の」「熱い」「蒸気の」「発汗」…は、今後紹介してゆくテマスカルという蒸気浴室の表現としてはすべて正しい、というかいずれも核心要素ですから。

ちなみにナワトル語は、今日まで正書法が標準化さなかった、すなわち口承で受け継がれてきた言語です。当然ながら、きちんと編纂された辞書や語源辞典も存在しません。これまで私が深掘り対象としてきた他の国々の「入浴」という言葉には、概してわかりやすく辿れるルーツ(語源)があったので、それ自体があやふや…という事例に私はむしろロマンを感じ、ニヤニヤしてしまいます。(はい、ただの呆れた入浴&言語オタクです。)

ナワトル語は、メキシコで最大話者数を誇る先住民語

ナワ族が居住する中部メキシコで多く採れる黒曜石は、
古来神々の言葉を映し出すパワーストーンとして重宝されてきた

「ナワトル語」やその話者である民族について、もう少し詳しく解説を加えます。そもそもナワトル語は、ユト・アステカ語族という、(中米にとどまらない)アメリカ・インディアンの語族に入る言語です。

実はメキシコ国内では、このナワトル語を含め計68言語もの先住民語が今日まで消滅せずに残っており、名目上はそれらすべてが、スペイン語とともにメキシコの公用語とみなされています。メキシコは、昔から相当な多民族国家だったのですね。

そのなかで、現在でも最大話者数を誇る先住民語こそがナワトル語。今日(2020年時点)においても、メキシコ国内でのナワトル語話者は180万人弱に及ぶそうです(もちろんその多くはスペイン語も常用していますが)。
メキシコの総人口が日本とほぼ同数の1億2600万人ですから、先住民語とはいえ、1.4%とそれなりの数の末裔話者が現存していることがおわかりでしょう。

メキシコ国内におけるナワトル語話者の分布図。
赤が今日ナワトル話者が居住する都市や集落、緑が植民地化以前のナワトル語先住民の居住域
(出典:"Nahuatl precontact and modern" From Wikimedia Commons)

なお現地の人たちは、ナワトル語を話す先住民族やその末裔の総称としてNahua(ナワ)という呼称を使っていたので、このシリーズ記事内でも、今後は便宜上ナワ族と呼びます。ただしナワトル語は方言の幅も広く、また今日までかなり混血も進んでいるので、いわゆる単一民族だと誤解はしないでくださいね。

上の地図が示すとおり、ナワ族たちのオリジナル居住域は、今日の首都メキシコシティを含む、メキシコ中部一帯に広く分布していました。そして世界史に精通している人なら、この分布図がおよそ、かのアステカ帝国の版図に大きく重なっていることにも気づくでしょう。

アステカ文明の栄華はナワ族の人々の偉勲

1519年(モクテスマ・ソコヨツィンまたはモクテスマ2世の治世下)のアステカ帝国版図
(出典:"The Aztec empire in 1519 during the reign of Moctezuma Xocoyotzin or Moctezuma II" from From Wikimedia Commons)

アステカ文明は、1428〜1521年までの95年間にわたってメキシコ中央部で栄えた、スペイン人渡来以前のメソアメリカ最後の文明です(※建国自体は1325年のこと)。ただし、どうやらアステカという呼び名は19世紀に造られたもので、当時アステカの人々(=ナワ族たち)は、自身のことをメシカ(Mexica)と呼んでいたそうです。言うまでもなく、このメシカという呼称が、今日の国名Mexicoの礎となっています。

どんなに世界史に疎い人でも、アステカ文明とマヤ文明をメソアメリカ(※メソ=中部)の2大文明として名前くらいは記憶していることでしょう。ですが蛇足ながら、メソアメリカには他にも大小数多の文明が過去に存在し、16世紀にスペイン人の征服を受け植民地化されるまでの何千年もの間、各地で栄枯盛衰を繰り返してきました。

ひとつ例を挙げれば、アステカ帝国の領土内(現メキシコシティから北東約50キロ地点)では、紀元前2世紀から6世紀まで「テオティワカン文明」と呼ばれる文明が繁栄していました。その中心都市の巨大遺跡が今もこの地に世界遺産として遺り、2大ピラミッドや神殿跡は今日も多くの観光客が訪れる人気スポットです。
このいにしえの廃墟都市の存在を、滅亡から数世紀の時を経て発見したのが、他でもないアステカ時代のメシカたちだったと言います。実は彼ら自身が、宗教色の強かったこの神秘的な古代文明に、「神々の都市」を意味する「テオティワカン」の呼称を後から与え、自分たちの崇拝対象にさえしていたそうです。

メキシコシティ郊外のテオティワカン遺跡に残る、太陽(上)と月(下)のピラミッド。
墓ではなくいわゆる神殿で、それぞれに背後の山の形状を模した山岳信仰が見られる

このように歴代いくつもの文明が、ときに衝突し、ときにリスペクトし、互いの文化や価値観に影響を受け合いながら群雄割拠を極めていたのが、メキシコ・プレヒスパニック(=スペイン侵略以前)の時代です。

なのに今日、短命だったアステカ文明ばかりが知名度も情報量も際立っているのは、最盛期の規模の甚大さはもちろん、スペイン人渡来以前のプレヒスパニック最後の(つまり現代から遡って最新の)文明だったから、に他ならないでしょう。スペイン人がメキシコの地に上陸したのが1519年のこと。そのわずか3年後に、スペイン軍は当時居住人口が数十万人にも達していた世界最大級のアステカ首都テノチティトランを完全包囲し、まもなく帝国を滅亡へと追いやりました。メシカたちの街は無惨に破壊し尽くされ、そこから長きスペインの植民地時代が始まります

アステカ暦のひとつシウポワリ(365日周期の太陽暦)の、
あらゆる象徴要素がぎっしり詰まったカレンダー

侵略行為自体はただただ酷いものですが、晩年のアステカ文明とスペイン人とが接触したことで、メキシコ先住民たちの知られざる世界観や生活様式が突如世界的に明るみに出たのも事実ですし、以後の植民地化によって表面上は自分たちの文化や信仰を徹底隠蔽させられた原住民たちが、その後もひっそりと頑なにプレヒスパニックの伝統を受け継ぎ続けてきたからこそ、土着的な神話や文化慣習や世界観のさまざまな断片が、今日まで消滅することなくメキシコの地にちゃんと息づいているのです。

テマスカルというプレヒスパニック時代の蒸気浴文化もまた、今日まで残り続け、現代を生きる私たちがその片鱗を体験できるのは、まさにその奇跡の賜物だと思わずにいられません。なにせ、同じく北米の原住民の入浴文化として知られるネイティブアメリカンの「スウェットロッジ」やエスキモーの「カシム」などは、今日では事実上もう消滅してしまったとさえ言われるのですから。

北米のネイティブアメリカンの典型的な蒸気浴室と構造の似た、
木の枝を編んで作ったテント屋根に布を被せて使用するタイプのテマスカル

テマスカル蒸気浴は、いつ生まれた誰のもの?

それでは、テマスカルという蒸気浴は、いつ頃からどの民族が実践してきた慣習だったのでしょうか?

まずその正確な発祥年代は、フィンランドのサウナ同様、今となっては特定しようがありません。現存する最古の遺構は1200年前のものだそうですが、ホアンさんも、発祥に関しては「少なくとも数千年前から」というアバウトな言い方をしていましたし、時代考証は私の任務ではないかなと思うので、ルーツについて今回これ以上深くは立ち入りません。けれどともかく、フィンランド・サウナ(や近隣国の蒸気浴文化)と同様遡れないほど歴史が長いのは確かそうです。

メキシコシティの街角で見かけた、先住民族たちのパフォーマンス

ちなみに、「テマスカル」がナワトル語ならば、少なくともナワ族がその発祥民族では?という考えも浮かびますが、それはやや短絡的でしょうか。他の地域の古代遺跡からも蒸気浴室の遺構はいくつも発見されているし、ナワトル語以外のたくさんの少数民族言語にも、同様の蒸気浴文化を指す独自の言葉が存在するからです。

例えば旅の後半、かつてマヤ文明が栄えたユカタン半島東部の、マヤ語族の末裔が暮らす村の薬草園を訪れたとき、あなたたちの言葉でテマスカルはなんと言うのかと尋ねたら、うまくカタカナに書き起こせませんが全く異なる呼び名を教えてくれました。けれど全くの別物かと言えば、その使われ方や構造について話を聞く限りでは、私が体験したナワ族のテマスカルと、さほど大差はないように感じられました(もちろん詳しく調査比較していけば、民族間での慣習の差異も見えてくるのかもしれませんが、今回はそこまでの徹底調査はできていませんのであしからず…)。

マヤ族の末裔の家族が営む薬草園で得た知見は、テマスカルとは関係ないけれど
どこかに書きまとめておきたいくらい興味深く目から鱗だった

ともあれ今日では、ナワトル語以外の原住民語話者でさえ、その蒸気浴室のことを「テマスカル」という〈共通語〉で呼んでいるのが事実です。オアハカの街では、サポテカ族という別の先住民が運営する蒸気浴室にも行きましたが、やはり呼び名はテマスカルでしたし、その内容や構造や基本的な世界観も、概してナワ族のテマスカル文化と近似していました。

つまり、テマスカルと同類の蒸気浴自体は、メキシコ各地で古くからさまざまな民族が実践していた。ただし、メソアメリカ最後の文明アステカの血を引くナワ族の「テマスカル」文化が数的にも形式的にも最もよく後世まで引き継がれたことから、今日ではメキシコに数多く存在する原住民族たちの入浴文化の代名詞や象徴となっていったのでは…というのが、私の現時点での仮説です。
…嗚呼この構図、既視感しかありません。北ユーラシア大陸の各地にほぼ同類の蒸気浴の伝統があり、それぞれの言語で独自の呼び名があるにも関わらず、結果的に一番良く現代まで引き継がれて対外プロモーションにも成功したフィンランド語の「サウナ」が、あたかも全蒸気浴文化の代名詞のように認知されてしまった…という歴史と、ほとんど同じではないかな、と(笑)

オアハカにあるテマスカルでサポテカ族の先導者が行なっていた儀式行程も、
基本的にはナワ族のものと同類だった

さらにこれも私の推測の域を出ませんが、とりわけナワ族のテマスカルが良く引き継がれた理由は、気候も多いに関係しているのではないでしょうか。
導入編で説明したように、メキシコシティを中心とする中部メキシコの一帯は標高2000メートルを超す山岳地帯で、緯度の割に昼夜の寒暖差もあり、環境的にも温浴需要があったと考えられます。一方、南部や特にユカタン半島などはまさに常夏の地で、正直真冬でもあれだけジリジリ暑い中で熱々蒸気浴もなあ…という気がしてしまいます(それに代わって、ユカタン半島ではセノーテと呼ばれる天然冷泉での沐浴文化が今日まで強く根付いている)。

ユカタン半島での冷泉(セノーテ)沐浴文化については、
メキシコ入浴文化の番外編としてぜひ別途紹介したいと思っています!

次回予告。

ここまで述べてきた事情を鑑みて、次回からは、私たちがホアンさんのご指導のもとで集中的に体験と学習を積んだアステカ神話を継承するナワ族のテマスカル文化に焦点をあて、さまざまな角度から特色や魅力を浮き彫りにしてゆきます!

(写真:村瀬健一)


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