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「なぜあなたは大学へ行くのですか?」

「なぜあなたは大学へ行くのですか?」


高校生の私は、きっとこう答えただろう。「視野を広げたいから」。



1.大学に入るまで

小さい頃から地元が大好きで、東京が大嫌い。都会が大嫌い。地元が自分のルーツのすべてだと確信し、まさか大嫌いな東京に出ようなんて1mmも思わない。
某都市圏の端にある小さなまちの裕福な家庭に育ち、小中高と名門校に通わせてもらった。金銭面や文化的な面では全く不自由なく育ててもらったと今でも思っている。親には本当に感謝しているし、端とはいえ都市圏に生まれたことにも本当に感謝している。
まあそれはそれとして、とにかく地元が大好きな子どもだった。

それが揺らいだのが高校生になるころ。2度の留学経験がきっかけだった。1度目の留学はニューヨーク。新高校1年生対象のインターンで、ニューヨーク各所の日系企業のオフィスで様々な話を聞かせてもらうというものだった。もちろん行った先々で出会った大人にも感銘を受けたが、そこで初めて、同じ参加者である“同年代の東京の子”に出会った。自分の世界が狭いこと、彼らが当たり前のように目指すのが東京大学だということも感じ取った。
2度目の留学ではロサンゼルス近くの小さな港町で3週間のホームステイを経験した。通った語学学校には日本人がほとんどおらず、完全にアウェーな場所でひとりで暮らすこと、戦うことを知った。一歩地元を出れば私はアウェー、ひとりで戦わなければいけない。私は視野が狭い。何とかして、何とかして広い世界を、もっと広い世界を見たい。そう強く思った。
東京大学をきちんと意識したのは高校3年になるころ。「とにかく広い世界へ」「まずは、自分を縛っている地元という愛着を振り切らなければどうにもならない」「嫌いなものを知っていかなければどうしようもない」その一心で勉強に励んだ。

いろいろあって浪人をすることになった。
それまでの私はとにもかくにも計画性がなく、「ストイックに勉強する」ということに憧れてはいたものの、では「勉強する」とは何なのか?「努力する」とは何なのか?と問われると口をつぐんでしまう状態。
年度初めの成績が酷かったのもあり、「効率的に勉強する」とは何なのか、合格するにはどうすればいいのか、とにかく考え続けた。自分は何もわかっていないから、わかったふりをしてしまうから、もっともっと、もっともっとと考え続けること。劣等生なんだから、本当ならもう広い世界に進んでいるはずなのに進めていないのは自分のせいなんだから、効率的に、少々辛くてももっと、もっと。


「私はできていない」
「私は劣っている」
「少々辛くてももっともっと」
「広い世界に進むために」
「効率的に」
「ちょっとくらい我慢しなきゃ」

この考え方がこの2年後に自分をぼろぼろにすることになるとは露ほども思っていなかった。

とはいえ成績は気づけば急上昇していた。

高校で通っていた塾では、「こいつが東大なんて行けるわけないだろ笑笑」と校舎長に級友たちの前でつるし上げられて嘲笑された。
塾自体の高圧的な雰囲気にも耐えられず、でも家族にも伝えられず、そのおかげで親からも連日強く叱責されながら勉強をしていた。「勉強は怒られながらするもの」だと思っていた。

浪人してからは予備校の先生に「勉強している人を責めるはずがない」と言われて大泣きしたことを覚えている。
幸い、「あなたが一番努力していた」と背中を押してくれる友人に恵まれ、同じ目標を目指す友人がたくさんできた。たとえ自分が自分を許せていなくても、毎日体と胸が重くても、この日々が早く終われということはなくて、風のように1年が過ぎた。


当初志望していた科類ではないものの、合格。


やっと前に、進める。


ここでもらった印象的な言葉があった。

「大学生はしんどいよ。モラトリアムはしんどいよ。本当にしんどい。でもね、それでいいの。モラトリアムは辛いものなの。これで辛くなかったらおかしいからな。そんで、意見が違ってもいいから、年が離れていてもいいから、議論ができる人を探しなさい。『この人についていけばいい』と思える人がいるから、そういう人を探しなさい。宝物になるよ。モラトリアムの目標はアイデンティティの確立。頑張ってね。」

予備校の倫理の先生のこの言葉は、この後何度も心に浮かんでくることになった。受験生活より辛い大学生活なんてあるもんか、と心の底で思っていたのは内緒。



大学は楽しい。

嘘ではない。
私がそこに辿り着くまでに、入学から2年もの時間がかかった、それだけ。



2.1年生はなちゃんと2年生はなちゃん

1年目。

360°見知らぬ街。行き交う人の言葉はどれも耳に馴染まず、大学へ行けば男社会。首都圏出身者が牛耳る社会だった。自分がルーツだと思っていた場所は遠く地平線の果てで、言葉もルーツも見失った。点数競争が苦手な自分に、更に襲い掛かる点数競争。(※東京大学では1・2年次の成績順に3年生で所属する学部学科を選ぶ「進学選択」という制度がある)しかも“首都圏出身の男の子”にはもれなく人脈と温かいご飯がついている。

Q:そんな大学入っといて点数競争が苦手ってどういうことよ
A:点数競争といっても受験の点数競争ではなくて、定期テストの点数競争が苦手なんですよね。いるでしょたまに。模試では点数取るけど定期テストでは点数取れないタイプ。あれです。


閑話休題

慣れない家事と、慣れない街、慣れない生活。女子校出身の私にとって、男性8割の世界も衝撃的だった。

男社会ってなに?
私って女の子だったの?
どこに行っても「女の子」として扱われるの?
あの子は可愛い?可愛くない?何それ?
夜中に酔っ払ったクラスメートからセクハラまがいの電話がかかってくるのは大学生として普通?女の子だから?
ほとんどが未成年のクラス会に半数が酔っぱらった状態で来るって普通?
どんなに嫌でも女の子はクラスの飲み会には行かなきゃいけない?
クラスの男の子たちを喜ばせるために?
彼らが言うように「女子が来ないと盛り上がらない」から?
必死でやったレポートをクラスメートに写されるのは普通?
クラスの女の子が男の子たちにSNSで叩かれて登校拒否するのは普通?
夜10時まで毎日バイトとサークルと勉強頑張って、泣きながら家に帰るのは普通?それでも成績が悪いのは、私の頭が悪いから?
帰省したら何も言わず大声で数時間泣きつづけるのは普通?


どんなにしんどくても頑張らなきゃ。
とにかく私は劣っているから、もっと頑張らなきゃ。
もっとやりたいことがやりたい。


…でも、こわいよ


2年目。

やっと慣れてきた2年目。サークルの代表にもなった。もっと頑張らなきゃ。
と思った矢先の、心の底からの「…なにこれ」。
連日、ニュースには感染者数と「自宅待機」の文字が並ぶ。スーパーから食べ物が消え、いよいよ明日にまで迫っていた新歓イベントはすべて中止。もちろん当分の間活動自体も停止。学校は立ち入り禁止。家から出るな。「緊急事態宣言」って何?

春学期は実家に戻ることにした。バイトはオンラインに切り替えた。授業は全部オンラインになった。できるはずだった、過ごすはずだったキャンパスライフが消えていく。
でも、不思議と楽だった。
家に人がいて、温かいご飯が食べられて、都会は空の果て。山の中で家族と過ごす。
世の中の誰一人としてこの世界がどうなっていくのか分からない中で、不思議と落ち着くことができていた。SNSで新歓をして、この世がどうなっていってもサークルがいつでも動かせるよう準備をした。サークル内のコミュニケーション不足を憂いて、多くの人と声で話をした。
それでも部を離れる人は増えていく。

…大丈夫だから。私は強いから。みんな、強いから。
夏になって、活動が再開した。1年生も入部して、私は東京へ舞い戻った。


そして、進学選択の季節がやってくる。

結果は、惜敗。第1志望の学科には行けず、第2志望の学科に行くことになった。

ルーツは遠く。目標も、見失った。


ああ、また私はダメだったんだな。
もっと頑張らなきゃね。もっと頑張らなきゃ。
あれ、でも何を頑張るの?


はじめて彼氏ができた。同い年で、でも3年生で。
首都圏出身の彼は楽しそうに高校時代の塾でした恋愛の話をした。
1年生の時に楽しく友人と過ごし、
2年生ではいろいろと苦労したけどもサークルで大きなイベントができて、
進学選択では無事第1志望の学科に行った、と。



ああ それ ぜんぶ
わたしが ほしかったもの


男の子なら、「女の子が浪人してまで東大なんて」って言われなかった?
首都圏で生まれていたら、地方格差に涙を飲まなかった?
高校時代の塾が合っていたら、楽しんで勉強できた?恋愛もできた?
1年生でもっとまともな生活ができていたら、もっと楽しめていた?
良い成績も取れた?そしたら進学選択も成功してた?
コロナがなかったら、演奏会も不自由なくできた?
そもそも浪人していなかったら?


…やっぱりわたしは だめなんだな

気温が下がるのに合わせて、私の心と体はだんだんと壊れていった。

「私はできていない」
「私は劣っている」
「辛くても我慢」
「もっと」
「もっと」


浪人時代に私の背中を強く優しくたたいた言葉たちは、気付けば鞭となってただひたすらに私の背中を傷つけていった。


「私は頑張っても勝てない」
「どうやっても無理」


鞭は増えていった。
いつしかオンライン授業のために体を起こすことさえままならなくなった。
サークルやバイトから帰るとコート姿のまま玄関に倒れこむようになった。
つねに軽い吐き気がするようになった。食事をとるのが億劫になった。
人から話しかけられても反応できなくなった。
動きが緩慢になった。
出かけた先でしゃがみこんで動けなくなることすらあった。

でも我慢、もっと、


クリスマスの5日前に振られた。
サークルの演奏会はクリスマスの翌々日で、
もうその時には涙すら出なくなっていた。



年が明けたら何かが変わると思った。演奏会は終わったし、もう彼とは別れたから。
でも何も変わらなかった。むしろ悪化する一方だった。
人と話せなくなる。何にも興味がわかず、実家にいても起き上がることすら難しい。人が怖い。死んでしまいそうな自分が怖い。
病院に行くことにした。薬を貰っても、効くまでに10日かかった。効くまでの間、ひどい恐怖と不安に襲われた。


こわい
こわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわい
人がこわい
自分がこわい
死んじゃうのかもしれない

薬は効いたけれど、今度は音が怖くなった。
音楽サークル代表にとっては致命的だった。
音楽が聴けない。練習できない。
薬を変えてもらって、少し落ち着いたころにサークルが再開できた。
それでも、練習できない。練習していられない。
大好きだったはずの音が苦痛でしかない。
1年間の代表の任期を終え、わたしは3年生になった。
サークルには「休部します」と連絡をした。

バイトも休んだ。とにかくそれまでに抱えていた荷物を減らした。
学科の先生にも不安を打ち明け、話を聞いてもらった。


3.3年生はなちゃん

体調を崩してからずっと考えていた。


なぜこうなった?なんでこうなった?
私って何者?私の中で何があったの?
私って何が楽しかったんだっけ、何が苦しかったんだっけ。
ルーツって何、目標って何。
私は何になりたい?何がやりたい?


なぜこうなったのか、少しずつ整理がつくようになった。

小さい頃からずっと、そう、小学校受験で失敗したころから、「自分を責める」ことでしか頑張ることができなかった。ほかの頑張り方を知らなかった。

共働きで多忙な両親のストレス発散先になっていた幼少期の影響で、何かストレスになることがあっても「でももっと大変な人が」「我慢しなきゃ」「相談なんてしちゃだめだ」「自分で何とかしなきゃ」と思っていた。
おかげで、旗色が悪くなったときに自分を責める癖がついていた。

どんなに自分に辛いことがあっても、周囲の様子がおかしければ「能天気なはなちゃん」になった。そうしたら、その場の雰囲気が柔らかくなった。喧嘩しないで。わたしは味方になるから、怖がらないで。
おかげで、周囲のマイナス感情に他人より敏感になったように思う。その代わり、敏感なアンテナが大量の情報処理を頭に要求するようになった。

そうやって、誰にも「つらい」と言えなくなった。それが苦しさの原因だった。長女あるあるだと思うでしょ、残念でした末っ子です。


ルーツは消えたわけじゃないことも知った。

地元をはじめとする様々なルーツが自分の体に染みついていて、それは忘れようにも忘れられないものだった。ただ、引き出しの奥につまって取り出せなくなっていただけで。
整理してあげれば、ひとつひとつ引き出してあげれば出てくるものだった。
楽しい思い出も、きっといつか取り出せるようになる。
そして、この半年のことも忘れられないルーツになる。けれど、それも大切に仕舞ってあげよう。いつか誰かの役に立つかもしれない。そういえば、中学生の時の座右の銘は「人間万事塞翁が馬」だったっけ。


目標も、消えたわけじゃないことを知った。

むしろ、新しい世界を見て、新しく面白い目標ができた。
来た場所は間違いじゃなかった。


私にはやりたいことがある。
そして、人に寄り添って生きていきたいと思っている。
そのためには、まず自分が弱く、強く、優しい人になろう。
「つらい」って言える人になろう。



3年生になって1、2か月経ったころ、冬から毎日知らずに出ていた涙が止まった。5月には泣く日が数日に一度、6月には1週間に一度、7月には2週間に一度になって、8月には知らずに涙が出ることがなくなった。
冬にはずっと白黒写真のように感じていた、高校生の時の楽しかった記憶に色がついて、「楽しい」「嬉しい」という感情を思い出せるようになった。
点数競争から解放され、授業や実習が楽しくて仕方なくなった。
第1志望だった学科よりも、第2志望のここに来てよかったと心の底から思うようになった。


3年生の秋になった。サークルとバイトは少しずつ再開することにした。
基本的に元気である。
もちろんまだ本調子ではないから、調子が悪い日はまだ音楽を聴けないし、練習もできない。譜面を追うだけで辛くなる。
けれど、調子が悪い日でも自分のコントロールが効くようになった。
自分がコントロールできない恐怖、理由のない不安からは解放された。
なにより勉強をしている自分が楽しくなった。

心無い言葉をかける人もいた。
でもそれ以上に、何もできなくなって、迷惑をかけ続けても、それでも心配してくれる人がたくさんいることを知った。
ありがたくて、あったかくて、甘えていることが申し訳なくて、
でも、そういう人と出会えたことが嬉しかった。



大学は、楽しい。



4.なぜ大学へ行くのか

「大学生はしんどいよ。モラトリアムはしんどいよ。本当にしんどい。でもね、それでいいの。モラトリアムは辛いものなの。これで辛くなかったらおかしいからな。そんで、意見が違ってもいいから、年が離れていてもいいから、議論ができる人を探しなさい。『この人についていけばいい』と思える人がいるから、そういう人を探しなさい。宝物になるよ。モラトリアムの目標はアイデンティティの確立。頑張ってね。」

予備校の倫理の先生の言葉が、時折頭を過る。


3年生になった私は思う。
たしかに苦しい。大学は基本的に点数で評価しない。なんのために授業を取るのか理解せずに、ただ単位がとりやすいものだけを取って卒業することもできる。法学部や医学部のように何らかの資格のために勉強する人もいるが、それ以外の場所では同じ学部学科の人間でもなりたい将来像が異なっていたりする。
そして、時に目標を見失い、持っていたはずのものを失ったりする。
自分の弱さに絶望してしまうこともある。
そんなジャングルのなかで、自分とは何か、何者か、自分は何が好きで何が得意で何がやりたいのか、それを踏まえて自分にはなにができそうなのか、それを全て探していかなければならない。

一連のできごとは、私にとってのジャングルの一種だったんだと思う。

”しんどい”。辛い。探そうと立ち上がるのも辛いし、探す過程も辛いし、探した結果が今の自分の場所に合わないものだとするとそれも辛い。何なら一生探し続けるんじゃないかと思う。自分について考え続けるんじゃないかと思う。
けれど、それがあるから本当に自分のやりたいことができると思うし、胸を張って生きられると思うし、自分以外の世界がどれだけ広くて尊くて有難いものなのか理解できるんだろうなと思うようになった。



もう一度聞く。

「なぜあなたは大学へ行くのですか?」


いまの私もこう答える。「視野を広げたいから」

そして、「自分を知るために」


なんでもいい。別に何のためだっていい。だけど、想像以上に大学ではたくさんのことを学べる。学ぶ機会をたくさん提供してくれる。それはもう、4年間では把握しきれないし利用しきれないくらいに。高校とは大違いだった。図書館だって、先生だって、利用すればいい。大学生だからできる活動に精を出してもいい。今だからできる無理をしてもいい。大学生という立場を利用すればいい。

別に理由を示す言葉がどんなものであってもいい。でもとにかく、「自分はどんなものに興味があるのか」「自分はどういう人間なのか」ということを知り、「自分には到底理解できない世界がある」「知らない世界が広がっている」ということを自覚すること。それが、大学に行く意義だと私は思う。


大学を卒業するとき「4年間何してたんだっけ」「就活で有利になるため」と答えるしかない人もいる。私はそれを見て、あまりにも悲しいなあ、と思う。これだけたくさん機会があるのに。

私には学部卒業まであと1年半残っている。まだまだ大学生活は半分近く残っているというわけか。

まだこれからも今まで以上に辛いことだってあるだろう。もちろん無理はできないけれど、自分の性格の特性が少しだけわかって、自分のコントロール方法も少しずつ分かってきた。きっと、大丈夫。きっと素敵な明日が来る。もっとたくさんの人と出会って、たくさんのことを知ることができる。楽しみだね。
そう思えるのが、いまとても幸せ。
次の目標は、「議論できる友人を増やすこと」だ。


さいごに、
中学生のころから大好きなLittle Glee Monsterには、いつもいつも励まされてきた。
最近のお気に入りから引用して終わる。

“やり場のない その想いは
いつか僕らを 照らし出して
道を作っていく
今日の 始まり 晴れ渡る空

どこへ向かうのだろう
時には逸れるでしょう
僕らには どんな時も
何も言わず帰れる場所があるよ
どこへ向かおうとも
心は変わらないよ“

『君といれば』by Little Glee Monster
https://www.youtube.com/watch?v=ilKR9vqBSgg

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