見出し画像

認知症のおばあちゃんに先月産まれたばかりの息子を見せた時の話

私のおばあちゃんは認知症です。
発症してから5年以上が経過しています。

先月息子を出産したばかりの私は、その息子を連れ、おばあちゃんに会いに行ってきました。

おばあちゃんが住む施設の玄関で受付をしていると、私の息子(0才児)が泣き始めました。私は息子が泣くと毎回、早く泣き止ませないととパニックになってしまいます。

私が焦りながら受付を済ませていると、遠くから「あら〜かわいい。パッパッ(口を鳴らす音)。泣いてるんやなぁ。かわいいねぇ。」と聞き覚えのある声が。

顔を横に向けると、そこにいたのは私の認知症になったおばあちゃんでした。

「あ!おばあちゃん!」と私が言うと、おばあちゃんはニコッと私に向かって、「よぉ来たなぁ」と笑いました。

おばあちゃんは私が孫であることは覚えていません。ですが、自分に向かって挨拶した=知り合いと考え、先程のような言葉を毎回言ってくれます。

よぉ来たと言いながら入り口付近の椅子に座るおばあちゃん。私も隣の席に、息子を抱かえたまま座りました。

するとおばあちゃんは、「ほんまにかわいいなぁ。」と言い、何度もばぁ!と息子と遊んでくれました。

何気ない光景だけど。
皆赤ちゃんをみたらあやしてくれるものなのかもしれないけど。
私は胸がキューッとなって、自然と涙がこぼれてきました。

おばあちゃんに涙を見られてはいけない。咄嗟にそう思った私は、手で涙を拭おうとしましたが、息子を抱かえていたためできませんでした。

涙がポロポロと落ちて止まらない私。
その顔をじっと見たおばあちゃん。

その後また、息子に向かって「ばぁ!」と言い始めました。
おばあちゃんは、どうして私が泣いているのか、どういう状況なのか、分からなくなっていました。
だから私が泣いても、その状況に疑問を持たなかったのです。

それを見て、分かって。
また私は涙が止まらなくなりました。

「部屋に行くか?」とおばあちゃんが言ってくれた(入居者それぞれに部屋がある)ので、私達はおばあちゃんの部屋へ向かいました。

部屋へ入ると、おばあちゃんは私の息子を見て「やっ!こんなところに赤ちゃんがおる!」と驚いていました。そしてまた「かわいいねぇ」と、息子をあやしてくれます。

おばあちゃんの記憶は、その程度になっています。でも、赤ちゃんのことは可愛いと言ってくれる。私はもっと胸がギューッと締め付けられました。


おばあちゃんには質問をしてはいけません。
なぜなら、質問をするとおばあちゃんが混乱してしまうのと、必ず「そうそう」とわかったフリをするからです。

でも私は聞かずにはいられませんでした。
「おばあちゃん、孫の〇〇(私の名前)って覚えてる?」。

おばあちゃんは「うんうん、分かってる。」と言いました。勿論わかっていません。

私が続けて、「おばあちゃん孫がいたやろ?女の子。名前なんやったかわかる?」と言うと、

おばあちゃんは、「女の子…?名前忘れてしもた。長いあいだ会ってないから(分かっていないので濁して話している)。」と言い、 

私が「〇〇(私の名前)やで」と言いました。

するとおばあちゃんは「あー!〇〇か。最近会ってないわぁ。」と言いました。
おばあちゃんには古い記憶は残っているので、幼い頃のわたしが思いついたんだと思います。

そして私が「今おばあちゃんが抱いてるのが、〇〇(私の名前)が産んだ子やで。」と言いました。

すると2秒ほどあいたあと、おばあちゃんが目を見開いて「やぁ…そんなことになってるんやなぁ!!」と言い、息子を見つめました。

そしてまた「かわいいねぇ、バァ!!」と息子をあやし始めました。


ほんの一瞬でしたが、息子を"孫の私が産んだ子"と理解してくれたおばあちゃん。
私はまた涙が止まらなくなりました。


家に帰ってから、この日のことを私はずっと考えていました。そして気づきました。
私は、おばあちゃんに息子を見せて、"孫の私が産んだ"と理解してほしかったのだと。
身近な人が自分のことを忘れてしまう。その辛さは今までわかっているようで、わかっていなかった自分に気づきました。

悲しかったです。
でもどれだけ悲しくなっても、後悔しても、結局今は変わりません…。この日は、日々一生懸命、後悔のないように生きようと思った日でもありました。

皆様にも素敵で明るい明日が訪れますように。
そして、その明日が特別で、大切な日であることを願っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?