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漫画みたいな毎日。「小さな八十日間世界一周の旅。」

曇空の日曜日。
男子3人は、午後から護身術の見学に出掛けた。長男が、海外に行くのに、格闘技なり武術なり、身を守る術を身に付けたい、と言い出したからだ。

先日も、テレビで護身術やブラジリアン柔術についての番組を夫が録画しておいてくれたので、皆で観た。格闘技好きの私はついつい真剣に画面に食い付く。

本来なら、護身術の教室へも張り切って見学に行く所だが、どうにも今日は気持ちも身体も向かない。

春が近いからだろうか。

何でも春のせいにしては、春に申し訳ないが、季節の変わり目は、なんとなくナイーブな身体と心になりやすい気がする。

末娘と私は、留守番。

古本屋さんで、表紙に一目惚れした絵本で楽しむ。表紙を手で触れると文字の部分にやや凹凸がある。文字が絵になっていて、世界の様々な場所をイメージしたものになっている。

この本はフランスのジュール・ヴェルヌが書いた小説「八十日間世界一周」から発想を得たものだそうだ。

内容は、間違い探しや迷路になっている。

ページをめくっていくと、あくまで私の好みでは、という話だが、もっと絵が細かく書き込まれていてもいいかも、と思わないこともないが、間違いを探すことを目的とするなら、わかりやすいデザインで、世界の様々な風景が描かれている。

時は1872年、ヴィクトリア朝時代のロンドン社交界で、フィリアス・フォッグという貴族の男が大きな賭けをします。それは、80日間あれば、世界一周できるというものでした。こうして貴族ということ以外は謎に包まれた英国人フォッグと彼の執事は、冒険の旅へと出発しました。ふたりは蒸気機関車や帆船に乗り、またあるときはゾウに乗り、大変な目に遭いながら、ヨーロッパ、アジア、アメリカへと先を急ぎます。

絵本の中の『この本について』より。

世界一周、というキーワードが気になり、現代で世界一周するには何日かかるのだろう、と思いを巡らす。


何で行くのか、どのくらい滞在するのか、それによっても何日かかるかなどは、旅行者の計画によってまったく違うものになるのだろう。

世界には日本政府承認の国としては196カ国があるが、これは世界共通の認識ではないので、世界の国々をまわろうと思ったら、ただ一周するだけでは、訪れることはできないのだろうなぁ。

私は、若い頃からそれほど旅に出ることがなかった。それをとても勿体無かったなぁと思っている。もっと多くの国や土地で、その場の空気を吸って、何かを感じられたら良かった。

でも、今からだって遅くない。

海外でなくとも、遠くなくとも、旅にでることはできるのだから。

賭けには勝ったが、旅費に相当な金額を使っていたため、賭けによる利益はわずかであり、それも執事と旅を共にした刑事に分け与えたため、この旅で彼が得たものなど何もなかった。ただ1人、彼をもっとも幸福な人間にした美しい女性を除いて。しかし、たとえまったく意味がなくても、人は世界一周をするだろうと物語が結ばれる。

八十日間世界一周の説明より


一般的な旅とは違うけれど、子どもたちと過ごす毎日は、なんだか旅のようだと思うことがある。自分の価値観ではおさまりきらない出来事が色々起き、その度に自分が試される。

子どもの育ちとは、わかりやすい評価や価値と一番遠い場所にあると思う。

それでいいと、私は思っている。
それがいいと、私は思っている。
子どもの育ちは、できるだけ、効率化や他者からの評価から遠い場所にあったほうがいい。


誰かにとって、何の意味などなくとも、この旅は続いていくのだから。

『私は80日以内に世界一周出来ることに2万ポンド賭けよう。時間にして1920時間、分にして11万5000分だ。さぁ、君はのるかい?』

『八十日間世界一周』フィリアス・フォッグの言葉

学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!