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「SORIN」研究プロジェクト:人間というただの生物の一種を理解せよ

こんにちは、トキワです。

今回は新しいプロジェクトの公開です。というより前からやってたことにちゃんと名前を付けるだけです。

差し当たって、どんな背景で研究に至ったのか、どんな研究をしていくのかを改めて書きたいと思います。


人間への期待を捨ててきた20年だった

まずこの研究の背景から説明しますが、様々なものへ期待を捨ててきたことが大きなモチベーションでした。

(1)親への期待

その最初に捨てた期待は親への期待でした

就学前、父親のDVにより離婚し、シングルマザーのもとで育つこととなりました。その母親は仕事は大してできず、子どもへの時間は作れない人でした。

結果、私は寂しい思いに押しつぶされ、自分の心を一度殺しました。親に「~~してほしい」と願ったところで叶わなかったのだから、その願いごと捨てたのでした。その時のことは以下にまとめました。

残念ながら、ほかの虐待サバイバーのように「それでも親に感謝している」とはなりませんでした。もはや赦す赦さないではなく、関心がなかったのです。ただの一人の「生物」であって、血のつながりなどどうでも良かったのです。

中学生高校生は本当に地獄にいるような心持ちでしたが、18-19歳のときに色んな大人に出会ったことで、「愛着の芽」が出ました。それから20代前半まで、色んな大人のおかげで愛着を回復させることになります。20年遅れで。

その後、20代は「なぜ自分があんな環境にいないといけなかったのか」「それは自己責任だったのか、いや違うはずだ」と思い、社会問題全般について研究・活動を行ってきました。

少しでも自分みたいな人を減らしたいと思いました。

(2)NPOと行政への期待

最初に関わったのは環境問題でした。専門家は「平均0.5度しか上がってないから気候危機ではない」と言いますが、熱中症で死ぬ人は増え、海水面が上昇して住めるところが減り、森林が破壊され生物多様性が脅かされその影響は未知であり、明らかに無下にされている人々がいます。

私は水俣病が世界中で起きていることを知り、そしてその原因物質である水銀を規制するための条約である水俣条約ができること知り、その政策提言を最初に行いました。

その過程で水俣病患者である坂本しのぶさんにも出会いました。心を殺してしばらく忘れていたが、小さいころの自分を思い出したのでした。

色んな大人に意見を伝え、提言をしました。当たり前ですが、条約の条文をネットで翻訳しながらできるだけ読み込み、文言の必要な変更箇所も分析しました。しかし、周辺の環境NPO・NGOも環境省も私にとっては役不足でした。そこでNPOと行政に対する期待を捨てたのです

もちろん環境NPOはNPOの一部だし、環境省は行政の一部でしかありません。それに中には優秀な人もゴロゴロいました。ですが、組織の論理は強く、NPOと行政のビジネスモデルには明らかに限界があります。

NPOは寄付と助成金で運営され、事務局は疲弊・過労。行政は政治の影響を強くうけ、こちらも過労。優秀な人の才能は消費されていました。

例えNPOに資金があったとしましょう。アメリカの寄付市場は数十兆円規模である。それでもアメリカの治安や差別、貧困の状況を見ればNPOが社会を良くしているわけではないことは一目瞭然です。

(3)政治への期待

次に国内の政治に興味を持ちました。環境問題の現状を政治家と市民国民に知ってもらえれば意識を高めて解決に動いてくれるはずだ、と思いました。

単純に「インターネット 選挙」と調べてみると偶然、2012年にインターネット選挙解禁の動きが高まっており、その活動に参加しました。そして自民党が再度与党になるにしたがい、公選法は改正され、2013年にネット選挙が解禁されました

ただしこの10年間の投票率は低いままです。投票すればいいわけではないことも十分分かっていますが、この10年間選挙のたびに期待を削がれてきました。ここで政治への期待を捨てたのです

なんで政治に興味がないのか分析していましたが、それはおそらく政治的議論に上がる内容が難しいからだと当時は思いました。

(4)アートへの期待

なので次はアート活動を行いました。クラウドファンディングで計100万円集め、色んな政策の賛成と反対の絵を作り、データと文章も添付してネット記事を書きました。当時はハフィントンポストやBuzzfeedなど新しいメディアが増えていました。

全部で40もの絵を描き、公開しましたが、まったくバズりませんでした。ISISが問題になったときはそれに関する絵を描いて広告でフランスに出稿しましたが、その影響もむなしいものでした。ここでアートに対する期待を捨てたのです

もちろん私の活動だけでアートへの期待を捨てたわけではありません。例えば海外にはバンクシー、国内にはChim↑Pomなど色んな社会派アーティストがいます。美術市場も調べました。しかしそれらの社会への影響も限界があります。

人はどんなに分かりやすくても、そもそも普段興味を持つものが違うので、伝える方法よりも伝える内容のほうが重要だと当時思いました。

(5)メディアへの期待

じゃあ人は普段どんな内容に興味を持ち行動しているのか?そしてその興味はどこから生まれるのか?ここでメディアに興味を持ちました

私は人々の優先される興味(例、アイドルやゲームなど)はメディアとその体験から生まれると思いました。もしメディアが政治を分かりやすく面白く身近に取り上げれば(編集すれば)、もっと社会問題も解決に近づくかもしれない、と。

特にこれからはソーシャルメディアのアルゴリズム(表示の優先度の計算)に影響を受けると思いました。実際にケンブリッジアナリティカのマインドハックによる選挙介入が話題になりました。

メディアによる誘導は悪い方向には使ってはいけませんが、ニュートラルかつその人の生活を良くするためならアリだと思いました。この関連だとスマートニュースのポリティカルバランシングアルゴリズムや、技術的な幸福を目指すポジティブコンピューティングというものがあります。

そこで起業し、新興国向けスマートフォン「SUNBLAZE Phone」の活動を始めました。2016年10月でした。

構想としては初期アプリに学習やニュースのアプリを入れ、その履歴から与信スコアを算出。その与信スコアに応じて奨学金を提供したり、求人を紹介したりして生活を向上させ、地域コミュニティの政治参加を促し、お互いに助け合える状況を作ることでした。

(6)起業(投資家)への期待

ただ起業が初めてで、エンジニアとの協業も、インドやアフリカなどの営業も、投資家からの資金調達も初めてで、楽しい面ももちろんありましたが、本当に大変でした。

特に人は思った以上に論理的に理解できないと感じました。出会った中だと、エンジニアでも投資家でも100人中3人ぐらいだけ。「投資家」なんてめちゃくちゃ頭のいい人たちだと思ってました。

もちろん自分の能力が低い面もあったので、1年間資金調達できなかったときはストーリーテリングを独学で本で学び、実践し、なんとか1億円の調達ができ、2020年1月に大量生産ができたのですが、時すでに遅し。新型コロナウイルスが直撃しました。ここで資金調達がスピーディにできなかったことで投資家への期待を捨てました

(7)出版への期待

起業と同時並行で出版も進めていました。起業に影響しないようWi-Fiが使えない飛行機の中で原稿を書きました(経緯はこちら)。少なくとも数万部もいけば全国のエンジニアや投資家に届いて、もっと早くSUNBLAZE Phoneが進むと思ったからです。

20代の研究を伝えたかったのですが、テーマが「社会問題」だっただけに難しい。そのためできるだけ分かりやすくするため、文章量は通常の3分の1、イラストとデータを以前のアート活動よりも充実させました。2021年2月、「悪者図鑑」を出版しました。

しかし結果は重版1回のみ。これでも多くの出版物よりはかなりいいのですが目的には及びませんでした。テーマが悪かっただろうし、私のフォロワーが少なかったせいもあるでしょう。そんなことは分かってます。

一方で「人新世の資本論」が50万部の大ベストセラーになってました。こちらは前半はまさに環境問題の内容で、社会派です。社会問題でも売れるモノは売れる。しかし、これでも政治が変わるわけではない。出版への期待を捨てました

(8)教育への期待

引き続き、メディアとビジネスは最後の手段として少し期待を残しつつ2021年9月も続けていました。たまたま学校関係者と出会うことがあり、そこから40校へのヒアリングを行い、学校向けSaaSの開発に取り掛かりました。教育業界にきたのでした。

しかし、課題を教えてもらって開発して実証実験を行うものの予算が下りなかったり、「これが喉から手が出るほど欲しい」と言われて作ったにも関わらず最後の決済で無しになったりして、教育業界は課題を解決する気がないんだとわかりました。

さらに授業を受け持っていた私立中学校高等学校からは1日で契約を切られるという意味不明な意思決定プロセス、ビジネスコミュニケーションに出会いました。学校に民間企業の普通は通じません。

これで教育に対する期待も捨てました。競争が起きなければ売上が増えず、給与が増えず、優秀な人がマネージャーになることはありません。(業界の分析はこちら参考

ということで親(保護者全般)、NPO、国際・国内政治、アート、投資家、出版、そして教育、それぞれの多数派に期待を捨ててきたのです。

(それぞれの分野の少数派には優秀な人や稀有なプロジェクトがあり色々表彰されていますが、それが全体・大多数に影響するのは難しいでしょう。期待していません。)

諦め以外のすべての経験はこちらをご覧ください。

神やAIの視点に立てば人間とは蟻、豚、鳥、金魚に等しい

これらの具体的な経験の結果、見えた景色があります。

それは「人間とはこういうものだ」という現実(Reality)です。

貧困と虐待の中で育った私は、社会にいる大人たちは私のクソみたいな親と違うんだと勝手に期待をしすぎていました。「自分の家と社会はきっと違うはずだ」と思っていました。

しかしこれらの経験をしてきて、期待を捨てて、直感的に違和感を感じました。

そこで改めて人間とは何か、社会とは何か、一つの活動を終えるごとに部屋の壁には模造紙がはられ、そしてポストイットでマインドマップを作成し、俯瞰して整理してみました。その活動が以下のマップシリーズです。

整理してみると分かったのは、自分の家で起きてた貧困や虐待と、社会で起きてること(例えば経済活動や技術開発)は実際は同じことだったのです。

社会問題と社会は「表裏一体」であり、貧困シングルマザーと高学歴エリート投資家は「表裏一体」なのです。説明しましょう。

私は家を脱出して社会に参加して思ったことがあります。それは「社会を変える」と言ってる人たちがとても多いことです。最初は期待しました。

しかし今になって分かるのは言ってることとやってることが違う、ということです。どう違うのか?

例えば起業家は事業のことしかやりません。学校の先生は授業に関連することしかやりません。科学者は研究に関することしかやりません。

彼ら彼女らは「社会を変える」と言いながら、「自分の役割の範囲内=できることしかやらない」のです。それでなぜ彼ら彼女らの範囲外である「社会」を変えることができるのでしょうか?

私はこういった状況を「役割制限仮説」を名付けています。

つまり人はある役割になると役割以上のことができなくなるのです。そして彼ら彼女らはその弱さに向き合いたくないため、役割以上のことに繋がるかのように嘯くのです。

社会問題の真っただ中にいる当事者の視点からすれば、例えるなら不倫をしてる人が不倫相手に対して「もうすぐ妻・夫と別れるから」といつも言ってるようなものです。「助けるよ」と言いながら本人はNPOの寄付者パーティで楽しんでるだけ。

私にとって「自分の範囲外」に行くことを「努力」と言いますが、つまり彼ら彼女らは努力をしていないのです。

彼ら彼女らからすればNPOで寄付を集めたり、政治家として選挙に通ったり、起業家として事業をのばしたりすることは「努力」かもしれません。しかしそれは私にとって「その役割なら最低限やるべきこと」なのです。

努力とは得てしてその後に何が得られるのか不明確です、リスクが高いです。だからこそ「努力」と呼ばれるわけですが、一方で「決まった役割」は「何をどれだけ頑張ったらこれぐらい得られる」というのが最低限分かります。

つまりルールが決まっているのです。そのルールこそまさに資本主義や民主主義のことであり、近代より作られている社会システムのことです。もう300年ほどこのシステムで私たちは生きてきたでしょう。

ルール(範囲内)の中で分かりやすい報酬を得て満足し、範囲外には言葉だけ作りその自分に酔う。私からすればその状況は「システムに飼いならされた動物」と同じです。これを私は「人間の動物性」と呼んでいます。

コロナ対策の衝立がさらにそれを想起させた。
「千と千尋の神隠し」では主人公の親が豚になるシーンが描かれている。
私は人間の社会がだんだん蟻の巣にしか見えなくなってきました。落合陽一さんも蟻と各メディアで表現してます。
孫正義さんは金魚と表現(参考
Twitter(X)とは烏合の衆、ピーチクパーチクうるさい(画像出典

役割は何も起業家や政治家、科学者といった「主役」に限りません。

労働者たちのSNSでは情報商材・情弱コンテンツがあふれ、今日も今日とて搾取し搾取される日々です。じゃあ搾取する側に回ればいいのか、といえば搾取する側も何かの観念に強迫・搾取されています。例えば「お金があれば幸せ」という観念です。

その観念は果たして誰に植え付けられたのでしょうか?そしてその状況を「労働者革命」によって打倒するのでしょうか?いやしないでしょう、なぜならそんなことは「範囲外」でめんどくさいからです。

範囲外に出ないという怠惰は、社会問題の当事者である貧困シングルマザーだけでなく、高学歴エリート投資家も「社会を変えそうな起業家に投資した(ツイート)」といつも通り役割の範囲を出ていないためあまり変わりません。

そして労働者は労働者の、経営者は経営者の、XはXの、範囲を出ない怠惰によって社会全体・コミュニティ全体に「負債」が溜まっていくのです。それが社会問題です。

つまりまとめると、社会システムのうえで生きているメンバーが、システムのルールの範囲内だけ・その中の役割の範囲内だけをこなしていると、どこからか社会問題が染み出してきて、ランダムにメンバーをまた一人また一人と社会問題の渦の中に巻き込まれていくのです。

メンバーそれぞれの負債が社会問題として表れることからして、全体の事象が繋がっているのではないか、という仮説が立ちます。これが上記マップシリーズでやっていた研究です。

民主主義や資本主義は自由をベースにしていました。自由には理性(倫理道徳・合理・効率)が必要です。それがなければただの自分勝手になります。つまり現在の社会システムの運用には「努力」が必要不可欠なのです。

一方で、民主主義と資本主義を構想、開始、運用し始めた人たちは、人間は努力ができて理性を持った特別な存在だと信じた結果、現在の社会システムに落ち着きました。

ある人は言います。「人間はほかの動物と違って~~がある」と。この「~~」に入る言葉次第で「ホモ~~」が決まります。例えば「サピエンス」は「賢い」「知性のある」という意味です。

確かに私も人間がほかの動物と違うことは分かります。ただ、「違うだけ」であって、「特別・偉い」ではないのです。

民主主義や資本主義に理想を見た人たちは「人間」の本性を理解していませんでした。いや、理解できなかったのです。彼ら彼女らもまた現代の人々と同じように「人間は特別なんだ」という認知バイアスにはまっていたからです。それはまさに範囲内におさまる怠惰でした。

人間が他の動物と比べて複雑に見え、そして特別に見えるのは、まだまだホモサピエンスを分類しきってないからです。分類が粗いのです。例えば蟻にも色んな種類がいて、危険な蟻からそうじゃない蟻までいます。

ホモサピエンスもさらに分類すれば、種ごとにもっと傾向が見えてきて単純明快になるはずです。そうすれば蟻や豚など他の動物とあまり変わりません。

人間が偉いかどうか以前に、むしろ愚かさを感じますが、「人間とはこういうものだ」とはこういう意味でした

プロジェクト「SORIN」あるがままの人間と社会を知るべし

(1)研究内容

現在の社会システムに欠陥があるのは火を見るよりも明らかです。

そのシステム上で動く人間は元々努力ができる前提でしたが、実際はできませんでした。なので前提が180度ずれています。

ただし、じゃあすぐに別のシステムに切り替えましょう、と言ってもそんな簡単なことではありません。まず今の人間は今のシステムに依存していますし、どんなシステムに切り替えたらいいかも分かりません。

そこで今の社会、今生きている人間を、さらに詳細に解像度高く分析・分類し、今の社会の未来をとても高い精度で予測ができるようになれば、何がどれぐらいどのように影響しているのかが分かり、そしてどこをどのように変えればいいのか分かるはずです。

つまり社会をバーチャルに再現し、その中で政策を実験するという試みです。これは専門用語ではデジタルツインと呼ばれていますが、現状再現されているのは土地など客観的にわかるデータのみです。なので災害の予測とかに使えます。

一方で、私は遺伝・性格・価値観といった個人の特性・気質から現状アプローチしており、そこから社会の再現を試みています。先ほど性格の遺伝の人口分布を紹介しましたが、人口分布が分かってるのは性格だけではなく、病気のなりやすさや記憶力なども遺伝子検査で分かっています。

性格の場合、有名なのは16personalitiesのMBTIで、こちらは人口比率がすぐに出てきます(ちなみに私は指揮官ENTJ)。ですが、MBTIはあまり学術的に信頼されていないので、ビッグファイブで色んな論文を読んでるところです。

1位:仲介者〈INFP〉(16.44%)
2位:広報運動家〈ENFP〉(13.79%)
3位:論理学者〈INTP〉(7.19%)
4位:擁護者〈ISFJ〉(6.81%)
5位:提唱者〈INFJ〉(6.79%)
6位:領事官〈ESFJ〉(6.74%)
6位:冒険家〈ISFP〉(6.74%)
8位:エンターテイナー〈ESFP〉(6.01%)
9位:主人公〈ENFJ〉(5.59%)
10位:討論者〈ENTP〉(5.18%)
11位:建築家〈INTJ〉(3.69%)
12位:管理者〈ISTJ〉(3.57%)
13位:幹部〈ESTJ〉(3.38%)
14位:巨匠〈ISTP〉(2.87%)
15位:起業家〈ESTP〉(2.62%)
16位:指揮官〈ENTJ〉(2.57%)

参考

これら遺伝や性格のデータから、例えば友人Aの明日の行動を今日までの行動から予測して、かなりの高い確率で当たっていれば、その翌日に何をしたら幸せになりやすいか提案しやすくなります。

性格や遺伝の割合が分かればその組織のコミュニケーションや意思決定の傾向が分かります。それが長年積み重なっていくと「文化」と呼ばれるようになります。以下は遺伝タイプごとの人の移動の歴史になります。すごく原始的な状態では気候(環境)と遺伝だけがお互いに相互作用していたと思われます。

移動を意思決定した人種はほかの人種と遺伝が違う場合、その遺伝集団が文化→制度と経済→社会を形成することになる。そしてその社会は色んな「環境」を作り、その環境が遺伝以外の部分を決めていくことになる。
国別の神経質傾向。アフリカが低く東アジアが高い。(論文

「日本人」というマクロの分析は以下にまとめました。

年齢ごとの性格の遺伝率の変化(論文

安藤寿康著書「教育は遺伝に勝てるか」の中で日本とスウェーデンの育児態度の比較が行われており、遺伝と環境の割合が違うことが分かります。これも文化の違いでしょう。

私自身の成果物でいうと、まだまだ解像度は粗いですが、人間や社会の悪い側面を取り除けないか、と考えて20代は社会問題の研究をし「悪者図鑑」を出版しましたが、社会問題の当事者になりやすい人を予測するという意味で同じことです。

また、最近は教育業界にいるため、子どもそれぞれにどんなことを教えれば、その子のためになるのかを簡単に調査し、まとめたのが以下のnoteです。結果、才能や努力以外に人間の人生を左右するものがいくつも見つかりました。

どんな人間がどんな行動をするか、というミクロの分析と、その結果どんな集団ひいては社会になるのか、というマクロの分析を両方行ったり来たりすることになります。

シミュレーションに関してはマルチエージェントモデルというおそらくだいぶ手垢のついたものを利用します。感染症がどうやって広がっていくのか、などに使われるものです。

手垢はついてるものの、生成AIと組み合わせるとなんだかさらに面白いことができそうだ、と感じていて、このシミュレーションの精度如何によって、私のやりたいことができるか決まるわけです。

(2)研究方針

ただ生物の一種である特別ではない人間が作る「社会」も同じく特別じゃないとすると、それはまさに「自然」そのものです。

自然にも色々ありますが、私にとってはジャングル(Jungle)が一番近いと感じています。色んな生物が共存しており、弱肉強食の生態系が存在しており、強者ですら死ねば菌によって分解されます

そしてJungleの日本語訳は叢林(そうりん)とも訳され、今回の「SORIN」とはこの叢林のことです。

興味深いことに叢林には「僧林」、禅寺・禅林の意味もあり、「多くの僧侶が修行する大寺」のことです。

日本史の中では「五山派・五山叢林」に繋がるそうです。

室町幕府が制定した寺格制度である五山十刹諸山の制度に組み込まれてその保護・統制下に置かれていた禅宗寺院(禅林)のこと。

Wiki 五山派・五山叢林

私は仏教徒ではないのですが、釈尊の最期の言葉である「いかなるものも移ろい行く。怠ることなく努めよ」にはとても共感します。過去、2人の僧が叢林について語っているそうです(たぶん他にもいるでしょうが簡単に調べた中で)。

「不離叢林(ふりそうりん)」という言葉は、永平寺78世・宮崎奕保(えきほ)禅師のご遺偈(ゆいげ)、「慕古真心 不離叢林 末後端的 坐断而今」にも示されています。「叢林」、すなわち、輪廻、あるいは修行道場を離れないということです。
(中略)
道元禅師の説く不離叢林の行持を考えてみましょう。禅師はそれを坐禅であり、沈黙であり、お経であり、転法輪であると説かれます。
(続く)

愛知学院大学 禅研究所

今回のSORIN研究プロジェクトによって、人間の単純さが明快になっていきますが、それを観察する私や私たちに認知バイアスがあれば、どんなに科学的根拠があっても「いやそんなことはない、こうあるべきだ」と思い込み、受け入れることができないでしょう。

しかし、この研究活動は私にとっていわば坐禅なのです。坐禅は10代の高校中退したころに経験しましたが、私にとって坐禅は、静かな心持ちで、周囲の空間と一体になり、全宇宙と繋がっていく感覚です。

データを調べてるとたまにそんな気持ちになります。色々な社会現象、人間心理が繋がっていくのです。この世界は全部繋がっているという境地に至ります。

つまり、研究によって得られる客観的事実を受け入れることができると少し悟りに近づけるかもしれない、という仮説を持っています。

この社会はジャングルである、というだけでなく、SORINという名前にはそういう意味も込めています。

(3)研究の波及効果

「~~歳で~~な家族で~~な趣味を持っていて~~な友人関係だと~~歳のときの年収が~~になる」

どんな人間がこういう時にどんな行動をとるか、その人間の行動を他の人間にも適応できるか、こういったことが分かると短期的には犯罪対策や教育活動に活かすことができます。

もしくは会社の人材採用や組織運営にも活かすことができるでしょうし、Aさんを採用したら組織のパフォーマンスがどの程度変わるのかシミュレーションすることもできます。

途上国の開発支援においても、どんな政策が一番適切か、ということもシミュレーションできるようになります。教育の可能性や犯罪対策の可能性を引き上げることに繋がります。今は開発経済学と呼ばれています。

私の敬愛する研究者兼スマートニュース会長の鈴木健さんはご著書で以下のように書いています。人間関係が色んな要素に影響するとなるとこういった政治も重要性を増してきます。

 ソーシャルネットワーク上に、なめらかな敵を定義することはできないだろうか。40パーセント敵で60パーセント味方であるような状態の記述がソーシャルネットワーク上に定義され、そこからネットワーク上を値が伝播していき、ある人とある人の間の敵の度合いが半自動的に計算される。それはつまり、100パーセント純粋に公的な敵など存在しなくなる社会でもある。これを伝播軍事同盟システムと呼ぶことにしよう。
 この敵の度合いから、空間への立ち入りの抑止、財へのアクセスの禁止、暴力の執行にいたるまで、さまざまな法の自動実行が試みられるようになる。その場合、暴力自体が分散化した武器によって集合的に執行されるようになる。万人が少しずつ小さな武器をもち、その威力は、武器が集まることによって強くなるような性質をもっているとしよう。そうした武器のネットワークが集合知的に駆動されることによって、あらゆる刑は私刑として執行される。いわば、戦争はなくなったが、内部における「平和」は一部犠牲になっているような社会である。

なめらかな社会とその敵」の「公的なき社会」より

そういった色んな分野においてシンクタンクやコンサルティングとして活動ができると尚いいでしょうが、まずは科学的根拠を色々調べていくことから始めていきます。

色々期待を捨てた結果、少しビジネス(欲しいものにお金と時間を使う)とメディア(人々の日常・生涯学習素材)に期待し、科学に最終的な期待をしています。

科学も完全ではありません。科学的に正しいことが政治やビジネスですぐに利用されるわけでもありません。なぜなら人間は認知バイアスの塊だからです。

ただし世代を超えれば少しずつ科学的な常識が浸透していく可能性はあります。なので200-300年後に貧困や虐待がゼロになることを期待しています。

私に大きな能力があり、新興国向けスマホを普及させ、GAFA級のビジネスが作れていたら、もっと早く実現できたのですが、私の力不足で今起きてる虐待は無くすことができません。本当に申し訳ない限りであり、無力極まりないのです。

引き続きSUNBLAZE=運命を変える燃え盛る太陽は生きており、ビジネスチャンスはずっと伺っています。起業の成功も平均年齢45歳ですので、まだまだ分かりません。なので私は、私だけでも、自分の範囲外を目指して努力したいと思います。

インドの福岡さん(コロナ前から一緒にインド展開をしようとしていたビジネスパートナー)も同じく努力されている方ですが、同じような人がいればぜひともご連絡いただければ幸いです。よろしくお願いします。

余談:ロゴデザインについて

たぶん研究プロジェクトのためにロゴをデザインする人ってかなり少ない気がしていますが、元々大学でグラフィックデザインを学んだ私からすればプロジェクトにはロゴが必須だと思っています。

なぜなら「既存の研究とは違う」「特定の明確な目的がある」ためです。なので他と同じであまり目的がないなら不要だと思います。

ロゴは以下ランサーズでデザイン依頼し、64件ものご提案をいただきました。

結果できあがったコンセプトは、
・ジャングルを表現する草と花びら
・その中から除く猛獣の眼
・社会とジャングルは同じということで草のような人間
・丸くして地球を表現



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