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海がくれた名を背負って

わたしの父は海が好きな人だった。新卒で入った大手の証券会社をやめて、アメリカのフロリダ州へ英語もわからぬまま3年間とすこし、20代前半のあふれる若さだけを爆発させて飛び出した。

破天荒といってしまえばそれまでであるが、父から聞くアメリカの話は雄大な自然や、おおらかな地元の人のエピソードばかりで、仕事をやめた負い目や英語が話せなかった最初の頃の辛さとかは全然感じなかった。ときにはピンチに陥ったこともあったようだけど、父のアメリカ生活は彼の性に合っていて、おおよそ最高の思い出たちといっても過言ではなさそうだった。

父はアメリカでサーフィンにハマり、日本の海とは全く異なる本物の波の蒼さ、裸足で踏みつけた砂の柔らかさに感動したそうだ。サーフィン、釣り、サーフィンの毎日のなかで父の心は常に海とあった。わたしは日本の濁った海しか知らない。だから、いつかの日か心の底から美しいと思える広大な海原を拝んでみたい。

そうして日本に帰り、母と結婚した父は2人の娘を授かった。新婚旅行はもちろんフロリダ。生まれた1人目の女の子--これがわたしである--には「砂」の名を与え、その妹には波の名をつけた。なぜ長女が波ではないのかはいささか疑問である(普通は海といえば波が先に連想されるものでは?)ものの、わたしはそこそこに今の名前が気に入っている。父と母はそこまで深い由来は考えておらず、ただ海に関する名前ということでモチーフ選びをしたのだと思うけれど。砂は何にでもなれる。お城にも、船にも、さらさらと形を変えて、好きなものを変幻自在に生み出せる。そんな砂の名に基づいて、わたしもそのときそのときに一番良い形で自分を変えて生きていたい。


父はマナティーが好きだったので「まなみ」にしようと思ったという逸話ものちに聞いたが、わたしの友人のまなみちゃんたちはもっと素敵な由来で名前をつけてもらっていたから、「マナティー→まなみ」の安直さに、娘ながら不採用でよかったと胸を撫で下ろした。

さて、わたしのペンネーム「すなくじら」も海にまつわるものだ。“すな”は前述のとおりであるが、“くじら”に関してはわたしの体にいれたちいさな刺青が由来している。わたしの体には2つの刺青が入っているけれど、そのどちらもが名前を受け継ぐ海に関するものだ。

ひとつは鯨、もうひとつはコンパス。「誰にも負けない海で1番強い生き物のように堂々と」「自分の指針をもって」生きていくためのわたしだけのおまじないだ。不思議なことに、この刺青のおかげか、それとも単なる年の功か、わたしはここ数年でだいぶ精神的に強くなったように思う。

海が好きな父がくれた名前と、わたしがつけたもうひとつの自分の名前。日本は海に囲まれた国だ。わたしは海に守られていると感じる。海のつよさ。うつくしさ。怖さ。例えこんな世の中になって、その水の冷たさを体で感じられなくたって、わたしはやっぱり海が好きだ。そしてときどき、生き別れた兄弟の如く、遠く離れたアメリカの海を想う。耳に届くはさざなみの音ではなく、都会の喧騒かもしれない。それでも、海が創り出したいくつかの名が、わたしを今日も強く生かしてくれる。

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