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加奈子がいた8月。


加奈子は8月だけ、私の元へやってきた。


東京にあるおばあちゃんの家に、まるまる1ヶ月滞在する加奈子にとって、そして東京に生まれ帰省先がないわたしにとっても、同い年の2人はいい遊び相手だった。



加奈子との付き合いは2歳から、中学2年生まで続いた。だいたい14年くらい。だから、1ヶ月×14回で、時間をぎゅっとできるなら、1年間くらいの付き合いだったんじゃないかな。


加奈子とわたしは【小学生の8月】という最高の時間を、常に2人で過ごした。加奈子は勉強は苦手で、気が強く、体育が得意なタイプの、お人形さんのような綺麗な顔立ちをした女の子だった。


ちょっと口うるさいけど、加奈子のことが大好きなおばあちゃんは、いつもわたしを家に呼んでくれて、メロンとか、アイスとか、ちょっと高級なお菓子とかを食べさせてくれた。最新のゲームも加奈子の家には揃っていたし、当時わたしが憧れていたmezzo pianoのお洋服は、加奈子の普段着だった。



加奈子は関西の子で、わたしの知らない言葉でいつも話した。地元の男の子と公園で喧嘩になったときに、加奈子が関西弁で捲し立てて泣かしたことをわたしは忘れない。でも、その男の子がいなくなってから、ワッと加奈子が泣いたこともまた、鮮明に覚えている。


わたしは8月の最終週に加奈子のおばあちゃんの家の前で開かれる夏祭りが、何よりも楽しみだった。



宿題の、夏休みの絵日記ってメインイベントは3つくらいしかなくて(今日はどこどこに行きましたってちゃんと書けるやつ)、あとは宿題を進めたとか、地元の誰と遊んだとかになっちゃう。あとはプールの進級テストの結果とか。


でもわたしには、この夏祭りがあった。加奈子と2人で浴衣を着て、盆踊りに参加して、かき氷や綿飴をたべる。全工程を通しても5時間程度。でもそれが、わたしにとって夏の全てで、加奈子といられる最期の夏の時間だった。


印象的だった、中学2年生の夏。

意図していなかったが、加奈子と過ごした、本当の意味での最後の夏だった。


確かもう2人とも浴衣は着ていなくて、公園の砂場のフェンスにもたれて、話をした。


あのときの夏って、今みたいに殺人的に暑い!って感じではなくて、もっと心地よい暑さだった。


「東京ってなんでもあるけど、なんかつまらんよな」


ぼそっと呟いた加奈子の顔はやっぱりとても、綺麗だった。中学生になってちょっと大人っぽくなった加奈子は、多分男の子にもモテたと思う。



わたしはその頃、とにかく加奈子が羨ましかった。


なんでも買ってくれる親に、転勤族で全国いろんな場所に友達がいること。夏の終わりを地元で待つはじめての彼氏。彼女の美しさと、素直さ。宿題をやらないことに怒りつつも、彼女とたくさん遊んでくれるおばあちゃん。


もちろんこれは全て彼女の努力と人柄がもたらした環境でしかないのだが、14のわたしには彼女が妬ましくもあった。


東京がつまらないなんて言われても、わたしは東京以外を知らなかったし、教育熱心な母が組んだ夏季講習の塾のスケジュールは、朝10時から夜の20時まで、休みは週に1日しかなかった。部活も、夏の間は休んだから、吹奏楽の夏のコンクールに、わたし1人だけが、出られなかった。


盆踊りの終盤、ずっとずっと加奈子と過ごした夏の終わり。加奈子が羨ましくて、離れたくなくて、わたしが過ごした無機質な夏はもう返ってこないことに気がついて、わたしはワンワン泣いた。はじめはびっくりしていた加奈子も、なぜか一緒に泣いていた。


2人で干からびるほど泣いて、そのあとはどうしたんだっけ。


ともかく、あれが加奈子と過ごした最後の日だった。


あれからもう10年以上が経って、彼女が今何をしているか、わたしにはわからない。



今の連絡先も知らない。加奈子のおばあちゃんの家に行けば分かるのかもしれないが、なんだかそれも違う気がして。


大人になった今なら、加奈子にもっと違う気持ちで逢える。きっと。


加奈子。東京はすごく楽しいところだよ。


いつかまた、加奈子と過ごせる夏に期待して。




2020.8.14

suu




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