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自分だけを見て欲しい

自分だけを見て欲しい


親へ求める 子どものような心
恋人に求める 時のような心

注目して欲しい
自分のことだけを見てほしい

独占したい そんな心


自分を独占してもらいたい
裏を返せば
自分が独占したい


自分の手の中に

相手が自分の思うように
動いてくれることを望む

そんな気持ち


自分だけをエコ贔屓してと願い
他の人を見ないでと願い

自分のことを絶対に一番に
絶対に肯定をしてと願う

そんな気持ち


誰よりも自分のことを思っていると
感じたいから……




皆、一度は
経験したことがあるだろう

私は愛着形成が
上手くできていなかったから

こういう気持ちに似た
感情を自分に感じることもあった

感じた時には
自分の気持ちを感じながらも
相手の立場や社会的なことを考えて

ググッと堪えることが多かった

気持ちと行動が 相反して
その葛藤の隔たりに 苦しんだ


理解が早く、物分かりも良いため、
自分の気持ちを受け止める前に
思考だけが先に処理されていて

感情はいつも置きざりになった

私自身の持つ特性や
生い立ちから来るものだけど
生きづらさになっていた部分

今は 自分のことをよく知って
知識も学んで よく理解できているから

不思議なくらい、生き辛さがなくなった!


noteを始める前までは
人よりも生きにくさを感じていた
皆と同じように、楽しく過ごしもしていたが、
生きづらさはいつもあった

自分に気づくまでに、とても時間がかかったが

自己理解、自己受容できたことは
自分自身を取り戻せた感覚を感じた

これらの経験は自分の財産!




ときどき 
小さな自分が顔を出すことがある

淋しいと思う時などは
自分が子どもの頃に
感じた思いとつながって

小さな女の子がしくしくと泣いている
光景が心の中に浮ぶ

小さな自分を 
よしよしと 「淋しかったね」と
声をかけてあげたりして

俗に言われる 
インナーチャイルドを癒すように


私の心の中には 報われなかった頃の
小さな子どもの心があって

その心は いつもどこかに眠っている

ときどき リンクして
ひょっこりと顔を出すから

そうだね
淋しいね
こうして欲しかったね
そかそか よしよし と、

自分がして欲しかったことを
自分が全肯定してあげる 

自然にそういう気持ちになっているから
自然に声をかけていて

自分で自分を
受け止めてあげている
感覚がある


すると
小さな女の子は ふんわり癒されて

それは 自分自身ご癒されるものとなっている


心を外在化させ 慈悲を与え
自分自身の心が 慈悲を受ける

そのような感じで

セルフコンパッションのような
あるがままを受け止める


淋しい気持ちが 少し引いて
気持ちが落ち着き 癒されるのだ


普通に過ごせていたり、一般的な方には
分からないことかもしれないけれど

幼い頃の親子の関係に
悲しい気持ちや淋しい気持ちを
心に深く感じていた方にとっては

心が報われるような気持ちがあって

ここまでしないと
自分を癒せない


親からの無条件の愛 

のような 絶対肯定を求める心が 奥深くにある 

でも 

それを求めると 苦しくて
求められないのも 苦してくて

どこへ求めているのかも
よくわからなくなって

溝や切れ目
深みに落ちた時には

全肯定されたい欲求

が うごめく


自分だけを見て欲しいとは
そういう心のように感じている




先日、記事で紹介した動画では
女心について語っていた

女心の中には

全肯定 味方でいる 白馬王子 

がいると話していた


確かに 夢見ているものはあるように思う

求めているものは
親から受ける 受けられる権利のような
愛と似ていて

自然に受け取れている人もいれば
受け取れずにきた人もいる

私はどちらかと言うと後者




娘が中1の時
小学生の頃からの親友に対して

想いの強さから
独占欲のような気持ちを抱いていた

葛藤に苦しんだ経験をした


誰と誰が仲が良いか
自分は誰と仲良くしたいか
誰と仲良くなれているか

女同士 グループ カースト
クラス 部活 

自分は何者
思春期

まだ自分の自我はほやほやの中

自分の自我も揺らいでしまうほど
人の感情や心理の渦巻く中で
もがいていた


大好きだった親友

相手が誰と仲良くするかは自由
それはわかっている

他の人と仲良くしているのを見ると
嫌な気持ちになる
それを感じる自分もすごく嫌だ

だけど 自分が一番仲良かったのに
そうで無くなっていって……

自分だけの親友じゃなくなって
自分が特別じゃなくなったようで……

中学に入ったらいろいろと変わるのはわかる
嫌われたわけじゃないし 相手も悪くない
気持ちも変わってないのもわかるけど
自分の想いが強すぎなのもわかってるけど……

親友が他の人と仲良くしているのを見るのが
嫌で辛くて苦しい

自分だけの親友じゃないのもわかってるけど……
自分と同じように思ってもらいたいって思っちゃう……


わんわんと泣き崩れながら
自分の自我さえも揺らぎながら
葛藤に泣きじゃくっていた 娘

自分を認知できているところは
中1ながらすごいなと感心していた
よくメタ認知ができていて

とても心を寄せていたのだろう
自分の気持ちとの葛藤に苦しんでいた


小学生の頃から親として想定していた
彼女の思春期で乗り越えていく課題

思春期には 皆 
いろいろな葛藤を経験するけれど、

娘にとって、次々と起こる
大人へ向かう大きな課題は
次々に一気に起こっていた

ダメージは大きく
起立性障害までを引き起こした


自分崩し、自分探し、自己の確立


中高6年間という長い年月をかけて
成長を遂げていった

なんでもできて理解も早い
甘えそびれていたかもしれない

私と似た部分を持っていたから
共感を感じてもいた

娘の甘え直しをしていた時期だった




私が実際に経験してきたものは沢山ある

中でも 愛着については
身をもって経験している
他の人よりも共感と理解に
心を寄り添える自負もある


どんな人の心にも 
親からの無条件の愛のような

味方でいて欲しい気持ちや
全肯定して欲しいという気持ち

そのような気持ちは
あるものと思っている


自分の気持ちに
気づけるか 気付けていないか

それによって違ってくるのだろう


自分の気持ちを 謙虚に
素直に感じられていれば

その時には 痛みもあるかもしれないけれど
ありのままの自分を 自分で抱えていける


葛藤するような気持ちを持ったり感じたり
してはいけないわけではなくて

そういう気持ちを持っていると

そう感じることを許して

よしよしと
自分を受け止めることをして

新たにまた 
別の道が見えてくるような

そういうものを行っていけるかどうか


なのだと思う


だから 大切なことは
自分に謙虚であること
 


そう実感している




〜メタ認知〜

謙虚であるには
物事を公平に見れないと難しい

自分の気持ちで物事を見ていては
第三者の視点で見ることはできない

自分の感情と思考と俯瞰した見方と
バラバラに切り離し区別させるもの

感情のままに思考していては
公平に物事を眺め判断できない

私自身が経験してきたことだ

似たような出来事に対しては
他の人よりもより共感や理解や
心に寄うことはできる

娘にしていたように


願いを叶える叶えないではなく
その気持ちを理解している

共感すること受け止めることは
期待や願いが叶うことと イコールではない


もし今 誰かが
似たような気持ちを持っていたとしたら

私も似た気持ちになったことがあるよ
そんな気持ちになることあるよね

そう 共感したい

その人が謙虚で
人を受け入れ
耳を貸して 
心を開いていくように


願いを込め

あるがままに



・・お読みいただきありがとうございます・・


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