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自分の中の小さな女の子


お久しぶりです!

投稿が追いつかない今日この頃です。
今日は私の中の変化と自分の中にいる小さな女の子について
書いてみようを思います。


自分の内面が、相手に映し出されている感覚を持ったことってありませんか?

私は、困っている人や弱い立場に立っている人を見ると、
困っている自分、苦しんでいる自分の姿が映し出されます。
自分を見ているような感覚になるんです。

よく言われている、相手の立場になって考えるというものと似ているのですが、
私が感じているのは、自分が困っている時の状態が心身に感覚が蘇り、
相手が、その時の自分のように見えるというものです。


一般的な「相手の立場になって考え共感をする」という場合もあります。
自他が区別されていて、相手に共感的な理解をして接することができます。
思いやりを持って関わり、「ありがとう」と感謝され嬉しくなります。

二つ目は、少し遠くで困っている人に気がついた時です。
誰も声をかけず素通りし、また相手も声をかけられないでいるような時や、
助けを求めているが幾度か断られて困っている時のように、困り具合の大きさを感じる時、気になってしまいます。
困っている時の自分と重なる感じです。放っておけず、声をかけてしまいます。
思いやりももちろんありますが、自分の困っていた時の気持ちをそのまま見逃せなくなるので、見て見ぬ振りをすると少し苦しい気持ちがしたり、なぜか罪悪感を感じます。
相手に思いやりを持って関わり感謝され嬉しい気持ちと、自分の中の気持ちも救われ安心する感情も同時に感じます。

三つ目は、近い人が困っている時です。少し一方的や依存的な場合です。
この場合は、自己中心的なので自分にとってはとても負担がかかり、自分の感情としては断りたいのです。ですが、その姿はまた、自分の奥底にある自分の叫びが映し出されている感じがします。ずっと抑圧して表に出さないようにしている心、
自分が感じたくない感情を見せられている感じがするんです。
なので、相手の訴えが、まるで自分の訴えのように感じ、断ることは、自分が助けてもらえず苦しい気持ちが湧いてきます。
なので、助けても助けなくても苦しさが出て、疲弊します。


相手から伝わる感情やエネルギーのような温度の強弱によって、自分の心身の状態と自分の持っている内面によって、いろんな場面で、自分の内面が、
相手に重なって見えて感じる時が度々あります。

以前はそのような時に、自分の弱い部分の感情に不安な気持ちが表れて動揺を
していたのだけど、ここ最近は心の安定によって変化してきました。

不安な気持ちや動揺がある時に、その感情は、小さな子どもの姿になります。
この小さな子どもは自分だ…。

その小さな子どもを癒すことで、自分の感情が浄化されます。
そんなイメージが心の中に登場しています。

たまに聞きますね。
怪しい自己啓発みたいな(笑)

心理療法に、フォーカシングというものがあるのですが、それに似ていると思います。前に、とても苦しかった時に体で起こっている状態を、胸のあたりがギュッと黒い岩のような塊がある感じがして、そのまま体を観察していったら、その時には、泣いてる小さな女の子が自分の中に現れました。

とても不思議な体験だったのですが、調べたらフォーカシングを自分はしていたのだなと思いました。大学で学んだのに、この心理療法は抜け落ちてました(笑)

日常でも姿勢や体の変化にとても気づきやすく、自分の感情も体の感覚から見つけたりするので、私にとって、身体感覚、肌感というのは繊細に感じ取れるものなのだと思っています。

そのため、フォーカシングも自分に合っているかもしれないです。
興味のある方は、フォーカシングを調べてみてくださいね。


というわけで、フォーカシングの話ではなく、私は今、自分の中にいる
小さな女の子に優しく声をかけ、暖かく包み込んでいるわけです。


そうしようとか、そう思おうとかではなく、
とても自然に、心に現れたそのままに…

小さな女の子に、自分がしてもらいたいと思うことをしている。とても穏やかで優しい自分でいられて、とても幸せな気持ちになります。


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