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適応障害の症状と原因(自己分析)

私は2022年11月に適応障害であると診断を受けました。
今回の記事はなぜ適応障害になってしまったのか、自分なりに振り返ってみたというものです。


現在は回復傾向にあるのでその過程や、回復の為にやっていた事などをまた別の記事でシェアする予定です。😆



症状

・息苦しさ
・頻繁に脚や手が攣る
・動悸
・頭痛
・涙が出る(勉強中、通学中、飲食の最中、朝起きてすぐ、笑った時、、、等 自分でもよく分からないけれど泣いている なんてことが多かったです)
・漠然とした不安に襲われる。
・無力感
・自責
・息切れ
・集中力の低下
・焦燥感
・決断力の低下
・めまい
・疲労感
・食欲不振
・興味が湧かない
・起きている間にも夢のようなものをみる(妄想?幻覚?)
・フラッシュバック


私の症状としてはこんな感じでした。

急に不安に押し潰されそうになり泣くことが多かったです。
大学に授業を受けに向かっている途中に涙が止まらなくなり引き返したこともあります。

バイト中に動悸と息が苦しくなり頻繁に影でしゃがんでいるなんてことも多かったです。


よく友達やバイトのスタッフに『大丈夫??』とよく聞かれていましたが
今思うと私は異常に見えていたのだと思います。


バイト先でダブルシフトの時には賄いを貰えるのですが、家に帰ってからご飯を作るのが嫌で一度に2人分一気に食べて1日に1食のことがありました。
また別の日には1日にホールのピザを2枚食べたり、、、

バイト先のスタッフは私が賄いを増やして欲しいとお願いした時には、『小さな体でいっぱい食べるんだねぇ』などめちゃくちゃ食べる子として認識されていました笑

ただ私の一度に食べる量が多いと心配したのかしばらく経った頃に
シェフから食べ物を受け取るときに
『健康にね、、食べ過ぎじゃない??』
と声をかけられたのを覚えています笑


賄いで生きていたって感じでした笑笑


家に帰ってそれでもお腹が空いている時は、にんじんを丸齧りすることが多かったです。

私にはルームメイトが4人いたのですが、
にんじんを齧っているときにキッチンであったりすると
『またにんじん?!それだけ?!』と
言われていました笑笑



他には大学からのメールやちょっとしたLINEの返信もできない時もありました。


朝起き上がれなくなって、起き上がれたとしても部屋の片隅に座り1日が終わっているなんてこともありました。


私の場合、自殺願望は無かったのですが、
自殺なんてしなくとも明日起きられるなのだろうか、、
急に倒れて死んでしまうのではないか、、
息が苦しくなる度に、このまま息が完全に出来なくなって死んでしまうのではないか、、


と恐怖を感じることがありました。


私は海外留学中だったのですが、私の様子をみかねた彼には何度も日本に帰国をするようにと勧められていました。


しかしちょっと休んでまた体が動くようになると朝からアルバイトへ行ったり、学業をしたりして、『まだ動けるから大丈夫』と何度も帰国を先延ばしにしていました。




私なりに原因を考えてみた(私の場合)

まずは

性格

です。というか考え方です。
休むことが苦手です。

休むことが重要なのは頭では理解はしていますが、『この時間があったら〇〇できる』と時給を計算してしまったり、

何もしない時間が経っていくのが無駄のように感じてしまいます。


留学中は時間が空けばアルバイトが勉強をしていました。
もちろん日本にいる時は友達と会うことも多かったですが留学中は生活をするのでいっぱいいっぱいで友達との時間は僅かで、
『留学』と聞いて最初に思い浮かべるようなキラキラはほとんどありませんでした。

もともと自分の体調の変化や感情の変化に鈍いところがあり、気付いたらボロボロなんてことが以前にもありました。

ただ、やはり自分に気を配るほどの余裕がなく、余計に身体からのシグナルに気付きにくかった、気付いても動くしかなかった状況にも原因があるかもしれません。




お金の不安

この不安要素は私の中で大きなものでした。

海外留学というとお金のある人がするようなイメージが私にはあり、
私は獣医師として海外で働くという夢がありました。

医学系の学部は日本でもそうですが、学費が他の学部よりもかかります。


でも

お金がなくとも自分のやりたいことがやりたい、
お金で受けたいと思う教育を受けることを諦めたくない、
お金が無いからと夢を諦めたくない、

そんな強い気持ちがありました。

高校1年生からアルバイトをし、留学費用の為に貯金にまわし、

コロナ禍に突入し、オンライン授業を約2年間。
ロックダウンでいつ渡航ができるのか分からない状況が長く続いていました。


そんなこんなでやっっっとのことで現地到着。
オーストラリアの大学に進学を決めてからおよそ5年が経っていました。


時間はかかったけれど、私にとっては大きな一歩でした。

『お金が無いから夢を諦める』という風潮を自分がなくす!
お金がなくても出来る!
ということを私は自分で証明したかったのです。






到着をしてからすぐに始めないといけなかったのは仕事探しです。


ただ規制の緩和により、一気に人が入国してしまった為かなかなか仕事が見つかりませんでした。


そんな中勉強もしてと常に不安の中にいました。

ついには家賃を滞納してしまい、ホームレスになることを一度は覚悟しました。
日本ならお金がなくとも生活保護を受けることができますが、
私は現地では外国人。帰るにも飛行機代がかかります。。。


働くために資格(お酒を扱う為のもの)を取り、なんとか家を追い出される直前で仕事を得ることができました。

勉強をしにきたはずが、気付いたらバーテンダー、バリスタ(ラテアートもできるようになりました笑)として働ていました。

『自分はここまで来て何をしているのだろう、、』
と何度も自分を見失いそうになりました。


生きる為に一生懸命になっていましたが、今後の学費を貯金する必要がありました。

レートにもよって変動がありますが大体こんな感じです。
・300万円×3年間
・600万円×5年間
(大学入学のための学校も通っていたので親にローンを組んでもらっていました)

プラスで生活費、教材費なども必要です。
私の住んでいた大学の寮の家賃は1ヶ月7万円ほどでした。


大学からは奨学金を貰ってはいたのですがそれだけでは賄いきれず、、、
他でも奨学金を貰う必要がありました。


日本から出ている奨学金を調べてみても対象国はアメリカ・イギリスばかり。
短期留学者向けの奨学金があるのを見つけましたが、海外進学者のものはありません。日本に帰ってくるという保証が無いからとかなんですかね、、、


留学エージェントの方に相談をしたことがありますが、
オーストラリアは特に奨学金がない と教えて頂きました。


大学にも連絡を入れ追加で受けられる奨学金がないか確認をしましたが、
受けられるものはありませんでした。


毎日のように調べていて、私が応募できる奨学金を見つけた時はなんとも言えない気持ちになったのを覚えています。

見つけたのは3つありました。
1つは日本からの利子付きで借りるものです。

テスト期間であっても関係ありません。必要な書類を集めました。
日本にいる母にも手伝ってもらい、書類をスキャンして送ってもらうなどしました。

また大学からの推薦のサインが必要でしたが、
『まだ入学して間もないあなたのことはよく分からない、成績もまだ出ていないから学業での信用もない』と断られてしまいました。

もう2つは小論文を書く必要がありました。
正直に言うとほんっっっっっっっとうに大変でした。
ものによっては『原稿用紙に手書きでないといけない』という条件があるなど 
(原稿用紙なんてオーストラリアで使わないしどこで買うんだよ!!てか買ったとしても使う機会もう無いし!!)
提出前の準備に苦労しました。


自分の生活ももちろん、留学生活を送る上でのお金の不安は常にありました。



勉強と周りの環境


私の学部はその大学の中でも一番人気で有名でした。
その為、人数が多く競争力がめちゃくちゃあります。


この大学で獣医師になるには最初の学士3年間の間に
上位成績10%に入り、動物関係の活動をしたという証明、
その他にもいろんな条件や審査に合格し、獣医学部過程に入ることが絶対条件です。



世界各国から留学生が集まってきます。
もちろんアジア圏から来る学生もいますが、そのほとんどが英語を日常的に使うような国ばかり、、、


私は海外経験もなく、英語で理解するまでにもとにかく時間がかかってしまいます。それでも関係なく現地学生、英語が有利な留学生と戦わなければなりません。


臓器の名前、微生物・寄生虫の名前、、、
などなど
日本語であれば分かるものでも、英語になった瞬間分からない、
英語で分からないから日本語で調べてみるもよく分からない、
専門用語などに苦戦しました。


朝イチで図書館に行き、深夜に帰宅することもしばしば、、、




周りの環境としては、
大学の寮に住んでいたので近くにいるのは自分と同じく留学生ばかりでした。

ただ、金銭的な感覚が私とは別物でした。
周りの友達は、バイトした事がない、海外旅行は当たり前。

そんな子達が多かったです。

本人には悪気がないとは分かっていても、
私がバイトから帰宅した際に、
ルームメイトから
『仕事ばかりしていて、勉強はついていけるの?勉強に集中した方がいいんじゃない?親はなんで助けてくれないの?学費は親が貯金してくれるものだと思っていたけど、学生でも働くのは日本の文化?国の違いだからかな』
と言われたことが当時はきつかったです。


文字通り私とは住んでいる世界が違う人ばかりでした。

他人と比べてもしょうがない、私は私。
そう思っていてもやはり弱っている時こそ視界に入ってきてしまうものです。


毎週クラブに行っている友達。



私の留学の目的は『勉強』であるということが一番にあったので
そもそも遊びたい、クラブに行きたいという気持ちはほとんどありませんでした。



ただ、勉強して、働いて。
息抜きや楽しみがほとんどありませんでした。
常に気を張っているような状態だったのを覚えています。

好きなだけ勉強をして、息抜きすることもできるくらい金銭的な余裕もある、お金の心配をしなくていい、
そのような友達に対してはとても羨ましく感じていました。




アイデンティティの喪失


現実的に考えて、学業から離れざるをえませんでした。
単位を一つも落とさずに過ごす事ができてはいましたが、やはり金銭的な問題は大きいです。

上位10%の成績をとるという条件の前にまず『学ぶ』という土俵にも立つことが許されません。

それは小学生の時から人生をかけて追いかけていた夢を諦めなくてはならないということを意味します。


お金持ちにしか自分の夢を叶える事が許されないのだと
歪んだ考え方をしてしまったこともあります。


そんな中、これからのことを考えなくてはならないという時に
3年程お付き合いをしていた彼とお別れをしました。

彼は私の心の支えであったし、彼もまた獣医師になるという夢と同様、私のアイデンティティの大きな部分を占めていました。



それからというもの、
今後何を目標としたらいいのか、自分のやりたいことは何なのか、自分には何ができるのか、何をしている時が楽しいのか、自分がどんな人間なのか、、、、


獣医師になること以外で  と考えた途端に完全に自分を見失ってしまいました。


学歴としては高校卒業、大学中退となります。
それまでの自分の中で大学を卒業しないという選択肢を考えていなかったので当時は学歴コンプレックスにも悩まされました。


就職を視野に入れ、企業を調べてみても
学歴・新卒を重視しているものだったりがどうしても目につきました。


とにかく理想の自分と現実の自分とのギャップに苦しめられました。


まとめ


まだ全快とはいかないものの、徐々に現実を受け入れ、失ってしまったアイデンティティを自分で補えるようになってきました。


生きていれば挫折も失恋もあるかと思います。
人は常に変わり続けます。


努力する方向によっては報われない努力があるということも学びました。


大学から離れることになってしまいましたが
獣医になって直接医療に関わる事ができなくとも、

『動物の為に何かしたい、人間と動物とが折り合いを持って共生できる社会を作りたい』

という私の軸は変えないでできることを探しつつ試していこうと思います。

大学にいる間は、勉強と仕事ばかりで他のことをする時間がありませんでした。
また、まだ私は正社員でもありません。

考え方によっては今の私は『自由』な存在であると思います。
いろんな場所に行っていろんな人に会っていろんなことを吸収したいです。


これだけ必死に自分に負担をかけながら生活をしたこと、
不可能を可能に変えようと大きな挑戦をしたこと、
大きな挫折を味わったこと、
知りたくもない現実に沢山向き合ったこと、
自分ともしっかりと向き合ったこと、


今、当時を思い出しながら文字を書いていても つらくてしんどいけれど、
これらの経験は自分の大きな財産になると信じたいと思います。

またこれから何か問題にぶつかる事があったとしても
もうこれ以上のことは起きないのではないかと思うし、自分の経験が将来の自分を助けてくれると思います。


今はただ、
頑張った自分を沢山褒めてあげることにします。✌️



中々上手く言葉がまとまらず、長くなってしまいましたが
最後までお読み頂きありがとうございました。


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