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はじめに(⚠️)

※これから綴るものは、かなりSensitiveで、自分の中にも何層にもなっているネガティビティのひとつです
どなたでもそうですが、根深いものは完全に浄化されるまで時間を要します

性的描写に抵抗のある方はどうかご無理なさらないでくださいね

﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏

性嫌悪があった

ずっと、「男」っぽいもの「女」っぽいもの、
と分類されるものが苦手だった

「性的に捉えられている」と感じることも何より苦痛だった

そんな人は多いと思う

幼稚園で流行っていた「スカートめくり」

大人からしてみれば、相手はまだまだかわいい
幼い子どもかもしれないが、

大人から見て彼らが可愛くたって、

当事者にとって恐ろしいものは恐ろしいし、
私は当時恐怖に頭を支配されていた(真っ白になっていた)

身につけているものや
所作、スタイリングをジャッジされ、

あたかもそれが女子の価値であるかのように、

そしてそれを性的に消費されることに、

この頃から抵抗があった

ふざけて男の子が女の子に接触しようとしたり、
言葉でからかったり、

中学生になると、ほとんど意味がわからない言葉がクラス中を飛びかった

意味がわからなくても、一部の男の子たちのあの笑みと言い方からして、それが「性的なもの」に分類されることは直ぐにわかった

先生たちはそれを苦笑いするか、最悪乗っかるか、はたまた徹底的に無視を決め込んだ

保健体育の授業で「異性に関心が出てきてもおかしくない年頃ですよ」と教えても、そこで終了で、

まだまだ私たちはその先にあるものがなんなのか、恋愛とは性とはなにか、全く教えられなかった


受精までの正しい知識、心と体の守り方、
GenderとSexの違い

私たちは放置されて育った

「性教育」を誤魔化してなんの意味があるのでしょうか。

自分の身、相手の身を守るため、正しい知識を身につけること

自分の体はじぶんのものだということ

行為は双方の合意が必要であるということ

冷やかすものでも茶化すものでもないということ

きちんと教育されていれば
ケアされていれば辛い想いをするひとも減る

「当たり前」で判断される痛み

ありがたいことに、私の周りには私と同じような価値観をもっている友人が多かったので

いわゆる下ネタで盛り上がったり際どい質問や話をふっかけられることは殆どなかった

けれど、大学生になりパートナーがいることが自然、という風潮が蔓延し、

バイブレーションが異なる様々な人と接触する機会が増えるにあたって、私は深くショックを受けることが増えた

①性的な話を聞くという大きな打撃、苦痛とショッキングさ

大学生の頃、友人に「この間○○がバーに行ってそこにいた人とホテルに行ったらしい」

と伝えられたことがある

その人のことを私は知らなかったけれど、

たったその1行の言葉に当時の私は深い衝撃とショックを受けた。

きっと、ライトな関係を求めている人からしてみたら「いやいやお前めんどくさいな」なんて思うかもしれないけれど、

今、茶化さず、向き合うべき話題だからこそ、

痛みを抱える人間、トラウマがある人間もいるからこそ

表面化されにくい問題を抱えていることもあるからこそ

(そりゃそうだ。面と向かって言えるはずがないのだから)

対応には気をつけなければならない

②彼氏いるの?じゃ、そういうこともあって当然だよね

と、見られること、そう思われることが本当に苦しく、話を振られたり突っ込まれることが嫌で仕方なかった

黙っていたり、適当に流せばいいものの、そんなふうに対応してもいいのだということを私は知らなかった。

自分の体、心は自分のもの。自分で守っていい。

先程も述べたような、そんな教育が当たり前だったら悩まなくても済んだことかもしれない


いきなりそんな話をふっかけてしまうのはデリカシーにかけるし、セクシャルハラスメントでもあるのだけれど。

こんなふうに毎回悩んだり

「普通」の恋愛や

こんなことに一々引っかからない人でいられること、を羨ましく思った

(続)⬇️

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