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久高島のウパーマ浜で号泣した訳

珊瑚が石になり砂浜の上に大きく聳え、その先にまた砂が広がる、ウパーマ浜。

沖縄県は久高島へ行ってきました

ハビャーン岬へ向かうとき、(沖縄開闢の祖、アマミキヨが降り立ったといわれる)

真っ直ぐ続く南国の木々、もりだくさんの植物に囲まれながら曇り空の下ひたすら自転車を走らせ…


半分ヘトヘト。

強風も相まって、到着して見たハビャーン岬は、固く力強く、荒々しく、ただじっと見つめるのみでした

大きな女性のエネルギーを感じると共に、近寄ってはいけない、茶化してはいけない空気を感じ、本当に敬われてきた、神聖な場なんだということを感じました。

何となくざわざわしながら岬を後にしました。

風が強かったためか、連日のハードワークか、それとも1人旅ではなかったからか、
岬を見てもスっと惹き込まれたり、体が軽くなる感じがなく、

(沖縄に来る度、そしてそれが人の手入れがない場であればあるほど毎回なるのですが、それもタイミングがありますからね)

竹富島に来た時には、着いた瞬間に胸のなかがシュッと浄化される感じがあったのになぁ、

なんて思っていたけれど

ウパーマ浜にて、この自然にひたろうと座りながら、ただ海をじっと見つめてたとき、

「母なる大地のふところに
我ら人の子の喜びはある」

ふと大地讃頌の歌が頭をよぎりました

このタイミングで、この日、私が最も安らげる沖縄にいる不思議。

ここにいる縁が、理由が、そこにあると感じていました

この人生を、地球を、そして生き方を、もう少し温かい波動で抱きしめたい。感じたい。

今まで突き放し、見ないふりをして生きてきた自分の真の感情と向き合いたい。

そう感じ、
大地讃頌を聴きながら自分に向かう時、


あぁ、ロウアーセルフも
インナーチャイルドも
褒めていいんだ

排除しようとしなくていいんだ

今までよく頑張ってきたね

見ないように、感じないようにすることで
私を守ってきてくれたんだね

そう感じました。

目の前で寄せては返す波のように、
自然に、人生に自分を委ねればよい

【誰もあなたに危害を加える者はいない】

そんなメッセージを受け取り、

そうか、私はこれまで、傷つけられると思って生きてきた

だれが自分に危害を加える人なのかを怯えながら確認していたのだな

けれど心の底から私を傷つけたいものなどいない

もっと楽に生きてよいのだ

そう思いました

自然に愛されている
世界に愛されている
つつまれている

その愛おしさ、ありがたさ、温かさ

立ち去ろうと腰を上げ、横目で海をながめたとき

涙が溢れました

すべての痛み
すべての苦しみ
傷ついた過去
受け止めようとした過去
苦しみながら生きようとした日々

それでも前を向きたいと思っていた人生

そして

同じように痛みを感じ、向き合い、
辛く暗いトンネルの中で彷徨いながらも

出口を探すために懸命に向き合う仲間がいること

それに気が付けたこと

全てのネガティビティが未来へ繋がっていく感覚

ありとあらゆる感情が魂のレベルであふれ、
とめられなくなり
ただひたすら
静かに
静かに
せき止められぬ涙を感じながら


あぁ生きてこれて、良かったのかも。


そう思える瞬間が何よりの前進でした

感情がたかぶるほど
波の音が大きくなり、

自分の中の自然が、
海と共鳴しているのを感じました

未来は、きっともう少し明るい

ウパーマ浜にお礼を告げて、私は場を後にしました

その神秘さ、力強さ、そして優しさ、やわらかさ

なんという包容力

ヘトヘトで浮腫み、疲れ気味だった私の体も、
浜を後にする頃にはすっかり消え去り

スッキリとした開放感とおだやかな感謝だけが、そこにあるのでした




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