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【作品紹介】きっとボクらは すれ違うことも出来ない筈の夏に迷う


サマー・コンプレックスという言葉を知っているだろうか。

「三日間の幸福」や「恋する寄生虫」などの作品で知られる作家の三秋縋氏が提唱した概念である。

(詳しいイメージを知りたい方は、下記の"感傷マゾ"さんで掲載されていた記事を見ていただければ、おおむね理解できると思う。)

上記の記事に触れなかった方でも何となく心当たりを感じていると思うが、「夏」にはどうやら明確な理想のようなものが存在しているらしい。
ぼくなりの言葉で言えば、夏というものには「自身の体験の溶媒となるようなイメージ」があって、ぼくらが『夏の思い出』と呼んでいるその記憶のなかで、ぼくらの体験はその溶媒に多少の色を加えているに過ぎない。というところだろうか。

そしてさらにタチが悪いのは、夏というものが、その溶媒だけでこの上なく美しい状態として存在していることだ。

青空の下、向日葵畑の前、白いワンピースの少女。余計なものは何もいらない。
そんなイラストひとつで、ぼくたちは簡単にこの上ない夏を感じることができる。ぼくらの、幼い日の長くて短い、暑いのに幸せだった日を思い出せる。

思い出すとはどういう意味だろうか。
白いワンピースの少女とぼくは遊んでいたのだろうか。
向日葵畑にそれほどの思い入れがあったのだろうか。
どうしてそれらはぼくにとって、「余計なもの」じゃないのだろうか。

程度に多少の誤差はあれど、そういう、「溶媒」が存在する。ぼくの体感した夏じゃないのに、ぼくの夏と言いきれてしまう。そういう半ば答えじみている共通認識が存在している。
だからサマー・コンプレックスなのだ。完璧な夏を知っているからこそ、久石譲氏の「summer」を聴いて夏を明確に感じる。ふとした時に、ある作品から理想の夏を見てしまう。

もちろん作品にはクリエイターの自我を入れるべきだ。しかしながら、そういった正しい夏、共通の夏、最大公約数的な夏。そういうものを作品のなかに感じることがあれば、ぼくらはたちまち身勝手な理想の夏休みを思い出し、そしてそこに到達できなかったことを少しだけ後悔する。

前置きが長くなってしまったが、そういった嬉しくもあり寂しくもあるノスタルジアを、少しでも感じることができる作品を紹介しようと思う。
どうして五月の上旬にこの話をしたのかというと、この時期にそれらに触れておくことで、夏の到来と同時にそのコンプレックスを遺憾なく発揮できると考えたからだ。夏らしい作品を夏に触れるのも勿論良いが、夏を前にして「後悔の準備」を今のうちにしておくというのも、自虐的で悪くないだろう。


Summer Pockets

Summer Pockets 通常版 KEY 

https://www.amazon.co.jp/dp/B07TW57RVZ/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_t6oSEbNN3CQ60

亡くなった祖母の遺品整理のために夏休みを利用して、鳥白島にやってきた主人公の鷹原羽依里。祖母の思い出の品の片付けを手伝いながら、初めて触れる「島の生活」に戸惑いつつも、順応していく。海を見つめる少女と出会った。不思議な蝶を探す少女と出会った。静かな灯台で暮らす少女と出会った。思い出と海賊船を探す少女と出会った。島で新しい仲間が出来た。この夏休みが終わらなければいいのにと、そう思った。(amazon紹介ページより)

ビジュアルノベルゲームブランド、KeyによるPCノベルゲーム。
本作の大きなテーマの一つは「懐かしさ」だと思う。
過去の夏、思い出の夏であるということを強調したシナリオ。
夏らしいBGM、特に目を引く、シンプルで、綺麗なピアノの音色。
「夏」という概念がそもそも持っている懐かしさを活かした世界を、この上なく綺麗に、綻びなく創り上げている。『ぼくのなつやすみ』をモチーフにしたという点なども大きな要因の一つだろうか。
夏という枠組みに囚われない懐かしさも感じることがある。既存のKeyの他作品を想起させるようなシナリオなどはファンにとってのある種の懐かしさだ。
近々新作の発売予定だが、主題歌である「アスタロア」は、ここ数年で最も人気なアニソンシンガーのひとりである鈴木このみさんを起用しながら、その曲調はどことなくゼロ年代のノベルゲームの主題歌を想起させる。これも一つの懐かしさと言えるのだろうか。(この記事のタイトルは歌詞の一部になっています)



イリヤの空、UFOの夏

イリヤの空、UFOの夏 その1 (電撃文庫) 秋山 瑞人 https://www.amazon.co.jp/dp/B00IUAYBCA/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_IvpSEb8X7B4EM 

「6月24日は全世界的にUFOの日」新聞部部長・水前寺邦博の発言から浅羽直之の「UFOの夏」は始まった。当然のように夏休みはUFOが出るという裏山での張り込みに消費され、その最後の夜、浅羽はせめてもの想い出に学校のプールに忍び込んだ。驚いたことにプールには先客がいて、手首に金属の球体を埋め込んだその少女は「伊里野可奈」と名乗った…。おかしくて切なくて、どこか懐かしい…。ちょっと“変”な現代を舞台に、鬼才・秋山瑞人が描くボーイ・ミーツ・ガールストーリー(amazon紹介ページより)

同タイトルでアニメ化されているが、ここでは原作小説の話をしておく。
ボーイ・ミーツ・ガールという漠然とした言葉が、イリヤの空以上に似つかわしい作品が、いったいいくつこの世にあるだろうか。
話は単純なセカイ系。世界を救うか彼女を救うか、それだけ。
ただそれだけのこの作品を傑作たらしめるのは、文字通りの鬼才である秋山瑞人の手腕に他ならない。
平凡な中学生の、無力な夏の話だ。
夏は象徴的で、漠然とした強さがあって、なんとなく少年が大きくなった気になれる。でもそれはまるっきり嘘で、たぶん少年のぼくらは、そう思い込んで夏にしがみついていただけなのだ。だから夏を終わらせなきゃいけない。結局無力のまま何も変われないけど、それでも自分の手で夏に終止符を打たなければならない。きっと来年もやってくるのだろうけれど、この夏は最後にしよう。そういう話。


ヨルシカ-花に亡霊

最後に楽曲の紹介をしようと思う。
ヨルシカの新曲、6/18よりNetflixで配信が決定している映画「泣きたい私は猫をかぶる」の主題歌。
作曲者であるn-bunaの繊細で抒情的な歌詞を、余計なものはないのに胸を打つメロディーを『夏』に出力させたような歌。
ヨルシカはもともと夏をテーマにした楽曲が多いのだが、この曲は特に夏の終わり、そして忘却をテーマにしているところが、直接的ではないが「夏らしさ」に拍車をかけているように感じた。

忘れないように 色褪せないように
心に響くものが全てじゃないから


この楽曲やn-bunaに限った話ではないが、紹介した作品を俯瞰してみると、何となく死だとか終わりだとかの匂いの中に、ぼくらは象徴としての夏を感じているような気がする。

『八月の終わりは、きっと世界の終わりに似ている。』とはよく言ったものだ。
https://www.amazon.co.jp/dp/B06VSYYJXC/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_2iqSEbAYC3E8Q






ほかにも挙がる作品はいくつかある。
映画で言うと、「菊次郎の夏」は言うまでもなく、ジブリの中にもサマー・コンプレックスを想起させる作品は少なくないように感じる。
音楽で言うと「夏影」やひぐらしの「you」など。
ゲームで言うと「ぼくなつ」、それに「Air」だろうか。
倉薗紀彦さんの漫画「彗星★少年団」なんかも思い浮かぶ。


誰か一人でも、これらの作品に触れて、あるいはそのあとにやってくる今年の夏に触れて、虚構と現実の狭間で煩悶してくれると、少しだけ嬉しい。

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