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"インドの洗礼” ~世界一周旅日記~ インド編 【第六章:第15話】雲と地平線の間

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7/24(これがインドの洗礼)

参った。
あれは3日前だったか。
夜の11時ぐらい。急に悪寒がしだした。
悪寒は、休むことなく襲ってくる。
(やばいな。)
そう思いながら、
毛布をとりだし、それにくるまる。
それでも震える。

ここはインド。
夜とはいえ、気温は28度前後はあるはずなのに。
とちゅうから頭がガンガンしてくる。
そして、お腹が痛くなった。
(この腹痛は夜に食べた食事のせいか?
それとも風邪の菌がお腹の中に入ったのか?)
と考えていると、突然の便意。

トイレにいく。
食事を取った時に、
変な細菌を取り込んだ可能性が高そうだ。

細菌の数を減らすためトイレに行く回数を増やす。
脱水症状にならないように水をたくさん飲む。
食事を取ると、細菌に餌を与えることになるので、
食事を抜く。

その夜は5,6回トイレに駆け込んだ。

次の日、
症状はますます悪化していた。
立つだけで頭がガンガンする。
ふらふらする。
悪寒、吐き気、腹痛。
おきあがることもできなくなった。

それでも容赦なく便意は襲ってくる。
時計をみてみると、
だいたい1時間おきくらいに便意が襲ってきているようだ。

ふらふらしながら、
トイレに入る。
少ししてトイレから解放され、ベッドに倒れこむ。

ベッドの上にうつぶせになりながら、疲れでハァハァと肩で息をする。
トイレに行くのも一苦労。

僕の異変に気づいた、
ドミトリーの同じ部屋の日本人の友達が、
水を買ってきてくれた。
そしてポカリスエットの粉末もくれた。

こういう時の日本人の友達はとてもありがたい。
いろいろと気を使ってくれる。

水が手に入ったのが嬉しかったのだろう。
「多分、『死を待つ人々の家』でコレラがうつったんだと思う。
1週間後くらいには、オレも『死を待つ人々の家』に患者としているから、
お見舞いに来てね。」
と、友達に言った。

友達が、
「お見舞いに行ったら、『あんたも手伝いなさい。』って、オレもボランティアさせられたりして。」
と返してきた。

誰かが言っていた。"インドの洗礼"
「インドを旅行するバックパッカーはね、
"インドの洗礼"って感じでね、
必ず一度はひどい下痢に見舞われるんだ。」

バックパッカーは生水を飲んだり、
汚い飯を食べたりしている。
そりゃ、下痢にもなるだろう。
しかし、これはキツい。
これが、インドの洗礼ってヤツか。

(多分、最近、移動続きで体に無理をさせていたのだろう。
だから免疫が落ちて、細菌につけいられたのだろう。
今は、体を休める時期なのだろう。)
と、自分を納得させることにした。

夜になると、
汗をかきだした。
熱が少し冷めだしたのだろうと、
少し安心した。

次の日。
便意は1時間に1回という割合ではなく、
2時間に1回という割合でまだ続いているが、
熱はだいぶん収まってきた。
体も動かせるようになってきた。

昼頃になると、
食欲も湧いてきた。
およそ1日+半日、食事を抜いたことになる。

でも、
さすがに、インドカレーは食べたくない。
食べたら吐くだろうな。
日本のカレーならよろこんで食べるだろうが。
インドのカレーはあと3,4日は食べられないだろうな。


何か、食べ慣れたものを。

そう思い、食堂に行き、
いつもの食費の3倍ほどの値段のするピザ・マルゲリータを食べた。
もちろんそれでもインドなので、110円くらいのものだけど。
栄養価の高いものを、と、トマトジュースも頼んだが、
ピンク色のトマトジュースがでてきた。
トマトの味がうすい。
塩をたくさんかけてみたが、
トマトの味のうすさはごまかせなかったので、これは残した。

ここまでが昨日までの話。
今日もまだ体が本調子ではないので、
休息を取っている。
できれば、明日にはボランティアを再開したいと思う。

7/26(不器用な面々)
『死を待つ人々の家』
ここには、
長期で仕事をする日本人のおじさんがいる。
年齢は50歳前後という感じ。

僕はおじさんに聞いてみた。
「インドには旅をしにきたのですか?」
「いや、ボランティアをするためだよ。」
「日本を出てどのくらいですか?」
「もう1年になるかな。」
「これからはどういう予定なんですか?」
「インドのボランティアは今年10月までかな。
その後、エチオピアに行って、
エチオピアのマザーテレサハウスで半年ボランティアをやって、
またインドに戻ってくる。
で、またインドでボランティア。
今までもその繰り返しだよ。」

彼は、
日本では広告関係の仕事をしていたらしい。
日本を出る時、
<3年>
と期限を決め、
2005年、インドへ飛んだ。

だから、日本への帰国予定は2008年。

(すごい人だな。)
と思う。
仕事もあったのに、
仕事を辞めるのも勇気がいっただろう。

またインドやエチオピアで暮らすということは、
結構、体力を消耗するはずだ。
そのバイタリティーがすごい。
仕事もテキパキこなし、
よく、
「本当、欧米人は駄目だ。
あいつらはペチャクチャしゃべってるばっかり。
その点、日本人はちゃんと働くんだよね。」
と愚痴をこぼしている。

僕が、
「なんでこういうボランティアを海外でしようと思ったのですか?」
と聞くと、
「こういう経験もいいかな、と思ってね。」
と、返事が返ってきた。

きっと、何か、大切な理由があるんだろう。

今日、
『死を待つ人々の家』に、
新しくボランティアが配属された。
彼は、東京大学の医学部の学生。
夏休みを利用して旅をしている途中だという。

大学で医師の免許は取るけど、
卒業しても、すぐ医師にはなるつもりはない。
と、彼は話した。
「じゃあ、卒業しても、すぐ医者にはならずに、旅に出る、ということですか?」
と聞くと、
「もしかしたら、そうするかもしれないです。」
と、彼は、笑いながら答えた。

旅に出るにはたくさんのものを捨てなければ、旅に出ることはできない。
例えば、28歳から1年旅にでる人は、日本での生活を1年分捨てなければならない。
それだけ日本にいる他の28歳の人に差をつけられることになる。

その他にも、仕事、家、今まで積み上げてきたもの、その人の状況により、捨てなければならないものがいろいろある。
ようするに不器用な生き方なのだ、と僕は思う。

今日、彼らの話を聞いて、
世の中には、本当にいろいろ不器用な人がいるものだな、
と思った。
僕も含めて。


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