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たまには逆さまに世界を見てみよう -精神障害者の孤独と侮蔑と絶望と尊厳-

やまない雨はある。
明けない夜もある。
涙のあとに虹は出ない。
 なぜなら人生は、運命は、気象現象ではないからだ。人を傷つけた者に罰は当たらない。傷つけられた者は静かに病み、傷つけた者はウハウハとのうのうと生き続ける。
 人生は98%が運でありガチャだ。努力や才能は残りの2%を左右するに過ぎない。

「早く僕のこと好きにならないとモラハラして精神をズタズタにしちゃうぞ」って音源がTikTokでバズって驚いた。日本人の「精神障害」に対する知識とモラルは皆無に等しい
 スプツニ子!さんがかつて「陰キャの隠れ家だったネットをTikTokに侵略された」的なことを仰った。僕もネットに出会うまで「自分という人間が存在する」ことに気づいてもらえなかった。

精神病棟での長期入院も2ヶ月になろうとしている1月16日の夜、とあるネット配信ルームで集団リンチを受けて極めて大きな精神的ダメージを負った
 以来まる2日なにも食べられず、薬と薬を飲むための水しか摂っていない。恐怖と絶望と希死念慮に襲われて、病床にうずくまって体がまったく動かせない。入るものが少なければとうぜん出るものも少ないのだけれど、出すときは車椅子を用意してもらい、人員不足で看護師さんの手が足りない時は漏らしてしまうので、オムツを着用している。

きっかけは、配信者が「世界的ムーヴメントに乗り遅れてまだコロナにかかったことがない、私もコロナにかかってみたい」と言ったこと。
 僕は「そんなこと言うなよ、コロナで亡くなった方もたくさんいらっしゃる」「僕も重いコロナにかかって入院して、同じ病室の方が次々に亡くなった。自分も翌朝目を覚さないんじゃないかととても怖かった」とコメントした。

その配信者は「スキルはあれだけ死にたい死にたい言いながら死ぬのが怖いんだ」と嘲笑ったあと、マシンガンのように続けた。
 「死にたい死にたいってSNSに書くな、働いて息抜きのためにネットをやってるのに気分悪い、みんな迷惑してる」「マイナス思考なことを言う奴はクズ」「鬱の人な嫌い、何を言っても話が通じない」。

途中から気が遠くなったので記憶が定かではないけれど、もっと酷いこともたくさん言われた。
 リスナーたちも寄ってたかって攻撃してきて、「さっさとお帰りください」「こいつブロックしないの?」、ほんとうにボロボロにされた。

配信者がコロナにかかりたい理由は、例えば「味覚障害とか自分がなってみないとわからない、わかりたい」というようなこと。
 それは「震災の被災者の気持ちがわからないから地震に遭いたかった」と言っているのとなんらかわらない。被災地に行って話を聞いたりボランティアをしたいといった殊勝な考えではない。地震そのものを体験したいのだ。

人間には想像力といものがある
 例えば精神科医の多くは、おそらく自分が精神障害になったことがない。しかし患者の話を聞き、想像し、アドバイスしたり投薬して治療する。人は多かれ少なかれそうして生きている。想像力がまったくない彼女にこそ、精神病院を紹介するべきなのかも知れない。してやらないけど

精神障害に対する知識と想像力は、残念ながら殆どの人にない。僕だって「死にたい」と思わない人生を歩みたかった
 何度も長期入院しているのは、病床にこもっていたいでもホカンスを楽しんでるでもない。僕だってほんとうは健康な心身を持って活発に活動して、ほんの少しの楽しみや幸せというものを味わってみたいのだ。

いままでも、病気への酷い侮蔑を受けたことがたくさんある。
 パーティー会場で「こういうところにキチガイが来るな、っていうか死ねよ」と言われたり、ネットの精神障害クラスターの有名人に事実無根の噂を立てられて、取り巻きの「同病者」たちから「救いようのないクズ」「本当に闘病している人に失礼」「IQ低そう」「キチガイはスルーして正解」などと言われたり。なかなか理解されない病気、同じ苦しみを分かち合えると思ってただけに辛かった。

精神の病気は「脳という臓器」の疾病だ。心臓や肝臓という臓器の病気と同じで、「甘え」や「気の持ちよう」ではない。心肺機能に障害がある人に、そんなの気の持ちようだからマラソンしろと言うだろうか。
 昭和のアニメ、「アルプスの少女ハイジ」の中で、ハイジが車椅子の少女クララに「いくじなし」と囃し立て、クララが立つシーンがある。原作にもあるのかは知らない。しかし名シーンとしていつまでもテレビで流れ続けているのはまずいと思っている。

精神疾患は「甘え」ではなく、むしろ真面目で優しくて頑張りすぎの人が、キャパを超えて脳内伝達物質に異常が現れる。ということを理解されないために、とても軽んじられたり、侮蔑を受けることがよくある。
 基礎的な知識を義務教育のカリキュラムに入れてほしい。それは足を骨折している人を蹴ってはいけません、といったレベルの話だ。若い人ほど理解があると感じている。もう教育に組み込まれているのかもしれない。

僕は両親を早く亡くし、戸籍上の弟に病気を理解されずに絶縁された。親族もそれに続いた。酷い言葉をさんざん浴びせかけられた。特に「働けば報われた」団塊世代に理解できない人が多い。
 「お前を軽蔑している、サボって寝てるだけなんだから長生きするぜ」。実際精神障害を持つ人の平均寿命は17年も短い

かつての友人たちも変わらない。親族も同級生も、慶應義塾という恵まれすぎた環境に育って良い持ち札で生きてきたために、脳の障害について知識や価値観をアップデートする必要がなかったからではないかとと想像する。
 僕にはLINEの友だちが、おおよそ公式アカウントかスパムしかいない。という異常な孤立状態についても理解されない。

メディアで闘病記を読むと、必ず「家族や仲間に支えられて回復した」とある。僕には猫しかいない。猫は尊いけれど支えにはならない。支えもなしに回復するような病気ではない。だから24年間も闘病している。
 僕は自分を神様に「猫だけが友達」という条件でについでみたいに作られた命だと思っている。あるいはサンドバッグ。人々がフラストレーションをぶつけて殴って捨てるために作られたのだと思うと、51年10ヶ月の人生すべてに説明がつく。

今回の事件はさらに問題がややこしい。「コロナになりたい」氏は僕の一推しの仕事仲間なのだ。「コロナになりたい」氏にはなんの魅力も感じないが、推しの友人なのでいままで応援していた。
 推しは自身が体が弱いこともあって、「スキルには幸せになって欲しい、っていうか私がする!」と言ってくれた。もちろん具体的になにかしてくれるわけではなく、自分のファンとして大切にしたいというニュアンスだ。

しかし「コロナになりたい」氏によると、「仲間でよく話をする、『みんな』スキルに困ってる」と。僕はよくある女性たちの噂話の標的だったのである。
 つまり僕の一推しも、表では幸せになって欲しいと言いながら、もしかしたら裏では「みんな」と同じような侮辱を言って邪魔者扱いしているのかも知れない。

みんな」ってなんだろう。僕は子供の頃から隅っこにいて「みんな」になったことがない
 これまでの人生で、今回のように「『みんな』山下をオカシイと言っている」という使い方しかされたことがない。日本的な島国根性の「村八分」で、少し変わっていてムラに馴染めない人を排除する精神だ。

とても聡明な中学生ライバーがいる。その子もよく配信中に「みんな」と呼びかける。苦手な言葉なんで、「みんなって誰のこと?」と聞いてみた。
 「みんなはみんなや、宇宙に生きとし生けるものみんなや、スキルもチャイもみんなや」。チャイは僕の愛猫だ。ほんとうに感動した。記憶の限りでは、僕が「みんな」に入れてもらったのはその時だけだ。

病んだ日本、統計上世界と比べて鬱病の確率が低く出ているそうだ。記事によると、鬱だと自覚していないから未診断、未治療の状況にあり、数字に大きな誤差が生じているのだと。「コロナになりたい」氏や僕の親族のような偏見を持たれることが怖い、という一面もあるだろう。
 人の辛さはわからない。なかなか聞けるものでもない。だから内に秘めることはやめて、このような長文にしてみた

まったくもって人は醜く、信頼するに値しない生き物だという思いを新たにした。やがてハンセン病のように、著しく傷つけられた尊厳が語られる日がくるのだろうか。ハンセン病の誤ちと反省がまったく活かされていないところが人間らしいし、日本人らしい。

猫に会いたい。

2匹の猫と暮らしてます。ポップス、ソフトロック、ポストロック、エレクトロニカ、テクノ、ジャズ、民族音楽、現代音楽、現代芸術、漫画とペヤングを食べてます。