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砂漠を走る! 難易度MAX アフリカ自転車旅!

アフリカと言えばまず砂漠。
「そんなところを自転車で!?」
そう思う人がほとんどですよね。
この記事は、そんなあなたに向けて書いています。

私が過去に参加した自転車ツアーを紹介するこのシリーズ。
今回は、4記事連続でアフリカ大陸を北から南にかけ抜けるツアーを紹介します。

自転車旅行は自由に個人でやりたいという人。
今回はアフリカです。
現地で経験豊富なガイドを自力で見つけられるならともかく、ただただ危険です。
でもツアーなら、比較的安全なコースの情報の共有や、テントや寝袋みたいな重たい荷物も預かってくれて快適。

とはいえ結論からいうと、どれだけ準備していってもしすぎということはない、それがアフリカです。
2回目の今回は、スタートの地エジプトからスーダンの旅路のレポートです。
これからアフリカ行きを考えているあなたのきっとよいヒントになるかも!?

期間は5か月半、走行距離は11,000キロ、難易度MAXの自転車旅!

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出典元:https://tdaglobalcycling.com/tour-dafrique

今回ご紹介しているツアーはこちらです。
ツアー名:Tour d'Afrique
期間:1月半ばから5月末
通過国:エジプト スーダン エチオピア ケニア タンザニア マラウィ ザンビア ナミビア 南アフリカ の10か国
予算:約97万円(JPY)ほど(飛行機代ビザ代は含まれません)
公式サイト:https://tdaglobalcycling.com/tour-dafrique
(コロナパンデミックにより2020年度と2021年度は期間が2か月に短縮されています)

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出典元:https://tdaglobalcycling.com/tour-dafrique

エジプトのカイロを出発し、5か月半かけて南アフリカのケープタウンをめざします。
走行距離はなんと、地球の円周のほぼ1/4、11,000キロ。
なんとも壮大なグレートジャーニー。

しかも、他の自転車ツアーとちがい、Tour d'Afriqueではひんぱんにタイムレースを行います。
記録をとって順位をつけるので、仲良くみんなで固まって走る、ということはあまりありません。
夫婦で参加している場合は、記録や順位を気にせず一緒に走っていたりしますが、まれです。
1位と最下位までは日によって40キロ以上離れることもあり、前後を見回しても走ってるのが自分だけ、なんてことも。

正直なところ、Tour d'Afriqueに参加するにはかなり覚悟が必要です。
なぜなら、やっぱり大変。
それに、かならず無事に帰ってこれますよ、という保証ができないからです。
そんな2記事目ですが、もう、しょっぱなエジプトから大変です。

最初の2か月が一番つらい!? まずはエジプト

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筆者は一番左

Tour d'Afriqueの集合場所は、カイロにあるホテル ピラミッドでした(当時)。
ホテルピラミッド https://www.agoda.com/ja-jp/cairo-pyramids-hotel_5/hotel/giza-eg.html?cid=1844104
住所 Alexandria Desert Road, Giza, Egypt, Giza
カイロ空港から約30キロ
プール付きのリゾートホテルですが一泊4,000円(JPY)ほど。
(ツアー料金には含まれていません)

最寄りのカイロ空港からは別料金ですが送迎してもらえます。
送迎料金は7~8,000円(JPY)くらいしたと思います。
「高いな」と思った私は、自力でタクシー拾って向かいました。

ガイドブックにはよく、
「料金をごまかすような悪質なタクシードライバーが多いので注意」
と書かれています。
しかし私が当たったドライバーは、運転も丁寧、荷物運びの態度も予想外に紳士的。
料金も安心のメーター表示だったうえ、ホテルまで行く途中、道を間違った分は差し引いてくれたりとあまりに親切だったので、ほんとは2,000円(JPY)くらいでよかったのに、チップ含めて4,000円(JPY)ほど渡してしまいました。


スタートはギザのピラミッド さくさんの観衆に軍隊、TV局まできて大興奮

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Tour d'Afriqueはエジプトなど通過国にとっては一大イベントです。
とにかくなんでも他の自転車ツアーにはないビッグイベント扱いぶり。
そんなことは着くまで知らなかった私は、初日はもう「なんだこれは…」の連続でした。

たとえば、初日はホテルに軍隊が迎えに来ます。
しかもトラック5~6台、兵士は50人くらいの規模です。
一瞬クーデターかと思いました。

ホテル前はもう日本でいうところの“ちんどんや”集団が勝手にやってきて、なにやら派手に踊りまくっている。
異様なにぎやかさの中、参加者全員2列に整列してギザのピラミッドに自転車で向かいます。

追加でさらに白バイが数台合流。
ツアー参加者は30人、サポートは6人しかいません。
軍人と警察官合わせると断然エジプト人率のほうが高い、全部で100人近い大行列です。
万全のエスコートをされるかたちでピラミッドを目指します。

しかも私たち一行のため、車道1車線は完全封鎖。
さらに対向車線は、朝のラッシュ時間で結構な渋滞中だというのに、私たち一行が完全に通過し終わるまで停止させられている。
沿道に集まってくる人だかりからの声援も相当なもので、マラソン大会の中継でよくみる光景のようでした。

そしていつの間にかTV局も車でやってきて、走る私たち一団を並走しながら撮影。
「一体なにがどうなってんだ…」
と非日常的すぎる光景にぽかんとしっぱなしです。

ピラミッド前では出発のために一大セレモニー。
私たちは整列させられ、どこからともなく表れた威厳たっぷりの背広のエジプト人男性たちがおそらくアラビア語でなにかスピーチ。
最後にはうやうやしくテープカットまでしちゃいます。

TV局は一部始終を撮影。
ツアー参加者の何人かはインタビューまでされてました。
いよいよこれから5か月半のグレートジャーニーが始まるんだ、と否が応でもワクワクしっぱなしです。

しかし残念ながら出発から1週間は砂漠。
実際放送されたものを見ることはついにできませんでした。

エジプトの道路は砂漠でもしっかり舗装されている

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エジプトはしっかり舗装された道路が砂漠をつらぬいていて、非常に走りやすいです。
エジプトにいる間はロードタイプのタイヤで全く問題ありません。

エジプトは観光立国だけあって、外国人にとっても好意的です。
町や集落の近くはいつも沿道がひとだかりで、ものすごく応援してもらえます。
手を振り返すと、サッカーでゴールが決まったかのようなテンションでものすごく喜ばれるのも新鮮でしたね。

近くに集落がなくても、すれちがうトラックや車がクラクションでエールを送ってくれます。
せっかくなので手を振り返したり声援に応えてみましょう。

トイレ問題 スキを狙って用を足す

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一番困ったのがトイレです。
道中、トイレは全くナシとお考え下さい。
要はそのへんの砂地でご自由に、ということです。

しかし、写真のとおり、360度ものかげになりそうなものはほとんどナシ。
しかも5分に1回くらい車が通過するのでまる見えです。
うっかり他の参加者に見られたらサイアクですよね。
今までの自転車ツアーでもトイレ問題にはさんざん悩まされましたが、アフリカは最上級レベルで悩みました。

私の場合は、悩みに悩んだ挙句、朝の出発前と夕方の到着後の1日2回だけ用を足していた感じです。
我ながらよく膀胱炎にならなかったものです。
自然と水分摂取をさけてしまう傾向になるので、おすすめしませんが。

とはいえ、実は野宿場所にも、トイレがないことがほとんどです。
ほんとうに、男性がうらやましくなります。
トイレ事情を知ってか知らずか、参加者30人のうち、女性は5人しかいませんでした。
ほかの女性たちも日々、がまんにがまんを重ねていたようです。

ではどうしていたかというと、夕日が沈んであたりが薄暗くなってから、こっそり用を足していました。
ものかげになりそうな草木は限られていたので、行ったら先客がいた、なんてことはしょっちゅうでした。

水問題 使っていいのは一日2本のペットボトルだけ

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そして水。
連日の野宿中、毎日2リットルサイズのペットボトルを2本くれます。
あなたが飲んだり洗ったりするのに使っていい水1日分ということです。
おねがいしても追加はまずもらえませんので大事に使いましょう。

当然からだや手や顔を洗いたくてもまったく足りません。
ツアー参加者のなかには、大量の“赤ちゃんのおしりふき”をカバンいっぱいに持ってきてる人がいて感心しました。
1パックくれたので使ってみましたが、顔や体がすっきりするのでおすすめです。
ただ髪だけはどうしようもないので、すっかりドレッドヘアになってしまいました。

寒さ問題 昼暑いくせに朝晩の冷え込みは「冬」

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1月だからなのか、砂漠とはいえ、朝晩は結構な寒さになります。
夜はだいたい16度前後で、未明は6度くらいまで下がる寒さ。
なにせテント生活、薄手のダウンジャケットを着こんだうえで寝袋にはいるなど工夫して、風邪をひかないよう気をつけましょう。

朝は指がかじかむ寒さです。
手袋をつけ、防寒対策をしっかりして走行することをおすすめします。

軍人は結構気分屋!? 強気で対応しよう

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エジプトでは軍隊が私たちをエスコートしてくれます。
軍隊のエスコートのおかげか、何かトラブルにあうということはほぼありませんでした。
とはいえ私が単にラッキーだっただけという可能性もなきにしもあらず。
みなさんはぜひ、気を引き締めていってください。

軍人さんたちと仲良くなると、一緒に写真を撮ってくれたり、ライフルや銃にさわらせてもらえたります。
しかし彼らの警備はこう言ってはなんですが、結構ザツ。

強い向かい風と舞い上がる砂と暑さで苦労しながら走っていたある日。
コースもきつく、昼前に一度山越えもあったせいか、何人もが途中でリタイア。
リタイアすると、彼ら軍人たちは、自転車ごと参加者を軍用トラックに回収してくれ、ゴールまで運んでくれます。

ふと気がつけば、軍用トラック5台が私を取り囲むようにして走っていました。
向かい風でなかなかスピードが出ない中の走行。
最初は
「こんなにたくさんの軍人が私一人をガードって、大げさだな~」
と思っていた私。
しかし、彼らはなんと幅寄せ、前に回り込んでの急停止、など、いやがらせとしか思えないことをしはじめました。

さらにメガホンで、
「お前、ここからゴールまでまだ50キロ以上あるぞ。あきらめてトラックに乗れ。
もう走ってるのはお前だけだ」
と説得してくる始末。
つまり、軍人たちはさっさと私のことも回収して、今日の護衛の仕事を終わりにしたかったのです。

エジプトから南アフリカまで、“遅くとも完走”を目指していた私。
リタイアなんてありえません。
怒りと疲れでもう英単語はひとつも思い浮かばず、
「うるさい!! じゃまするな!!」
と日本語で応戦。
走行をじゃましてくるたびに大声で応戦、そんなのを30分ほどくりかえしました。

しばらくすると何もじゃましてこなくなり、相変わらずの砂嵐の中、怒りをエネルギーにこぎ続けていた私。
ふと、黄土色の砂一色の世界だったのに、たくさんのカラフルな色が目に飛び込んできました。
みんなのテントです。
「もしかして、あそこがゴール!?」
と英語で軍人たちにたずねると、彼らは諦めたように両手を上にして肩をすくめて見せました。

あまりに砂嵐がすごいので、みんなテントにこもっているらしく一人も見当たりません。
疲れたからだをひきずって、自分のテントが張れそうな場所はどこかとあたりを見回していたら、突然
「バンザイ!!!」
というかけ声とともに全員がテントから出てきて私を出迎えてくれました。
これにはびっくり、というか泣けた。
一人残って走りつづけてた私をみんなでサプライズでねぎらってくれたのでした。

エジプト人の英語力は高い でも「P」が「B」 「R」もしっかり発音

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観光立国エジプトでは、小学校からしっかり英語を教え込みます。
街中ですれ違う少年たちはみんなペラペラと英語をあやつり、
「両替るすよ!」
「ガイドしてあげる!」
と、かなり積極的。

ただ、「P」の発音が「B」になっちゃうようです。
「ピラミッド」が「ベラメッテ」、「ペン」が「ベン」なので、慣れるまでちょっととまどいます。

さらに、「R」をしっかり発音します。
How are you? なら「ハウアールユー?」。
Teacher なら「ティーチェール」という具合で、慣れればなんとか聞き取れます。

アラビア数字じゃなく、インド数字が一般的!?

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エジプト含め、アラビア語圏でふつうに使われてる数字は、実は黄色で矢印をつけたほうです。(これは3です)
私たちが使ってる数字は右下の“3”のような、「アラビア数字」ですよね。
が、肝心のアラビア語圏では左上の、「インド数字」を使っています。

彼らに言わせると、
「だって、数字を考えたのは、インドだから」
どういうことかというと、私たちにとっての「アラビア数字」は、ヨーロッパ人から見て、「アラブから来た数字」というものなのです。

アラビア語圏で一般的に使われてる数字はこちらのインド数字です。

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出典元:Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E6%95%B0%E5%AD%97)

いま私たちが使っている「アラビア数字」は、実はインド数字がアラビア語圏を通過してヨーロッパに入った後、現在のかたち「1,2,3~」に変化したものなのです。
アラビア数字、とよびながら、数字のカタチは結局ヨーロッパ人が考えたものなんですね。

エジプトは観光立国なので、外国人にもわかるように、道路標識に使う数字は徐々に「アラビア数字」表記に変更されてきています。
でも、道路を走っていると、標識の数字がまだ「インド数字」のままのものも多く見かけます。
ぜひ見つけてみてください。

観光スポットはルクソール、アスワン、アブシンベルの遺跡群

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ほぼ1週間ごとに1回、休日があります。
だいたい有名な観光スポットのちかくに来たタイミングなので、休日はまるまる観光へ。

まずはルクソール。
古代エジプトの都だっただけあって、たくさんの神殿、そして大家の谷があります。
別料金ですが、現地のバスツアーを手配してくれますのでツアーのガイドに相談してみましょう。
(価格は失念しました)

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超巨大な柱が何本もそびえたつ遺跡は圧巻、のルクソール神殿 
基本情報
住所 Luxor, Egypt
HP http://www.translatetheweb.com/?ref=SERP&br=ro&mkt=ja-JP&dl=ja&lp=EN_JA&a=http%3a%2f%2fegypt.travel%2fattractions%2ftemple-of-luxor%2f

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内装の壁画が色鮮やかで必見、の王家の谷 
基本情報
住所 West Bank of Luxor
参考サイト https://www.ab-road.net/europe/egypt/luxor/sight/000385.html

アスワンでは、民間の船に飛び乗ってみんなでフィラエ島に行きました。
島は外側、内側にほどこされたたくさんのレリーフが美しいアスワン神殿で有名です。

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アスワン神殿 基本情報
住所 Philae, Egypt
参考サイト https://www.ab-road.net/europe/egypt/aswan/guide/04840.html

アブシンベルでは、アスワンハイダムの建設で移設されたことで有名はアブシンベル神殿を観光しました。
私たちは時間的に見られませんでしたが、夜はライトアップショーもやっています。

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アブシンベル神殿 基本情報
住所 Egypt,Aswan
Tel +20 2 22617304
公式サイト http://whc.unesco.org/en/list/88

暑さがつらい! 路面はボコボコ スーダン

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2か国目スーダン。
全コース中、2番目につらかったのがスーダン。
なにせ、ほとんどの道路が舗装されてない。
そして、砂漠が本気を出してきてものすごく暑いんです。

スーダンではマウンテンバイクで行くしかありません。
道はもうガッタガタで、ハンドルをにぎりしめてしまうので手は数日でマメだらけになります。
そしていよいよ、自転車を押して歩いて進むしかない、砂が深い砂漠走行も始まります。
水筒の中身がどのくらい残ってるか、常に考えながら走行するようにしましょう。

危険いっぱい砂漠ライド 迷子にならないよう注意

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毎日ガタガタのオフロード。
エジプトの舗装道路がなつかしい。
それでも毎日の走行距離はエジプトと変わらず120~150キロ。

スーダン北部は相変わらず朝晩冷えますが、昼となるともう30度以上になり、ほんとうにたまらない暑さになります。
夜明け前にスタートしてしまうのがおすすめです。
景色はずっと青空と砂漠だけ、距離も長く、そして暑さ。
毎日ほんとうにつらかったです。

ところによっては砂が深くてこげず、自転車を押して進むしかない場面も。
まわりにはほんとうに何もない砂漠で、道路標識もありません。
実際スーダンに入ってから、毎日、コースアウトしてゴールできない人が続出。
30人しかいないのに、10人ゴールできず行方不明なんてこともありました。

行方不明者が出ると、サポーターと現地のガイドで車で探し回ります。

たいがい見つけてもらえますが、砂漠で何時間も待たされるのは不安ですよね。
夜まで見つけてもらえないケースもありました。
夜はぐっと寒くなるうえ、ハイエナが出ることもあり危険です。
水を飲み切ってしまった場合は、待たされてる間に脱水症状や熱中症の危険も。

砂漠で迷ったとき、どこまでレンタルwifi+スマホで現在位置を正確に確認できるかはけっこう賭けです。
なにせ、走ってるところは道路ではありません。

私の場合、ほんとうに地面に残されたかすかな車輪の跡を必死にたどり、あとはカン。
「とりあえず南を目指してるわけだから、太陽の出てる方向からいって多分南はこっち」
とかのレベルです。
こんなでよく毎日無事にたどりつけていたものです。

迷うことなくゴールできてた人に秘策を聞くと、GPS機器を使ってたとのこと。
ゴールまでの距離と方角さえわかれば、とりあえずなんとかなりそうですね。
当時(2004年)、彼らがどれくらい優秀なGPSを使っていたのかはもう知る由もありません。
万全という保証はできませんが、“もしものとき用”で持っていきたい人は、いちど家電量販店で扱いがあるか聞いてみましょう。
(amazonにラインナップされてるGPSは、砂漠までカバーできるのか不明です。
量販店に出向いて直接メーカーに聞いてもらった方が確実です)

誰かと一緒に走るのも手ですが、セットで行方不明になってしまう危険性があります。
トップを走る二人組の男性が一緒に行方不明になり、見つかるまで3日かかったケースがありました。
ちょうどタイムトライアルレースの日で、デッドヒートをくり広げているうちに迷ってしまったんだそうです。
どう対処したのか聞いたところ、戻るほうがよけいに迷うと考え、とにかくどこか村や町に当たるまでまっすぐ走り続けたそうです。

運よく町に出て、そこから電話でツアー一行に連絡したもののつながらず、2泊しながら連絡し続けていたそうです。
当時サポーターは衛星電話を携帯していました。
しかし実は砂漠のどまんなかではつながらないこともあり、結果3日もかかってしまったというわけです。

スーダンのイスラム教はエジプトよりきびしめ

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エジプトもイスラム教の国ですが、スーダンは“もっと厳しいイスラム教の国”というかんじです。
町や村では、電信柱にくくりつけられたスピーカーから、大音量でアザーンという、コーランの祈りの歌みたいなのが1日に5回も流れます。
しかも、長い。
朝も未明から10分くらい、延々とオジサンのアカペラの民謡みたいなアザーンが聞こえてくるので、いやでも目が覚めます。

女性に対してもきびしめなので、注意が必要です。
たとえば、暑いので半そで短パンスタイルで自転車に乗っていると、警官でもない一般の男性に思いがけず止められることがあります。
女性なんだから手足をかくすような服を着ろ、と注意するためです
私は運よく一度も注意されるような目にはあいませんでしたが、女性は気をつけるようにしましょう。

スーダン人は外国人に慣れていない でもなぜか親日

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スーダンでもTour d'Afrique一行が通ると沿道では人々が歓声を上げて応援してくれます。
なぜかみんな“ハイルヒットラー”状態で右手をかかげ、「ハウアールユー! ハウアールユー!(How are you?)」の大合唱。

ところで私がTour d'Afriqueに参加した当時、アジア人は私だけで後は全員白人でした。
しかも女性だしということで目立ったのか、なぜか、私が通過する瞬間だけ歓声が止まり、みんな口々に、
「え、チャイニーズ?」
「いやコリアだろう」
とザワザワザワ。
そしてまた白人が通過すると思い出したように「ハウアールユー! ハウアールユー!」の大合唱。

沿道の応援は数キロもつづくのに、絶対私が通過するタイミングだけ観衆は「ハウアールユー!」をやめるので、白人たちは
「お前と走るとおもしろいな!」
と大ウケ。
いや私はフクザツでしたよ。

でもスーダン人ガイドが言うには、スーダンは日本が大好き。
と、いうのも以前、TVドラマの「おしん」がスーダンでも放送されたおかげなのです。
もうそれこそ、日本以上の社会現象で大人気に。
お店の名前を「おしん」に変えちゃう人、自作で「おしん」ステッカーをつくって車に貼る人まで続出したんだとか。

「おしん以来、スーダン人は買い物の意識も変わりました。
店でもし似たような商品が並んでいたら、必ずひっくり返して中国製ではなく、“Made in JAPAN”て書いてあるほうを買うようになったんだよ」
それはすごい。

しかしおしんの影響力が強すぎて、スーダン人のイメージする日本人は、貧しくひもじい姿になってしまいました。
なので、Tシャツ着て21世紀のスタイルで歩いてる私のことは、中国人か韓国人に見えるんではないかとのことでした。

また、スーダンはかなり貧しいので、出歩くときは一人ではなくグループ行動しましょう。
観光のつもりで歩いてるだけで、子供を中心に何人も集まってきます。
「ベン、ベン」
と口々に話しかけられますが、
「ペンをください」
という意味で、彼らはあからさまにお金をねだるとイヤがられるのはわかっているので、「ペンぐらいならくれませんか?」というニュアンスで言って来ます。

おそらく過去におねだりされるままペンを上げてしまった観光客がいたのでしょう。
ツアー側やスーダン人ガイドからは、決して何かものをあげないようにと言われました。
あげてしまうことで、
「やっぱり外国人はお願いすればなんでもくれる」
というイメージを強くしてしまうからです。

とはいえ本当に貧しそうで、子どもに弱い私は、賞味期限切れが近いアメはあげちゃってました。
お菓子なら、子どもはすぐに食べてしまうので、親に取り上げられて転売されることもないでしょうしね。
また、何かあげることで、写真を撮らせてくれたりします。
観光なんだし、と、彼らに無断でカメラを向けるのは、やっぱり盗撮にあたりますし失礼ですよね。

1ヵ月ぶりの都会! ハルツームで骨休め!

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出典元:Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%A0)

スーダンの首都、ハルツーム。
ここで1日休日になります。

エジプトはカイロを出発して1か月、Tour d'Afrique一行にとっては、もう、ハルツームは大、大、大都会。
写真を見て「はぁ? どこが?」と思われた人。
1か月も砂漠、そしてぽつぽつとした田舎の集落しか目にしないでいると、
「道行く人が靴をはいている!」
「牛がいない!」
というだけでなんだかすごい都会に来てしまった気分でテンションがあがるもんなのですよ。

ハルツームでも適当な空き地にテント生活なんですが、全員、当然ツアー代とは別料金なのにホテル泊を選びました。
私が滞在したメリディアンホテルは、後の戦乱(2012年スーダン国境紛争など)でなくなってしまったようです。

もしホテル泊をえらぶのであれば、奮発してでも4つ星以上の評価のホテルに泊まりましょう。
シャワーからちゃんとお湯が出るのは3つ星クラスでもあやしいです。
“しっかりした”WiFiも、4つ星以上じゃないと期待できません。
ハルツーム 4つ星以上のホテルはこちらをごらんください。 https://www.tripadvisor.jp/Hotels-g293835-Khartoum_Khartoum_State-Hotels.html

ツアー側は特にどこも手配してくれませんので、ホテルは自分たちで探します。
スタートのカイロで泊まった“ホテル ピラミッド”以来の、1か月ぶりのちゃんとした入浴チャンスをどうか逃さないように。

スーダンはまだまだ戦乱の後が色濃いためか、オプションでも観光ツアーはありませんでした。
市場や商店を見て回るのもよいですが、1人で出歩くとあっという間に“ハーメルンの笛吹き男”状態でズラっとスーダン人がついてきてしまい、ちょっと危険です。
観光するならグループ行動で行きましょう。

夜はスーダン政府主催のパーティもあります。
現地のTV局も来るので、旅のテンションからマイクをうばって
「もっと道路を舗装してください!」
と叫んだ参加者に会場は大爆笑となり、とてももりあがりました。

まとめ

Tour d'Afriqueは最初の2か月がほんとうにきつくてつらいです。
実は私が参加した年の翌年、スーダンの砂漠走行中、参加者が熱中症か脱水症状による体調不良で、一人亡くなりました。
私自身もスーダンからエチオピアの区間は慢性的な体調不良に悩まされ続けました。

これ以上ないくらいの「冒険」Tour d'Afrique。
今回は前半の、びっくりすることだらけな1か月間についてのご紹介です。

●最初の2か月が一番つらい!? まずはエジプト
1か国目エジプトの熱狂ぶりと、砂漠走行の難しさをお伝えしました。
また、エジプト人の話す英語などの文化面についてと、ツアー中に立ち寄れる観光スポットを紹介しました。
・スタートはギザのピラミッド さくさんの観衆に軍隊、TV局までくる
・エジプトの道路は砂漠でもしっかり舗装されている
・トイレ問題 スキを狙って用を足す
・水問題 使っていいのは一日2本のペットボトルだけ
・寒さ問題 昼暑いくせに朝晩の冷え込みは「冬」
・軍人は結構気分屋!? 強気で対応しよう
・エジプト人の英語力は高い でも「P」が「B」 「R」もしっかり発音
・アラビア数字じゃなく、インド数字が一般的!?
・観光スポットはルクソール、アスワン、アブシンベルの遺跡群

●暑さがつらい! 路面はボコボコ スーダン
2か国目スーダン。
エジプトより厳しめの環境と現地の様子を紹介しました。
また、ハルツームは1か月ぶりの入浴チャンスです。
現地のホテルの紹介をしました。
・オフロードでも砂漠でも 連日160キロ走行
・スーダンのイスラム教はエジプトよりきびしめ
・スーダン人は外国人に慣れていない でもなぜか親日
・1ヵ月ぶりの都会! ハルツームで骨休め!

次回の記事では、実際の旅の模様をご紹介します。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
では、また、次回。

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