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比較からはじまる幸・不幸

「あなたはまだマシな方よ」

このような言葉を受けた人が少なからず

いるのではないでしょうか。

いや、多いのではないでしょうか。

悩みの重さは同じ

悩みを抱えた時に自分自身で抱えきれなくなった悩み事を他人に聞いて欲しいと思うことがありませんか。

もしかしたら、悩みを打ち明けるのは答えを見つける為、救って欲しい為ではなく、ただ自分の心の整理をつけたいだけ、聞いて欲しいだけなのかもしれません。

その悩み事は人によってそれぞれです。

ただ、わかっていることはその悩み事は今、その人自身の大部分を占めていて、そこから抜け出したいと思っていることなのかもしれません。

無意識につけられる悩みの価値

時に悩みを打ち明けられた人は悩みの価値をつけることがあります。悩みを打ち明けた目の前の人に

「あなたはまだマシな方よ」

そして、「〇〇はもっと苦労してるのよ」と続くことがあります。

悪気のない言葉には悩みの価値の重さの比較が含まれています。

大半は「〇〇はあなたよりもっと苦労しているのよ。だから頑張りなさい」の激励の意味合いが強いのかもしれません。

実際にその言葉で元気づけられ、「よしっ!!悩んでたってしょうがない」と、吹っ切れる人もいるのだと思います。

さあ、これで一件落着‼︎

でも私にはそう簡単なことには思えないのです。むしろ、違和感しか感じません。

その違和感はどこから来るのか?

他人が植え付ける幸と不幸

悩みを打ち明けた人の「悩んでたってしょうがない」の後に続く思いをイメージしてしまいます。

「自分はあの人よりはマシなんだ」

「あの人の悩みに比べたら私の悩みなんて大したことない」

自分の悩みを過小評価してしまうことがいい意味で捉えられ立ち直れる人がいる反面、

「あの人はそんな辛い思いをしているのに、こんな小さなことで悩んでいる私はダメだ」

「私の悩みは大したことがない。人に話すことではないんだ」

そうやって自分自身を責め、殻にこもってしまう人たちもいます。

人それぞれ自分の環境やその人の精神状態によって、悩みごとは異なります。でも「あなたはまだマシ」の言葉から人の幸・不幸が生まれてしまいます。それは自分自身が基準になるのではなく、他人との比較により幸せか、不幸かを感じる心が生まれてしまうのです。

そんな悲しいことがあってはならないと思っています。

誰かに悩みを打ち明けられた時にその悩みを評価し、さらには他の誰かと比較をしないで欲しいのです。自分の言葉で知らないうちに人の心を傷つけてしまい、その人の力を奪ってしまうことがあるということを心に留めておきたいと思っています。

目の前の人の言葉をどれだけ受けとれるか。

だれかと比較するのではなく、その人の悩みの重さだけを感じ、その言葉だけを信じて。

あなたは今、幸せですか。


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