koko ni

本と猫をこよなく愛し、珈琲と本のある小さな喫茶室を経営し、子ども支援に関わる活動とヨガ…

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本と猫をこよなく愛し、珈琲と本のある小さな喫茶室を経営し、子ども支援に関わる活動とヨガを伝えています。 過ぎゆく瞬間のココロを言葉にしてます。

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猫の眠り

何度も何度も耳元で 「にゃあ」と泣く。 そっと布団をあげると 体温で温まった空洞に 入ってきて、腕を枕に コロンっと横になる。 毎晩、起こる出来事。 ある時、枕の横で ピーッ ツーッ と気管支喘息発作の ような音がする。 顔を向けると、愛猫が 枕に顔を垂直にうずめて 眠っていた。 「苦しいよ」 と顔を横に向かせてあげると。 少しだけ目を開けて また眠り続けた。 「ありがとう」 そんな声が聴こえた。 20年も私のそばにいてくれて 「ありがとう」 心の中で返事を

    • 動き続けるもの

      何かを伝えながら 考え事をしながら 身体が動いていた。 身体が動かせなくなると 思考することも 話すことも少なくなる。 それは心と身体は連動していると 身体の痛みをもって痛感しているから。 「治るんだから」 完治しない病のパートナーの言葉の重さ。 ゆっくりと時を過ごそう。 身体の動きが静止していても 内臓も 筋肉も 骨も 思考も 心も 動き続けている。 屋根を通してできた小さな雨の滝が ずっと地面を打ちつけている。 自然もまた春に向けて動き出している。 いや

      • 行ってもいい?

        あなたがまだヤンチャだった頃、お兄ちゃんとお姉ちゃんといつも一緒だったね。 「大丈夫なの?」というと、「大丈夫だよー」といつも笑っていたね。 でもね。それはいつも守られていたからかもしれないね。 いつからかお兄ちゃんやお姉ちゃんが独り立ちしていって、あなたは一人でいる事も多くなったのだろうね。 あなたも忙しくなってホントに時々、連絡が来て、一人で来るようになった。 Xmasイブの日に届いたメール。 「今度はいつ活動日なの?」 いつぶりだろうね。気持ちの変化や迷い

        • 話すことを選ぼう

          愚痴と悪口の違いを把握している人はどれくらい位いるのでしょうか。 改めて調べてみました。 人との関わり歳を重ねるほど多くの経験を積み重ねていきます。時の流れとともに、関わる人たちも流れ、言葉も流れ、行動も流れ、留まることは何一つ無いと感じています。 ただ一つ、倫理観なのか、価値観なのか、思想なのか、自分の軸となる考え方は動かずに自分の中に留まっています。 言葉と内容言葉や話す内容には人柄がでます。いや、本性が出ると言ってもいいかもしれません。私も決して言葉遣いがいい方

        猫の眠り

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          一人の人格

          何度背中をさすってもらっただろう・・・。 自分じゃない自分の存在ガラス越しに小さな子を見ていた。その子は少しだけこの世界に早く出てきてしまって呼吸が苦しそうだった。ぺちゃんこになった私のお腹。手に触れられないけど自分のお腹に住んでいた子をじっと見ていた。 親として母親になり、生活が変わった。自分の時間はその子の時間となった。とても幸せな時間だった。でも、時々、苦しい時間でもあった。愛おしさと不安ともどかしさ…複雑な感情の中で揺れ動きながらも圧倒的に幸せな時間だった。 人

          一人の人格

          従わざるをえない存在って

          「きっとそうなると思った」 彼女から返信がありました。 「なぜ?」をぶつける事なく、 ぶつけても変わらないと諦めて育って きてる子たちがいる。 規則や方針。 どんなに理不尽な規則であっても変わらない。 全ては大人たちが前例などを重視し決めていく。 そしてそのことに気づいた子は自分の手で 変えようと勉強をし、現場に行こうとする。 現場にいき、変えられないことに気づき、 また同じことを繰り返すかもしれない。 「規則だから」と。 「自分には変えられない」と。 い

          従わざるをえない存在って

          心地いい場所には心地いい人がいる

          悲しみの感情にもがき、とめどなく流れる涙。 その時… 確かにそばで人の温かさを感じていた。 感情をため込む今も鮮明に思い出す2つの光景がある。 自宅の扉を開け、崩れ落ちるように玄関のベンチに座り込み、感情の赴くままに声をあげ、泣き続けた。 気づくとそばには2人が立っていた。 背中をさすり、何をいうのでもなくただそばにいてくれた。 認めたくはなかったけど自分の限界をとうに超えていた時期だった。 立ち上げたばかりの団体の活動で後戻りも、中断することもできず、前にしか

          心地いい場所には心地いい人がいる

          爪噛みと旅は同じ

          幼少期の写真の中でよく見かける自分の姿がある。 爪を噛んでいる姿だ。 なんで爪を噛むの?今も稀にあります。体育座りをして体を丸めて爪を噛んでいる自分に気づき笑ってしまうことが… 幾つになっても癖は抜けないのでしょうか笑 子どもの時と明らかに違うのはその時の自分の心情を観察できるようになったことです。 「またやってる」「あっ、また…」 そんな繰り返しの中で私にとって「爪を噛む」という動作の役割は何かがみつかりました。 それは、「安心」と「逃避」でした。 爪を噛む

          爪噛みと旅は同じ

          病と向き合う叔母の思い出

          「本当にありがとう」 義理の叔母のお葬式で何人もの 親族に声をかけられました。 私自身が選択し、私自身が当たり前だと思って 過ごしてきた日々に対するお礼でした。 義理叔母の人生叔母は未婚で美容師の資格を持ち、戦後に従業員を雇って美容室経営をするバリバリのキャリアウーマンでした。(今、生きてたら98歳かな) 戦時中、生まれた土地に残った女性達が集められ、敵がせめてきた時のために訓練させられたことや、戦後に美容師資格を取得するために一人で上京したことを聞かせてくれまし

          病と向き合う叔母の思い出

          自分の目的を見失う時

          「育った環境のせいにしてはいけない」 彼女が私の目を見つめ発したその言葉に 数ヶ月前から鎧を身につけるように ぐるぐる巻きにしていた心の鎖が ようやく解けた。 経験こども食堂を立ち上げてからこの5年間。 私の周りには子どもたちがいました。 子どもたちの数だけ家族のカタチがあり、環境があり、時にはその子が抱える問題がありました。 常に対面での関係を大切にしていた私はひとりひとりの子どもたちの声を聞き漏らさないようにと真剣に付き合ってきました。 でも自分のその自

          自分の目的を見失う時

          目の前の人は未来の自分かもしれない

          明け方に部屋の扉が開き、次の瞬間、布団の中に人が入ってくる。 「あっ、来た!」 そこからは、ただ時間が過ぎるのを待つのです。 大きな存在私の祖母は大正生まれでした。満州に渡り終戦を迎え、大変な苦労をしてきました。幼かった頃、祖母から戦争の話や父の小さな頃の話を聞きながら悲しくなったり、怖くなったり、笑ったりしていたのを覚えています。 祖母は自宅でも着物を着て生活をし、すり足で歩く粋な女性でした。 部屋にはいつもチョコレートやジェリービーンズがあり、甘いものが食べたく

          目の前の人は未来の自分かもしれない

          比較からはじまる幸・不幸

          「あなたはまだマシな方よ」 このような言葉を受けた人が少なからず いるのではないでしょうか。 いや、多いのではないでしょうか。 悩みの重さは同じ悩みを抱えた時に自分自身で抱えきれなくなった悩み事を他人に聞いて欲しいと思うことがありませんか。 もしかしたら、悩みを打ち明けるのは答えを見つける為、救って欲しい為ではなく、ただ自分の心の整理をつけたいだけ、聞いて欲しいだけなのかもしれません。 その悩み事は人によってそれぞれです。 ただ、わかっていることはその悩み事は今

          比較からはじまる幸・不幸

          食べない選択をする

          「そろそろきたかな」 思考する速度が落ち、身体の動きが 穏やかになる。 自分の身体に変化が起きるのが はっきりとわかる瞬間がある。 断食数年前はヨガや健康の一環として食を断つ「断食」を3ヶ月ごとに行なっていました。始めた当初は「お腹が減ったなあ」「あと何時間でご飯が食べれる」「早く終わらないかな」、そんなことばかり考えていました。 外を歩けば飲食店が立ち並び、美味しそうなメニューの写真から必死で目をそらしていました。夕刻時はさらに過酷で店内へと誘う香りが漂い、つい

          食べない選択をする

          カサブタになるまで

          身体を動かさず、ずっとその場所に座り込む。 言葉も発さずに、ただずっと静かに。 本当に辛い時、そんな事がある。 言葉にしたり、動いたりすると傷口が 大きくなってしまうような気がして、 ただ黙ってその痛みに耐える。 「痛いよ」「助けて」 そう言ってしまえば楽になるのかもしれない。 でもさらに痛みが増す時もある。 さらなる痛みを味わいたくないから、 ただ傷口が広がらないようにじっと耐えていく。 少しずつ身体を動かしたり、言葉を口にできたり するようになる。

          カサブタになるまで

          毎日が苦痛だった

          今、たくさんの子どもたちと関わっていて、 忘れかけていた学生の頃を思い出します。 中高生の頃に感じていた空虚な感じ。 「同じ日々」毎日毎日、やってくる朝。 毎日、同じ服を着て学校に通い、窮屈な教室で 眠気と戦いながら必死で黒板の文字を書き写す。 休み時間は決まった友達と集い、時間を潰す。 楽しい時もあったけど、無性に苦しい時もあった。 「群れですごす」時々、周りを見渡すと友達から離れて一人で 過ごしている子がいた。 少しだけ変わり者といわれていた子だけど、

          毎日が苦痛だった

          変化で知ること

          目の前の景色が刻一刻と変化をする。 ただそこに佇んでその景色をながめる。 いつの間にか前とは違う景色を目にしている。 時間の経過を何が教えてくれるのか。 変化する景色が教えてくれるのか。 太陽がしずみ、太陽がのぼる。 そして、昨日とは違う今日がきたことを知る。

          変化で知ること