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自分の目的を見失う時

「育った環境のせいにしてはいけない」

彼女が私の目を見つめ発したその言葉に

数ヶ月前から鎧を身につけるように

ぐるぐる巻きにしていた心の鎖が

ようやく解けた。

経験

こども食堂を立ち上げてからこの5年間。

私の周りには子どもたちがいました。

子どもたちの数だけ家族のカタチがあり、環境があり、時にはその子が抱える問題がありました。

常に対面での関係を大切にしていた私はひとりひとりの子どもたちの声を聞き漏らさないようにと真剣に付き合ってきました。

でも自分のその自負さえも脆くも崩れ去ってしまった出来事がありました。

取り組み

私が代表を務める団体は子ども支援の括りになります。

子どもたちの居場所をつくり、その中で子どもだけでは解決できない問題が発覚した時には子どもと共に考え、必要な支援に繋いでいく活動でもあります。

子どもの抱える問題の多くに家族の問題が絡んでいます。

そのため、子どもとの関係ばかりではなく、その家族とも繋がっていけるように様々な事業を展開しています。

時に子どものことで親たちと連絡を取り合う時もあります。

常に顔の見える関係性を大切にしてきました。

迷路の中で

「支援」

「伴走」

福祉関係ではこの2つの言葉の使い分けを重要視する傾向があります。しかし、どちらにも「支援される人」「伴走される人」と受動的な人たちがいるのには変わりません。

能動的な人たちと受動的な人たちがいます。

それだけ見れば私にとっては「支援」も「伴走」もどちらも同じ捉え方になっています。

そして、その言葉がある分断を生み出しているような気がするのです。

ある日のできごと

数ヶ月前、夜中に自宅兼事務所にやってきた子どもの言葉を目の前で聴いていました。

数年かけて関係を築いてきたその子どもの聞くに堪えない言葉の数々に今すべきことを団体スタッフと話し合い、その子が望むカタチで行動に移しました。

その時、それがその子にとって、その家族にとって幸せに繋がると信じていました。信じるしかなかったのです。

しかし、その行動はその子の嘘によって、否定されました。その子にとっての他愛もない嘘は私と数年かけて仲間たちと築いてきた団体の社会的信用を失いかねないものでした。

その子が流すSNS上で子どもたちの間で私たち団体の嘘の情報が流れました。こども食堂事業以外で友好な関係を築いていたその子の家族は一転して抗議、非難してきました。

子どもの嘘で傷ついた心に更に追い討ちをかけるような出来事に少しずつ自分のやってきた事に意味をみいだせなくなっていくのを感じました。

ずっと明かりを照らし、走り続けてきた自分の灯火が少しづつ弱くなっていきました。

あきらめ

その子の嘘でどれだけの人が傷ついたかを機会があればその子に伝えようと思う、と言った時、

「その子の育った環境を考えてあげなければね」

多くの人が言いました。

その言葉がとても冷酷に聞こえた自分がいました。それは、私に対してではなく嘘をついたその子にとってです。

「その子の環境を考えればしょうがないよ」

諦めにも似たその言葉が私にはしっくりとこなかったのです。

人として

支援者も、伴走者も心があります。支援される人、伴走される人と同じ人だからです。

個人の差はあれど誰しもが人の言動に一喜一憂する同じ心を持っています。人によっては、深く傷つき立ち上がれなくなることもあります。

小学4年生の時から児童養護施設で生活をしている高校生の彼女は言いました。

「人としてやって良いこととやってはいけないことがある。

決して育った環境のせいにしてはいけない」

と。

言葉で人の心の灯火を消すことができます。でも言葉で暗闇になった心に灯火をともすこともできるのです。

諦めることなく、ひとりの人間として他者と自己を活かしていく生き方をしていきたい。

今、札幌を離れ石垣島でこのnoteを書いています。一人でこれからの事を考えています。

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