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自分が嫌いな人の勘違い

自分で自分が嫌いな人は、大きな勘違いをしているの。誤解をしているの。それは、自分が他人と比べて欠点や短所だと思っているところは、その人を好きな人にとっては、ちっとも欠点でも短所でもないのね。マイナス要素にはならないの。それどころか、自分でここが嫌いだと思い込んでいる部分こそが、その人の魅力として映っている場合も多いの。少なくともそれがあるから嫌いですなんてことはあり得ないのね。誰かに「あなたのそこが嫌いなんです」と言われたら、そりゃ落ち込むだろうし、自信を無くしてしまうだろうけど、実はネガティブな想念に支配されて見えなくなっているだけで、実はその何倍もの人が、あなたのそこが好きなんだよね。その部分を含めて、自分は好かれているんだよ。

誰かにとって鼻につく短所や欠点というのは、あなたを好きな人にとっては長所であり、好きな理由にまでなっているのね。ところが、意地悪で嫌みな人の暗く否定的な言葉のパワーにのみこまれて、心が屈して弱気になると、耳を傾けるべき対象を見誤ってしまうのね。もともと自己肯定感が高くない人はなおさら、本来ならばどうでもいい、全く聞く必要のない自分を嫌いな人の言動に悪影響を受けすぎてしまうの。そして、せっかくのモチベーションや気力まで奪われてしまうの。貴重な人生時間を盗まれてしまうのね。

一方で、幼い頃から、親や周りの人たちに自己肯定感を育む言葉を連発されていた人はそうはならないのね。悪口を言われたり、否定されたら傷つくし嫌な気持ちはするよ。だけど、それを決定的な自己評価の理由にはしないのね。「あくまでこれは私を嫌いな人の個人的な感想です」とちゃんと割り切って、感情がなだれ込んでネガティブな自己暗示に転換したりしないのね。

でも、出自は、親や育った環境は自分で選べないし、過去は過去だからね。大人になった今だからこそ、他人の評価に引きずられない為の自己対話を意識的にして欲しいの。腹が立ったり、もの凄く悲しかったり、感情が暴走している時間は避けるんだよ。そうじゃない、少し心が穏やかな時間に頃合いを見計らって、好きな音楽でもBGMにしながら自分に声をかけて欲しいの。

他人と自分が違うのはあたりまえだもの。他人に出来ることが出来なくても焦らなくていいよ。自分を責めなくていいよ。完璧な人なんていないんだから、他人と比べて劣っている部分があったとしても落ち込まなくていいよ。それで自分の高い価値は一切変わらないんだよ。どんな状況でも、自分は自分。そのままの自分が素晴らしいんだよ

・・・どんな場所にもあなたを否定する人はいるからね。あなたは、あなたを好きな人のほうを、あなたが好きな人のほうだけを向いて人生を楽しめばいいの。失敗していい。間違っていい。自分に自信がないと、どうでもいい人たちの悪意に左右されてしまいがちだけど。他人を否定する人は、それで自分の劣等感を埋めようとしているだけで、真に受けるような相手じゃないの。あなたはいつも自然体の自分に自信を持って堂々としていればいいの。周りの人たちの空気を読みすぎて、せっかくのあなたの魅力的な凸凹(でこぼこ)を、つまらない平坦にしないで欲しいなって願っていまーす。

私を必要としてくださる方にもっと近くで言葉をおくれないか、寄り添えないかと考えてnoteを始めました。これからも心を軽く出来ますように、心をこめて発信していきたいと思っております。時には期待に応えられないような内容もあるかもしれませんが、どうか温かく見守っていただけたら嬉しいです