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#080軍隊と食事

 個人的な研究で、軍隊の戦場での食事について気になっていました。その研究での対象となっている史料は、西南戦争の時のものですが、戦地で自活している様子が描かれています。軍隊には補給部隊がいて、食事もてっきりそういう兵站部が行うものとばかり思っていたので、非常に興味深いと思いました。今回はこれから書く論文の一端をご披露いたします。

 そもそも日本では江戸時代には長らく平和が続いたため、戦争やいくさと呼ばれるものは長らくありませんでした。そのため、兵士の生活というものがなかなか判りに辛くなっています。兵士の戦場での生活がどのようなものになっていたのかを知ろうとすると、戦乱の無い江戸時代より前の時代、戦国時代まで遡らないと実情が判らないという状態です。参考までに戦国時代の兵士の状況を藤木久志『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』(朝日新聞社、2005年6月)、同『飢餓と戦争の戦国を行く』(朝日新聞社、2001年11月)などを当たってみました。

 戦国時代の当時の足軽は、携行の保存食を持参しており、個々に炊事を行って食事をとっていたようです。何となく時代劇などで見る、戦陣においてみんなで炊飯して食事しているようなシーンが目に浮かびますが、そのようなこともあったかもしれませんが、実情は小部隊単位で個々で自炊して食事をしていたようです。具体的には、足軽の陣笠を鍋代わりにして、糒(ほしいい:乾燥させた米)を水でもどして炊飯していたようです。また戦場での略奪行為は平素から行われていたようで、きちんとした兵糧の補給、すなわち兵站が確立されていた訳では無く、現地調達ということも普通にありました。

 このような戦国時代の様相を踏まえて、近代日本の軍隊の初期の食について考えてみると、実情はほぼ戦国時代と何ら変わらなかったようです。つまり、明治時代になって、徴兵による近代的軍隊が成立しても、兵站は余り整備されておらず、自炊や現地調達するという様子が見て取れます。喜多平四郎『征西従軍日誌―一巡査の西南戦争』(講談社、2001年3月)を見ても、著者の喜多平四郎は、明治一〇年(一八七七)の西南戦争で熊本城に籠城するのですが、その籠城している際の様子が日誌には細かく描かれています。

 喜多平四郎の記録では、「或いは城内家屋に味噌を探し、鍋を携え来たり。汁の実を畠に取る者あり、火を焚く者あり、味噌をする者あり。また次の胸壁の者もまた同じく汁を煮んとす。」(四三頁)とあるように、個々の兵士が城内の建物を探し回って味噌を入手し、思い思いに味噌汁を作っている様子が描かれています。熊本城内というある程度堅固な陣地にあるために「或いは大根漬けまたは飯の焦げ等を賄い所に乞い」(七八頁)とあるように、炊事場があるにもかかわらず、支給される食事以外にも自分たちで自活をしていることが確認出来ます。あるいは城外に出ては「初め糧食の菜たる田作、インゲン豆、大根漬け、大豆等なり、各胸壁にある者自ら城内家屋に味噌を探し汁を煮、醬油を酌み来たり。野菜を畠に取てこれを煮、或いは梅干し、香の物等も城内人家に初めは随分沢山ありしも、三千の兵使用する事ゆえ忽ち尽きせり。それより城外に潜行し取り来たりしも、後には賊兵これを知るを以て、容易に探究し来る事難し。」(九二頁)とあるように、恐らく夜間で戦闘が終了した際に城外に出て、人家で食料調達をしていた様子がうかがえます。また、「我が小隊ここの士族丸田利兵衛の家に宿陣す。当家の蔵を開き、俵米を出し、夫卒をして臼づかしめ、もって糧食に充つ。」(一五五頁)とあるように、強制的か同意を得てかはここからは読み取れませんが、宿陣した家から食料の徴発を行ったり、「ここの民家に風呂を設け、我が小隊交わる交わる入浴し、またそこの山川に小海老を取り、また鰻を釣り、これを割烹膾炙して食す。」(一八〇頁)とあるように食料の現地調達も行っています。
 著者の手元にある史料でも、喜多平四郎と同じく西南戦争の従軍した人物が個人で食料を調達している様子がうかがえ、戦地に向かう途中には、日々の食糧費も毎日三五銭づつ支給されているので余裕があったと記されていますが、九州に上陸して鹿児島に近づけば近づくほど米価が上がって入手しづらくなっていく様子などが描かれています。また、彼の場合はどうやら諜報活動に従事していたようで、寝る場所や風呂も自分で調達しなければならなかったようで、戦地に近づくと風呂代や宿代、米代も高騰していって困っている様子などがうかがえます。

 このように明治時代になり、近代的軍隊が整備されても、明治の最初の頃には、戦場ではまるで戦国時代さながらに個々人が食事の対処をするような兵士生活を送っていたという点に筆者は驚きを禁じえませんでした。明治初年の徴兵制度では、兵士の戦場での生活などについてはそれほど細やかに考えられていなかったという印象を受けます。戦地での食事の手配が個々人に任されている点についてもそうですが、戦死した場合にも戦死者の遺族からの申し出を待って手当などが出されていることが西南戦争後に何年も続いている点からも、そのように指摘出来るでしょう。

 ちなみに、朝日新聞Podcastで自衛隊の食事について紹介している回がありましたので、URLを下記に記します。最新の軍隊食ということで参考になればと思います。

朝日新聞Podcast「朝食のごはんとパン、両方取ったら懲戒処分 厳しすぎる?処分の裏側 自衛隊はいま⑤ #827




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