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#022どんな贈答品を贈っていたか~古文書に見る食べ物、いろいろ(1)

 今回は史料調査で見た、史料に出てくる食べ物について書いてみます。調査中に見つけて、つい嬉しくなって写真を撮ったものですが、今回はこちらのものから。

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 1行目中ほどから「鶏肉等は決テ御見合申来候」とあります。4行目下の方では「当地も豚ノ価ナトハ大下落ニ御座候、鶏・牛も同様也」とあります。おそらく明治時代に入ってからの手紙と思われますが、年代の記載部分が破損しているので、正確なところは判りません。

 江戸時代から鶏は飼われていましたが、もっぱら卵を得るためで、食肉用ではありませんでした。当時は主に食べられていた食肉用の鳥は、鴨や雁などの野鳥が中心です。そのため、食肉用の鶏の話が出ているので、この史料が明治時代のものという類推が成り立ちます。またこの史料の後半には豚肉、牛肉についての記載があります。幕末頃から西洋料理の文化が入りつつあり、食肉文化がが浸透し始めていました。しかし、まだまだ主だった購入先は在留外国人であり、開港場であった横浜などを中心にとして外国人向けに一部地域で牧畜をして供給していたとのことです。どういう理由なのかは不明ですが、豚肉、牛肉、鶏肉ともに価格が下落していると書かれています。史料の中ほどには、綺麗な肉であっても食べることを見合わせるように、と書いてあります。もしかしたら、明治19年にコレラが大流行しており、そのころには、生煮え、生焼けのものに充分用心するようにという通達なども出ており、食当たりのことを「疑似コレラ」などという言い方もしていますので、そのころの史料かも知れませんね。

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 こちらは写真中央に「飛魚少々中元之印迄」とあります。お中元に飛魚を贈答品として贈っていることが判ります。夏の贈答品ということで、飛魚は6,7月が旬の魚ですのでうってつけでしたでしょう。このころには既に現在同様に各地の名産品が生まれており、このような贈答品として活用されています。管見ながら、滋賀県近江八幡市の赤こんにゃくなども贈答品で登場するのを見たことがあります。

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 こちらは写真右の行、中ほどから「中元ノ御祝儀として素麺沢山」とあります。現在も夏の贈答品の定番として続く素麺。関西では大和国と播磨国に素麺の名産地がありますが、大和国の、現在「三輪素麺」といわれるものは平安時代の発祥、播磨国の、現在「播州素麺」と言われるものは江戸時代中期の発祥と伝わります。どちらのものかは判りませんが、よほどたくさん贈ってもらえたのでしょう。

 こういう手紙は、特に有名人に関わるものや何かの事件にかかわるものでもありませんので、普段は多くの研究者にはあまり顧みられることがありませんが、このように当時の食品、食生活について垣間見ることが出来るので、個人的に非常にワクワクしてしまいます。

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