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死ぬのって、怖いのかな

1.「怖い」ってなに?

そもそも、多くの人は、なぜ死ぬのが怖いのだろうか?

「怖い」とは何か。

どんな生物が「怖い」という感情を持つのか。

人間以外の動物は、心を持っているかどうかわからないし、「怖い」と言語で報告することができないので、どう思っているのかも分からないが、身に危険を感じた時に、少なくとも反射行動をとる。

昆虫は感情を持っていないだろうが、哺乳類は持っていそうだ。もちろん聞いても答えてくれないので、そのように見えるだけかもしれない。

これに対し、人間は感情を持っている。

2.感情がなかったら?

感情は、一般に、それを他人に伝えることによってコミュニケーションを高度化するためだろうと言われている。もしも人間に感情がなかったならば、人間社会はロボットの集団ないしはアリの集団のように、ただ役割分担をし、ただ生き死んでいくような、無機質な社会だったに違いない。

では人間は、コミュニケーションを無機質にしないだけのために感情を持ったのだろうか?違うだろう。

感情があるから、コミュニケーションをが複雑化し、その複雑なコミュニケーションを記憶して次の行動に活かすから、行動が複雑化した、といってもいい。つまり、感情があり記憶できることによって、集団としてのコミュニケーションの高度化や、それに伴う行動の高度化が可能になる。

そんなメリットがあったからこそ、生物は、感情を持つ人間へと「進化」したと考えるのが妥当だ。

3.「死が怖い」のは環境適応のため?

死ぬのが怖いと思うのは嫌なものだが、そう思ったほうが、より、人間が環境に適応できるため、種の保存上有利であるという考え方もできる。

もしも、私たちが「死ぬのは怖い」と思わなかったら、私たちが死の危険を冒す確率は上昇するであろう。

人間は、「死ぬのが怖い」ことによって、死ぬ確率を下げ、それにより、生きている間に子孫を残す可能性を増し、種として繁栄する可能性が増しているのではないかと推測できる。

4.死は共生のための装置である

生物は、個体の生を永遠に保存するようには進化してこなかったので、個体に対しては残酷な死刑宣告のようではあるが、個体が死ぬのは生物種の戦略とも考えられる。

だから、死にたくないと思う自分の心を中心に物事を見るよりも、遺伝子に視点を移し、遺伝子が自分を残そうとすることによって種の保存を果たしているという比喩で生物を理解したほうが理解しやすいし、進化論的には妥当である。

そのほうが、生物種の進化と生物個体の関係を、適切に、客観的に、理解できる。


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