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2019年のエンタメ展望 - Disney, Netflix, Fortnite, 中国, アニメ, ゲームなど-

今更な内容もあるが、改めて2018年後半位から年始初頭にかけて目にしたエンタメ界隈のトピックスをざっくり振り返りつつ今後を考える上で大事だなと思う視点をまとめてみる。

2018年のトピックスとしては、全世界的に「ブラック・パンサー」や「クレイジー・リッチ」など、黒人層やアジアン・アメリカンと言った白人至上主義のエンタメ業界でビハインドを負って来た人々が完全主体となり作り上げたコンテンツが全米を、SNSを、世界のオーディエンスを動かした時代になったのが象徴的だったと思われる。

日本でも若い人を中心に、ハッシュタグ経済ではないが、スマホが牽引するメディアの分散化と同時に、超高速で興味・関心が移ろぎ変化する中、いち早く特定層/複数層に火を起こし、参加したくなる”現象”へと”体験を昇華”させなければ、コンテンツとして最早陽の目を浴びること無く埋もれてしまうという状態になってきていると強く感じる。

そんな前提の中、ここ数ヶ月で直面した今後のエンタメを占うニュースを幾つか。(ネトフリ多し。。なので情報ソースもう少し分散させねば。)

・まず2019年映画ラインナップ的には大当たり年のディズニーの動き。今年はディズニーにとって、ある意味勝負の年だと想像する。2018年に既に発表済ではあるが、勢力を強める定額制動画サービスのNetflixやAmazonに対抗し、自社オリジナルの定額制サービスを2019年後半に開始することを発表している。そしてそれに備えてもあり、FOXのエンターテインメント部門(映画、テレビ、海外事業など)を驚愕の7.4兆円で買収した。これによりディズニーは、X-MEN、エイリアン、アバター、猿の惑星シリーズなど強力なコンテンツを獲得することに成功し、同時に他社の配信サービスからこれらのコンテンツを引っ張り出し、自社サービスコンテンツの独占生を高めることが可能になる。サービスローンチも含め、恐らく日本も間違いなく影響を受けることになるだろう。

・ネトフリで年末CMも大量投下された「バード・ボックス」は7日間で4500万人が鑑賞。(ネトフリの決算資料では最終的に8000万人が視聴)サービス史上最速とのこと。最早「映画館」という「チャネル」に縛られたコンテンツの概念は消失している。(というか最近の映画館での広告も含め、ネトフリが映画好き層をがちで取りに来ているのはひしひしと感じる)

・「ゼロ・グラビティ」のアルフォンソ・キュアロン監督の新作「ローマ」がネットフリックスのみで配信。(世界では900館のみで上映)。アカデミー賞の作品賞もノミネートしているが、ネトフリ側が受賞しても箱は開ける気はないとのこと。そりゃ独占性高めた方が加入者は増えるのでビジネス的には至極真っ当なロジックだけど、こうした既存映画会とITエンタメ企業との攻防は、今回のアカデミー賞も含め今年ますます激しくなっていくことだろうな。

・「片付けメソッド」で日本や世界でもベストセラーになった近藤麻理恵さんこと、コンマリさんが全米のご自宅の片付けのお悩みをそれこそ片していく番組がネトフリで1月から始まり話題沸騰。自分も1話見てみたがとても良い感じに出来てると感じた。こうした日本や日本人のアイディアがグローバルのプラットフォームに乗っかることで一気に世界に流通することはとても素晴らしいことだなと個人的には思う。

・そんな既存エンタメ業界を壊しながら躍進するネットフリックス。2018年は700以上のオリジナルコンテンツ制作のために年間予算を1兆円以上充てると発表していた。

・ちょうど1月中旬に発表された決算によると、確かに2018年の年間のコンテンツ制作費は約130億ドル。。(cash flowの10ページ目、上から4行目の"Additions to streaming contents assests”)フリーキャッシュフロー(同ページ最後)は約30億ドルのマイナス。AWSでがっぽり儲けた利益をがんがん先行投資に充てるアマゾンと同様、目先の利益でなく将来性に対してすさまじい勢いで投資するスタイルはすごい。2019年はマーティン・スコセッシやマイケル・ベイなど名だたる映画監督の作品も投入されるというのだから自ずと世界的な会員数の増加が進むだろう。

・映画に限った話ではないけど、じゃあそうしたプラットフォームに乗せるコンテンツを作る際に、ただ”コンテンツ”の中身の良し悪しだけを考えればいいのか、という話ではなくなってきている示唆のある記事(2017年末で古いけど重要)。スポーティファイを通じてアジア圏でヒットし数万人規模のライブを成功させる覆面ユニットのampm。「スポーティファイのトレンドチャートに入るアルゴリズムを分析して曲を作った」という言葉が語る様に、プラットフォーム側の仕組みを理解した上でコンテンツを生み出す、という発想がこれからは必然になってくると感じる。YoutubeもTiktokとか色んなプラットフォームを利用する上で通じる話。

・一方で、さっきのネトフリ決算上でもネトフリ自らが、「HBO以上の競合」と認定するのが全世界で登録者数2億人以上のユーザーを得ているゲーム「フォートナイト」。自分はゲーマーでないので付け焼き刃の理解だが、ゲーム開発者とゲーム配信プラットフォームいずれもを担っているという強みを有しており、iOSやGoogle Playによるプラットフォーム手数料(iOSは3割、Google Playは確か15-18%だったような)の高さから、自社ゲームのGoogle Play上での公開を拒否し自社サイトでのDLを装備した様だ。ネットフリックスも自社サイトでの課金システムを強化するなど、AppleやGoogleのプラットフォーム手数料から逃れる流れは今後一層強くなりそうだ。(もちろん小規模のプレイヤーはまずそれらプラットフォームでコンテンツの認知を高め、マネタイズが十分なレベルに達したら自社サイトに引き上げるという流れな気がする)

・ジャンルはまた変わるが、元WIRED編集長の若林恵さんが言う、「音楽」は時代の空気を最も早く体現するジャンルであるのにはすごく納得感がある。その背景ロジックは明確に記事内では書かれていないけど、「表現したい」というニーズの発露とアウトプットまでのスピード感が最も早いからだと個人的には思う。「歌いたい」と思って歌えばもうそこでコンテンツは生み出される訳だし。(多分この音楽と同じスピード感でファッションも同様だと個人的には思う)エンタメ、メディアに関わる人間は業界関係なく、音楽における変化は常にウォッチしていなければならないのだなと思う。(自戒も込め)

世の中で起きる変化というものは、特にデジタル以降のテクノロジーの分野においては、音楽が最初に直撃するんです。なので、そこを見ておくと、だいたい何が起こるかわかる。炭鉱のカナリヤのようなものですよね。

・そしてその音楽分野で今起こっている世界の動向を記事にしてたのがこれ。BTSを初めK-POPが長年のトライの果てに世界を掴み、そうした流れの上に若く新しい勢力が台頭していく、日本も含めたアジアの胎動が熱い。

・アジアと言うと、コンテンツ大国中国の変化も凄まじい。アニメは一昔前のイメージは優に超え日本作品と言われても大差ない印象の作品も既にざらにある。特に「魔道祖師」のレベルはやばい。まだまだ中国国内ではアニメーション映画の大ヒット作品(とはいえこれまででも100億円規模は既に出ている)は実写に比べまだまだ規模が小さいが、映画好きは45歳以下のミドルから若い人を中心にしたエンタメであるので、中国アニメ自体のレベルがこうして上がっていけばここ数年の間に日本と同じく実写を凌駕する作品がどんどん出てくることだろう。(そうした所で日本のプレイヤーと共同で良い作品が作れたりすると良いのだが)

・マンガやアニメに関しては中国国内での規制は数年前から取り沙汰されていたが、とはいえ日本アニメの配信権の高額買取など、日本にとって中国は重要なマーケットになっていた。アニメ評論家の数土さんの先日のnoteには表現規制や事前検閲の強化など、先行きの不透明感は拭えないという指摘も。一方で、どらえもん、NARUTO、名探偵コナンなど、強いブランドは自ずと更に残り人気を高めていくとの予想。

ゲームに関しても、中国国内での規制強化(ex. モンハンワールドの販売停止)や、海外企業との提携、海外進出の強化が進むと言われている。(ex. テンセントとスクエニの提携)。

昨年の「アズールレーン」「荒野行動」、ゲームではないが「Tiktok」も中国産メディア・コンテンツが日本国内市場にも最早それと気づくことなく入ってきているが、大陸での規制強化の動きに伴い中国企業の海外進出の促進に合わせ更に今後そうした動きは顕著になっていくと想像できる。

ざっと振り返るとこんな所だろうか。

つらつらと書いてしまったが、最早、解などないのだなと思う。ただ日本のプレイヤーとしては、狭い日本を見つめず広い世界を視野に入れ、溢れる既視感の海から浮上する新しいチャレンジをした者だけが残っていける、むしろそうすることが当たり前になっていく時代なんだなと思わされる。それこそ今の10-20代とか若い人ほど呼吸をするようにネットを通じて自分が面白いと思うものを吸収アウトプットしているし、そこには最早「国境」とか「年齢」とかそういう概念は関係ないのだよなと強く思わされる。

そんなことを考えて思い出したのが以下、自分が最も好きなアニメと言っても過言ではない「コード・ギアス」の最も好きなセリフ。

ゼロ「日本人とは、民族とは何だ?」
スザ「何?」
ゼロ「言語か、土地か、血の繋がりか」
スザ「違う。それは…心だ」
ゼロ「私もそう思う」
ゼロ「自覚・規範・矜持、つまり文化の根底たる心さえあれば、住む場所が異なろうとそれは日本人なのだ」

こうした時代が本当に到来しているとすごく感じる。
(別noteでギアスの最高さは別途新章公開前にまとめたいところ)

日本という国を考えたらこれからますます人口は減り、海外からやってくる人は増え、ネットを介しリアルタイムに様々な情報が更に入って来る様になる。全てが混ざり合う混沌の中できっと”国”という概念も長い目で見たらどんどん希薄化していくと思う。ただこの言葉には、何をもってそうたらしめるのかを気づかせてくれる、強烈な思想が込められていると思う。

自分もある種(大学海外行っただけの分際ではあるが)日本人でありながらどこか日本人でない様な感覚も一部あったりする。最早国とか年齢とか、新しい何かを生み出す中で関係ないなとすごく思う。ルルーシュではないが、とはいえ日本人の心みたいなものは大事にしながら、色々チャレンジしていかねばと思う。

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