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受け入れるのか、闘うのか。『火星の人/オデッセイ』【読書×映画メモ】

あらすじ

 NASAの有人火星探索ミッション「アレス3」は、猛烈な嵐により開始6日目での中止を余儀なくされる。しかし火星から脱出する際、強風により破損したアンテナの一部がクルーの一人であるマーク・アトニーを直撃。そのまま嵐の中に吹き飛ばされてしまう。彼の生存は絶望的であり、すぐにでも出発しなければ全員の命が危険な状況。苦渋の決断の末、アレス3のクルーはアトニーを置いて火星を離脱する。
 しかしアトニーは奇跡的に一命をとりとめていた!火星に一人取り残されたアトニーは生存を模索する。だが、食料はおよそ1年分しか残されていないのに対し、次の有人探査ミッションが行われるのは4年後。空気も水も限られている。そんな絶望的な状況にあっても、アトニーは持ち前の明るさ明晰な頭脳、そして何よりもあきらめない心をもって、この難題に挑む。

どうでもいい前書き

Q.なんでいまさら10年近く前の作品をレビューするんですか?
A.ガルガンチュア・ブラックホール(※1)の近くに住んでいるので……。

『火星の人』はソフトウェアエンジニアであったアンディ・ウィアーが自身のWebサイトで公開していたハードSF小説だ。勝手なイメージだけれど、現代のSF小説家はWEBで書きがちのような気がする。ジョン・スコルジー(※2)とか。

 5~6年ほど前に古本屋で購入して積んでいた。旧版なので上下巻でなく1冊のペーパーバックになっており、厚さは大体3センチくらいある。それで、読破するのにすごくカロリー使いそうだなあと思って敬遠していた。しかし最近宇宙系Youtube動画(※3)を見るのにハマり、心の中のSF熱が盛り上がったのをきっかけに挑戦することにしたのだ。

 めっちゃ面白かった。

※1:ガルガンチュア・ブラックホール……映画『インターステラー』ではガルガンチュア・ブラックホール軌道上の惑星に降り立った際、時間が遅く進むギミックがある(その惑星上で1時間が経過するごとに、地球で進む時間はなんと7年間!)。当然の帰結として、その近くに住んでいる私も7年前の流行を追っている。それでも若干遅いよ。
※2:ジョン・スコルジー……アメリカのSF作家。代表作は『老人と宇宙』など。『老人と宇宙』をざっくり言うと、おじいちゃんがめっちゃ若くて強い肉体を手に入れて異星人と戦う話。自身のブログで連載していたものが書籍化された。
※3:宇宙系YouTube動画……「バイエンス」とか「宇宙大好きレキシカちゃん」とか「ディスカバリーチャンネル」が最近のお気に入りです。みんな見よう!

感想

前向きで明るいアトニーに元気付けられる

 先ほども書いたとおり、この本はめちゃくちゃ分厚い。およそ3センチ、ページ数にして574ページだ。しかし読んでみると思ったよりフォントが大きい(私の基準が昔のハヤカワなのであまりあてにならないかも)のと、なにより翻訳のなせる軽妙な筆致(※4)によりスイスイと読み進められた。

 特に印象に残るのは主人公・アトニーの人柄。彼は火星でひとりぼっちというとてつもなく困難な状況で生き延びることを余儀なくされるんだけれど、決してくよくよしない。むしろその困難さえもユーモアに昇華して笑い飛ばし、「それじゃ、問題を一つ一つ解決しよう」と前を向くのだ。
 中盤、エアロック(※5)が爆発し、基地内部のジャガイモ農場(※6)が駄目になってしまうシーンがある。彼が丹精込めて作り上げた食料維持の命綱だったが、超低温の外気(火星の外気温は年平均でマイナス55℃)にさらされたことによりジャガイモは全滅。それまでNASAと協力して練り上げていた脱出プランはおじゃんになってしまう。

 大惨事だ。

 特に、火星という物資の限られた極限空間においては、行先に暗雲どころかブラックホールが通せんぼしているくらいに致命的な事態。
 不運は続く。食料問題に対処するためNASAが打ち上げたロケットは急ピッチでの建造が祟り、宇宙空間にたどり着く前に空中分解してしまう。もはやアトニーの生還は絶望的かに見えた。
 しかし、それでも彼は前を向く。信じがたいポジティブ・シンキングだ。アレス3のクルーたちに送ったメッセージは力強い。一人には「ぼくはあきらめていない。あらゆる結果にそなえて準備する。それがぼくのやり方だ」といったかと思えば、別のクルーには神妙な顔つきで(電子メールのやり取りなので、厳密には「顔つき」というのはおかしいのだが)「そんなことより船長。あなたの音楽の趣味どうなってるんですか?今どき70年代のディスコて。」と笑い飛ばしてしまう。
 SF評論家の中村融もあとがきでこのことについて触れている。彼はこのユーモアセンスによって自身を客観視できるから、どんなに深刻な状況にあっても冷静に前を向けるのだ。

 アトニーは諦めない。そんなアトニーだから、アレス3のクルー、NASA、そして全世界が力を合わせて彼を救おうとする。この作品はそんな物語だ。

※6:翻訳について……訳者は小野田和子さん。ハヤカワのSFを数多く翻訳している。アシモフの『夜来たる』なんかも訳しているらしい(私は読んでないけど)。口語体が絶妙で、アトニーのひょうきんな人柄が訳のおかげで1.5倍増しくらいになっているよう感じられた。ただ、翻訳者としてはいわゆる松岡裕子さんタイプというか、情感豊かな描写は得意なのだが、訳はあまり正確ではない(というか誤訳が多い)のに注意。念のため補足すると松岡さんはハリー・ポッターシリーズの翻訳を手掛けられた方。いろいろ言われてるけど、まあ私は好きだよ。ハリポタ全巻(『呪いの子』の舞台台本含む)読んだし。
※5:エアロック……真空や大気の薄い惑星で船外活動をする際は、船内外の気圧差に注意を払う必要がある。生身で真空中に放り出されると全身の水分が沸騰したりして死んでしまうから、宇宙服を着ないで活動するスペースは地球に近い空気圧を保っていないといけないのだ。しかし、0気圧の空間で1気圧の部屋のドアを開けると、気圧差で中の空気が一斉に外に飛び出してしまう。そこでそれを調整するため、宇宙船などの出口にはエアロックという小部屋が設けられている。出入りする際はまずエアロック内に入り、密閉。エアロック内の気圧を侵入先(つまり出るときは1気圧から0気圧、入るときは0気圧から1気圧、のように)に調整することで空気の噴出を防ぐ仕組みになっているのだ。このシーンでは圧力調整の際、経年劣化によりエアロックの素材が破断してしまい、船内の空気が爆発的に放出されたのだった。
※6:ジャガイモ農場……火星の土に地球の土と肥料を混合することで、植物が生育可能な土壌を生み出した。その広さなんと92平方メートル!勤勉なであるだけでなく有能な植物学者でもあるからこそなせるわざだ。ちなみにここでいう肥料とは人間の排泄物。つまり自家製である。

結構はしょってる、けど原作理解度の高い映画「オデッセイ」

 本作が面白すぎたので勢い余って映画版もアマプラで見た。映画は時間がかかりすぎるのが苦手であまり見ないのだが、一度好きになったら横展開されたコンテンツも追いたくなりますよね。わかるでしょ?(コンテンツ消費型人間の極み

 原作付きの映画とは二次創作である。私はそう思っている。本作も例にもれず、原作通りとはいかない場面も少なからずある。

 まず、コメディタッチな作風からいくぶんシリアスに寄せていること。もちろん原作でもシリアスな描写は多々あるのだが、それ以上にアトニーがジョークを言っている場面のほうが多い。しかし映画版では、限られた尺のうち、置かれている状況の絶望感とか、NASAによる救出劇の波乱ぶりに多く割かれているよう感じられた。パスファインダー(※7)やスキャパレリ・クレーター(※8)への道中、ささやかな楽しみや苦しみをユーモアたっぷりに味わうアトニーの姿はけっこう好きだったんだけれど、結構はしょられているのが残念。原作では大規模な砂嵐に遭ったり、クレーターへ侵入する際に車が横転する大事故を起こしたりしているのだが、そこもまるまるカットされていた。ただ、これらのイベントは原作を読んでいるときも少し冗長に感じたので正解かも。

 その一方で追加された描写もある。NASAのオペレーターに対して自分を「金髭船長」と呼ぶように要求したり、最後にヘルメス(※9)とランデブーする際、宇宙服の手の部分に穴をあけてアイアンマンみたいに宇宙空間を飛行したり(原作でも提案したが「クソみたいなアイディア思いついてないで座ってろ」と制止されている)。このへんはとても原作理解度が高くて好感が持てた。

 ただ、一番重要な改変はラストシーンだろう。原作のほうはヘルメスに回収されてクルーたちと再会を喜び合うところで物語が終わっているんだけれど、映画版では地球に戻ったその後が描かれている。後継ミッションのアレス5(※10)の発射は無事成功し、アトニーは火星で1年以上のサバイバルを達成した英雄として扱われている。彼はNASAの宇宙飛行士候補生たちを前にしてこう語る。

君は言う。”もう終わりだ。僕は死ぬ。”と。
それを受け入れるのか、闘うのか。
そこが肝心だ。
まず始めるんだ。
問題を一つ解決したら次の問題に取り組む。
そうして解決していけば帰れる。
以上だ。質問は?
映画『オデッセイ(原題:The Martian)』

し、シビれる~~~~!!!

 ぶっちゃけ、文面だけ見れば謎の肩書の自称識者が語るふわっふわの精神論と大差ない。でも説得力、響き方が全く違う。
 だってアトニーなんだもん。アトニーはそうしてきた。そして生き延びた。

 このラストシーンはけっして蛇足ではないと思う。原作の終わり方に少し不満を感じた読者もいたはずだ。シンデレラ・ストーリーの大団円はもっと盛大に祝われてもいい。そして、映画版「オデッセイ」はそのちょっとした心残りをキレイに埋めてくれる。

 また、それまで時間経過を示すのには「ソル(火星の1日を示す単位で、地球より少し長い)○○」と表示されていたのだが、最後のシーンでは「DAY1」の文字が躍る。ここもすごくいい改変だ。原作ではヘルメスのログが「デイ687」になっていることで人類社会への帰還を表現しているのだが、映画版のほうがよりドラマチックだと思う。

 ちなみに邦題の「オデッセイ」について。原題の「The Martian(日本語で発音すると「ザ・マーシアン」とか「ザ・マーシャン」になる)も邦訳版の「火星の人」も踏襲せず、一見全く関係ないタイトルに見える。
 しかしここにも意図が隠されている。このタイトルはホメロスの詩「オデュッセイア」にちなみ、長期間の放浪と帰還を意味する。つまり、映画版の邦題をつけた人は、この叙事詩とアトニーの物語とを重ね合わせて「まるでオデュッセウスのようだ」という理由でこのタイトルにしたのだ。めっちゃセンスがオシャレやん。
 販促上の意図もあるだろう。タイトルが「火星の人」とか、はたまた直訳の「火星人」ではパンチが弱いと考えたのかもしれない。実際、売れるSF映画ってカタカナ1単語のイメージがあるし。『アルマゲドン』とか『インターステラー(※11)』とか。
 けっこう賛否が分かれるタイトルらしい(ちゃんと調べてない)けど、少なくとも私は好きだよ。

※7:パスファインダー……実在するNASAの火星探査機。1997年にその役割を終えた。本作ではアトニーの生存に重要な役割を果たす。
※8:スキャパレリ・クレーター……実在する火星のクレーター。火星模様を観察したイタリア人天文学者ジョヴァンニ・スキャパレリの姓にちなむ。アレス4のミッション地であり、終盤アトニーはここを目指すことになる。
※9:ヘルメス……アレスミッションの母艦。クルーたちはこの母艦で火星を行き来し、火星着陸機や火星脱出機はここから出発/着艦する。
※10:アレス5……本文では省いたが、アトニーへ送り届ける物資を軌道上に打ち上げるために本作ではなんと中国がロケット「太陽神(タイヤン・シェン)」(かっこいい)の使用を申し出る。見返りにアレス5のミッションに中国人宇宙飛行士の枠を割り当てるという取引がなされるのだが、映画版ではそのやり取りは明示されていない。代わりに、ラストで中国系と思しきクルーがアレス3でもクルーを務めたマルティネスとグータッチしているシーンが挿入されていた。ここも原作を知っているとグッとくる。
※11:インターステラー……超有名なので内容を説明する気はありません。ただ脚注に置いたのは、私が「オデッセイ」にあまりに感動して「もっと宇宙系SF映画見たい!!!」となり、ぶっ続けで視聴したことを記録するためです。つまり1日で『火星の人(本)』→『オデッセイ(映画)』→『インターステラー(映画)』ノンストップで摂取したことになります。なんだコイツ……。ちなみにめっちゃいい映画でした。ただ、オデッセイからの続きで見るとマット・デイモンの落差で風邪を引く。

総評

 「火星の人」長めのハードSF。専門用語もけっこう多いから、SFを読み慣れていない人だときついかもしれない。でも、それを苦にしない人にとっては軽妙な語り口キャラクター造形のすばらしさ、なにより話の面白さからすんなり読めてしまう作品だと思う。
 「オデッセイ」も原作理解度が高い良作。特に、追加されたラストシーンは漫画でいう単行本の加筆修正みたいな感じで、とても満足度が高かった
 どちらもおすすめです!

基本情報

小説

題名:火星の人(原題:The Martian)
著者:アンディ・ウィアー
訳者:小野田和子
出版:2014/8/25
発行:株式会社早川書房
読書の時期:2023/03/18~2023/03/18

映画

題名:オデッセイ(邦題)/The Martian(原題)
監督:リドリー・スコット
主演:マット・デイモン
公開:2015
視聴の時期:2023/03/18~2023/03/18


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