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私と息子のおっぱい事情

「おっぱい」という言葉を口にするのには、抵抗がある。自分のバストの女性性をすべて母性に置き換えられてしまうような感じが、どうしても受け入れられない。でも、母親の「おっぱい」を指す言葉に、ちょうどいい“代わり”がない。「胸」とか「バスト」では、母乳が出るものじゃないように聞こえる。いまもなるべくなら口にしたくないけれど、話がややこしくなるのは本意じゃないから、あきらめて言う。なんかいい言い方ありませんかね。

…という違和感はおぼえつつ、今回のnoteには延々おっぱいが出てきます。

1日4時間も授乳していた
うちの息子は、おっぱい優等生だったと思う。産まれて2日間は寝てばかりだったけれど、一度ミルクを含ませてみたら「あ、飲むってこういうことだったんすね!」という感じで、母乳もばっちり飲み始めた。それに伴って、こちらの量産体制も確立。母乳パッドをつけ忘れたら洋服がびしょびしょになるほど、景気よく出た。目立ったトラブルといえば、産後1ヶ月ごろ、パッドにかぶれて無意識に胸をかきむしり、寝ている間に血だらけになったことくらい。皮膚科に行って、赤ちゃんが口に入れてもOKな軟膏をいただいたら、すぐに良くなった。

ありがたかったのは、母乳だけでなくミルクも併用できたこと。哺乳瓶と乳首では飲み方が違うから、ミルクか母乳のどちらかを受けつけなくなる赤ちゃんは多いらしいのだけど、息子はいい意味で鈍感だった。哺乳瓶でミルクも、おっぱいで母乳も、どっちもがんがんいけるクチ。おかげで心置きなく預けられたし、ミルクが続くと私の母乳が出づらくなる、なんてこともなかった。

ちまちま記録していた育児アプリを見返すと、生後2週間までの授乳回数は1日平均16回。1回につき15分くらい飲ませるから、1日のうち4時間も授乳していたことになる。え、ほんまに? いまとなっては自分でも信じられない。そして、それがどんどん減り、3ヶ月では平均7回。6ヶ月では平均5回になっていた。朝昼晩で1回ずつと、眠る前に1回、明け方に1回、というかんじ。同時に睡眠も整っていき、毎日6~10時間はまとめて眠ってくれていた。こちらは生後1ヶ月の記録です。

完全に裏目に出た“夜間断乳”
そんな穏やかな生活が転機を迎えたのは、生後10ヶ月ごろ。
離乳食をぱくぱく食べるようになり、気づけば母乳は、ただの精神安定剤になりつつあった。昼の授乳がなくなり、午前中と夜眠る前に1回ずつ。でも、なぜか夜中に3回くらい起きる……。そのころすでにバリバリ仕事をしていたので、夜ベッドにいられる時間が5~6時間しかないのに、その間に3回起きられるとさすがにつらい。でも、おっぱいを飲めばすぐに寝たから、我慢して半目で授乳していた。

そんな生活が2ヶ月ほど続いた、2月のある日。お互いに仕事が峠を迎えていた夫と、ささいなことでケンカをした。普段ケンカなんてしないので、よくよく理由を考えると、あきらかに二人とも睡眠不足である。これはまずい。それで、夜間断乳に踏み切った。

夜間断乳とはその名のとおり、夜間の授乳を断つこと。夜中に泣いて起きるのは、泣いたらおっぱいがもらえると思っているだけで、別にお腹がすいているわけではない。だから、泣いてもおっぱいがもらえないことを覚えさせれば、朝までぐっすり眠るようになる、という説だ。最初の3日は、ギャン泣きする子どもとの勝負。でもそれを乗り越えれば嘘のように眠ることが多いと、ネットなどには書かれていた。じゃあ最初の3日は捨てて、4日目以降の安眠を取ろう。峠を迎えている仕事も、そこから巻き返せば間に合う。……という計算だった。我が子はすべてにおいて扱いやすかったので、みんなが3日くらいで落ち着くなら絶対いけるやろ、なんて甘い考えもあった。

結果は惨敗。息子は、断乳した夜から1週間泣き続けた。30分おきにぐずぐず言ったり、明け方に2時間ギャン泣きしたり。これまでそんな経験がまったくなかったので、夫婦ともに相当ダメージを受けた。仕事がやばいから一か八かで踏み切ったのに、完全に裏目。正直、このころはいつ眠っていたのか、どうやって気力を保ったのか、あまり記憶が定かでない(「走るひと4」の取材・執筆期間でした)。
少しずつ落ち着きを見せ始めたのは、断乳10日後くらい。1、2回ほど目覚めても、お茶を飲んだりトントンすれば眠るようになった。また、まとまって眠れる日々が戻ってきた。

なめらかな息子の卒乳と、切なすぎる私の卒乳
そんな夜間断乳のおかげで、そこから卒乳はめちゃくちゃスムーズだった。朝晩1回ずつ残っていたのが、保育園に行き始めたおかげで自然と夜のみに。すでに本人はあまりおっぱいに興味を示さなくなっていて、こちらが出さなければ飲まない。6ヶ月くらいのころなんて、お風呂場で目の前におっぱいがあったら「あ、おっぱいだ」とくわえてきたくせに。いまはもう「100年前から飲んでませんけど?」みたいな顔をしている。
なので、終盤はもう私のおっぱいメンテナンスのために飲ませている状態。それが2日に一度になり、3日に一度になり……気づけばまったく飲んでいないという、1歳1ヶ月の“流れ卒乳”だった。「今日が最後!」みたいな卒業式がなかったので、卒乳したら飲もうと思って取ってあったシャンパンも、開けるタイミングを見失っている。

卒乳って、もっともっとエネルギーを使うと思っていた。だって、わたしは自分の卒乳のことを覚えている。何日も前から「おっぱいに顔が出たらおしまいだよ」と言い聞かされて、本当に顔が出た日の夜。母親と同じベッドに入って「おっぱい飲みたい、おっぱい飲みたい」と、小声で繰り返しながら寝た。飲みたいけど飲めない、我慢しなくちゃいけないつらさが体の中をぐるぐるしていて、落ち着く体勢を探せず、ベッドの下のほうに潜り込んで、膝を抱えた。ものすごくよく覚えているその感触が、私の人生最初の記憶だ。
ちなみにその翌朝、わたしは母親に「なんで顔が出たらおっぱいだめなの?」「もう一回、顔見せて」と言ったらしい。自分なりにひと晩考えた結果、たどりついた質問だったんだろう。そのあたりのことは一切覚えていない。

だから、息子の卒乳にも何かしらドラマがあるもんだと思っていたけれど、現実はあっさり過ぎていった。母の立場としては、らくちんでよかったかも。私は3歳までおっぱいを飲み、さらにアトピーで乳製品がNGだったため、産後3年間も母親から乳製品を奪い続けた。ごめんなさい。おかげでいまのわたしがありますね。

ひとまず私の「おっぱい」は一段落。しばらくはまた「バスト」か「胸」として、自分の時間を過ごそうと思う。なのでみなさん、飲みに行きましょう。

Photo: 6ヶ月のころ、自宅で夫に撮ってもらった授乳タイム

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