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短編:【まかないの味】

僕がその日本料理屋の厨房をアルバイトに選んだのは、素直にまかないが食べられることで食費が助かるためだった。大学進学と共に東京へ出て来たものの、思い描いていた学生生活ではなかったことは明らか。大学二年の春になると一連のウィルス騒動はひと段落し、やっと本格的な対面授業が再開された。再開と言われても1年の間、正直数える程しか教室にいることはなかった。上京した頃はどんなバイトを選んだら良いのかわからなく、少なくとも生きて行くための食費を捻出すると共に、和食が食べられる、ただその一心でこの日本料理屋を選んだことになる。

それまであまり同じ学生との交流ができなかったが、登校と共にやっと学生らしい…や、世間が思うような学生という生活形式になって来た。その時はじめて気が付くこととなる。
「なんだよお前、飲食のバイトしてるの!?」
いまどきの同年代は飲食では働かないということ。たまに見かけるチェーン店を覗けば、やはり飲食店では外国人が多く働いている業種。別段、賃金が安いからではなく、俗にワンオペと言われる接客と料理作りを同時にという点が面倒くさい印象があるそうで。笑止覚悟で正直に答えていた。
「いいんだよ。まかないで日本食が食べられるから!」

僕が働く日本料理屋は、ホール担当と厨房担当が別れており、厨房にも板前さんが2名、バイトが僕も含め2名だった。板長である板前さんが煮物、焼き物など料理全般を作り盛り付けをする。もうひとりの板さんが、お刺身やしゃぶしゃぶなどの肉類も準備する。もうひとりのアルバイトは、ここでは先輩になるのだが僕と同じ年だった。彼は僕より半年前からここで働いていたらしい。彼は主に天ぷらを揚げたり、お通しの準備、サラダを盛ると共に、洗い物をしていた。かく言う僕も、サラダの準備と洗い物を担当していた。
確かに厨房は立ちっぱなしの仕事で、強いて言えば食事の匂いが体に付くことが気にはなったが、それを凌駕する喜びが、まかないにはあった。

「おし!先にまかない食べちゃおう!」
板長が声をかける。客の流れを考えながら下準備が終わった夕食前に、4人一緒にまかないを食べる。もっと言えば、ホールで働くパートさん、バイトの女の子も、ここの厨房でまかないを用意し出している。刺し身や煮魚、天ぷらや、もちろんカレーやチャーハンなんて時もある。アラ煮やアラの味噌汁なども絶品である。前日やランチで残った材料をベースに、厨房の板さん達がメニューを決めていた。
「そうだ!あれ出しちゃうか!」
板長が大きな業務用冷蔵庫から出したのは、ウニが入った薄い木箱で5箱。カウンター越しのパート女性に3箱渡しながら
「これホールみんなで!」
残った2箱は厨房用である。
「これがさ今朝市場に行ったら、まあ叩き値だったんだよね!なんせ、ウニのトゲが入っちゃって、はねられた商品なんだけど。大丈夫大丈夫!味は何の遜色もないから!」
ガハハと笑いながら、ドンドンご飯を盛りながら準備をする。
「ちゃんと店長に話してあるから安心して食べて。あ、でもトゲがあったらちゃんと出すようにね!」
木箱半分を豪快にご飯の上に乗せる。確かに小さな黒いトゲのようなモノがあるようだが、こうやってちゃんと命を頂いていることに感謝する。もうひとりの板さんが、小皿に切り落としの刺し身を人数分盛り付けて出してくれる。これがあるから辞められない。

ある日の営業終わり、バイトの先輩と並んで食器を洗っていた時のことだった。
「いま大学…」
「あ、僕ですか?二年です」
「良かったよね、普通の日常が戻って来て」
「そうですね」
「実はこの店も、いっとき閉めるかどうかという話があったんだよね」
「そんなことがあったんですね。まあ飲食業界全体そうでしたもんね」
「頑張ったんだよね、店長と板長たちが」
ランチのテイクアウトや、座席を大幅に減らすなどをして乗り切ったそうだ。本格再開を前に出ていたアルバイト募集で僕が来たらしい。
「天ぷら…」
「はい?」
「や、店長から、天ぷら覚えるか?って聞かれた?」
「え、何ですか?それ」
「俺ね、専門学校生なんだわ、調理系の」
「あ、そうだったんですね!だから飲食でバイトを…」
「で、来年春で卒業するんだけど、ここの社員になる準備はあるかと聞かれたわけ」
「なるほど」
「でね。アルバイトの線引として、サラダとか簡単な小鉢料理の盛りつけと、皿洗いが中心でしょ?」
「そうですね。忙しい時たまに手伝う、しゃぶしゃぶ肉の盛り付けとかは好きですけどね…」
「俺、天ぷら揚げているでしょ?」
「確かに」
「社員になると決めたら、教えてもらえるのよ、天ぷら」
「そうだったんですね!」
はじめて聞いた。みんな黙々と仕事をし、同じまかないを頂いていながら、そんな違いがあったなんて。
「で、聞かれた?天ぷら」
「あ〜いや、僕は…」

ガシャン!と後ろで大きな音がする。床に包丁が落ちた金属音。
「大丈夫かい!?」
「大丈夫大丈夫!いや〜ミスった!」
刺し身担当の板さんが手にタオルをぐるぐる巻きにしている。真っ赤なタオルを。
「救急車!」
「いや、大丈夫です!この状態でタクシー乗って、そこの病院行きますから!」
毎日営業後に行っている調理機器やまな板の消毒と、切れ味が要の刺身包丁を研ぐルーティーン。その砥石でうっかり指を切ってしまったらしい。
「消毒あとやっておくから、急いで病院行って!」
「スミマセン!いや〜うっかりした〜」
板さんは笑いながら、手をまっすぐ上に持ち上げ、止血をしながら厨房を出て行った。板長は引きつった笑顔で指示をした。
「ゴメン!仕事増えちゃったけど、この辺もちょっとキレイにしてから帰って…」
「もちろんです!」
先輩は素早く包丁を片付け、全体に水を流す。いつも通りまな板に消毒をかける。台布巾をキッチリしぼり、ひろげてそれらの上に広げる。また消毒液をかける。

ちょうど全部終わった頃に、店長が厨房に顔を出した。
「いまさっき電話があって、病院ですぐに見てもらえて、大事には至らないから、明日はいつも通り出勤するって…」
「良かったね〜」
あとで本人に聞いた話だが、救急車を呼んでしまうと野次馬が集まり、お店の印象や有る事無い事揶揄されるから、自分で病院へ行ったそうだ。一切、痛いなんて言わず「ヘタこいた〜」と苦笑いしていた姿は尊敬に値した。

しばらくして、僕にも「天ぷら」の声がかかった。しかし僕にはまだ二年学生生活があること。また板さん達のように飲食業で生計をたてる覚悟がいまの僕にあるのかわからなかったので、保留とさせて頂いた。あの夜の、腕を上にあげて苦笑いする板さんの、痛々しさに日和ったワケではないと思いたい。

誰が言ったか知らないが「飲食のバイトは面倒だからと選ばない」という選択は、少なくとも僕の中にはなかったんだ。変わらず美味しいまかないと、明るい皆さんのおかげで、素晴らしい社会勉強をさせて頂いている。

     「つづく」 作:スエナガ

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