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短編:【ユメのない夢】

病院の診察室。白衣男性の前に座る若い女性が語る。
「ちょっと信じて頂けないかと思いますが…」
カルテにはスズキユミコ 27歳とある。
「夢を見るんです。あの夜寝た時に見る…」
「眠りが浅いんですかね…」
「あ、いえ…夢を見ることは良しとして…」
何か言いにくそうに戸惑っている。
「どうぞ気になることをお話し下さい」
「はい…その夢が…その…」
先生は親身に静かに次の言葉を待っている。

「すべてですね…その…ミュージカルなんです…」
言い終わると静寂が流れる。

女性はとんでもないことを言ったように赤面し、下を向いている。
「…なるほど…」
笑われると覚悟をしていた女性は顔を上げ、医師の表情を確認する。笑ってはいない。

「それはいつ頃からですか?」
「え、あ…高校生の頃からだと思うのですが。ここ2〜3年、頻繁なので気になるように…」
「なるほど」
男性医師は細かくカルテにメモをする。

「何か心あたりは?」
「心当たり…」
「例えば幼少期に児童劇団に在籍した、とか、映画や舞台が好きで頻繁にそのような作品を鑑賞している、とか」
「正直特には…別にそういった経験はありませんし、それほど好きということもないです…」
「なるほど…」

カルテには思いあたる節はないという趣旨を書いているのだろうか。
「見る夢は、既存のミュージカルですか?」
「既存?」
「世界的に有名な、誰もが一度は耳にしたことのある楽曲だとか…」
「いえ初めて聞く曲で踊りも心あたりは…」
「オリジナルですね」
「はい…あ、でも目を覚ますとすべて忘れてしまうんです。ストーリーもメロディも…喜劇だったのかラブロマンスなのか…」
「目覚めると覚えていない…」
「唄って踊って、何か感動して笑ったり、泣いたりしているようですが記憶にない」
「なるほど記憶に残らない」

ふざけている訳ではないのは確かなのだが、なんとも不思議な会話をしている。しかし医師は真顔で答えている。

医師は体ごと女性に向かい、ゆっくり語る。
「カゲキム…ですかね」
「カゲキム?」
聞いたことのないフレーズに面食らう。
「歌に劇場の劇のユメで、歌劇夢です」
「歌劇夢…」
「ミュージカル・ドリームとか、オペラ・シンドロームなどと呼ばれることもあるようです…」
「え、それは良くある症状なんでしょうか?」
「いえ、私は初めてお会いする症例ですが」
カルテに向かい何やら書きながら続ける。
「それによって、今のところ何か困ることはありますか?」
ひとつずつ結び目を解くように声をかける。
「それが良くわからないのですが、ドキドキすると言うか、夢か現実かの境が曖昧になってしまい…」
「具体的には?」
「夢の中でミュージカルが始まると突然唄ったり踊ったり、周りの人達も加わるんです。それが、現実社会でも起きるような気がしてしまうんです。それが怖くて…」

「つまりはフラッシュ・モブみたいな」
「あ、そうです!街中の人々が私を見ていて、キュー出しを待っているような…人々の視線に恐怖を覚えたり、ストーカーではないですけど誰かがついて来るような」
「…なるほど…強迫観念がある、と」
女性は軽く震えながら頷いた。
「実際、実社会でミュージカルのようなことが起きたら、違和感があるとは思うんですが、夢と現実の境界線がボヤけると…」
「これは夢だ、これは現実だと確認する術がないので混乱するんです…」

「わかりました症例を確認して見ましょう…とりあえず睡眠導入のお薬を出して様子を見てみましょう、深い眠りで夢を回避出来るかも知れませんので…」

一週間の時が過ぎる。

「どうですかスズキさん」
「眠りの深さとは関係なく、歌劇夢は続いているようです…」
指先でコメカミを軽く押さえながら答える。
「なるほど、そうですか…」
カルテの後ろに様々なところから抜粋された書類を見ながら語り出す。
「先日は先生も出て来たので、さらに夢と現実の境がわからなくなりました…」

「スズキさん、ご結婚は?」
「いえ…まだ…」
数枚の資料を見ながら話す。
「結婚願望はありますか?」
「まあ年齢も年齢ですから、それなりに…」
「なるほど、歌劇夢の症例で多いのは、二十代後半から四十歳代の女性が大半…」
何やら論文などをまとめたデータのようだ。
「夢はありますか?あのこうなりたいとかそっちの…」
「夢…ですか?特には…」
「お仕事は何を?」
「経理です、中規模な会社で主に裏方です」
「なるほど、ストレスはありますか?」
「時にはありますが…ただ人と接することが少ないので寂しさはあるかも知れません…」

「夢のない現実よりも、夢らしい夢の時間、そこに憧れはありませんか?」
「…ある…かも知れません…」
「現実に夢が持てない場合、せめて夢の世界だけでもシアワセを感じたい…どうも、これまでの症例からもそう現れているようなんです」
「…なるほど…。あ、先生の口グセがうつったみたいです…」
思わずふたりで笑ってしまう。

「現実社会に夢を持って、前向きに生きられたら…」
女性の目を見て話す。
「もしかしたら改善されるのではないでしょうか…」
「…あの参考までに…」
「なんでしょう」
「一週間、ずっと考えていたのですが…」
最初同様に口ごもる。
「何でも言って下さい」

「…先生は…独身ですか?」
「…残念ながら、結婚しています…」
「なるほど。モヤモヤしたことが一つずつわかると、なんだかスッキリしますね、前向きに前向きに!」
「そうですね」…

その後、彼女がここに訪れることはなかった…

     「つづく」 作:スエナガ

ユメのある現実の風景。

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