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あらゆることがタワゴトだらけ / 「ホワイト・ノイズ」

It's important to write against power, corporations, the state, and the whole system of consumption and of debilitating entertainments... I think writers, by nature, must oppose things, oppose whatever power tries to impose on us.
(権力、企業、国家、消費とか人をダメにするエンターテイメントの制度全体、そういったものに逆らって書くことが重要なんだ。僕が思うに物書きは本来、物事に反対しなきゃいけないし、権力が僕らに負わせようとしてくるあらゆることに反対しなきゃならないんだ)

Don DeLillo

ベトナム戦争以降のアメリカを代表する作家のひとり、ドン・デリーロは1985年に「ホワイト・ノイズ」で全米図書賞を受賞した。死の恐怖に怯える”ヒトラー学”の第一人者、ジャック・グラッドニー教授が、近所で起きた有毒物質の流出事故に巻き込まれ、妻が服用する謎の薬を追ってドラッグディーラーに会いに行くーー、という、あらすじだけを書くとヤク中の日記でしかないのだが、この作品は”現代人”の抱えている奇妙な執着あるいは強迫観念(obsession)をあからさまに風刺した。学問の世界から宗教、国家権力に至るまで、あらゆる分野にまたがるタワゴトすなわちノイズを寓話として描写してみせた力作だ。
しかし、こういうことは文章を通した表現によって読者が納得する類のもので、どうしても映像の中のセリフになってしまうと伝わりにくい。2022年からNetflixで配信されている映画「ホワイト・ノイズ」はアダム・ドライバーの快演も手伝ってそれなりに楽しめる作品になっている。ただ、デリーロの趣旨は伝わりにくいのかもしれない。
劇中で有毒物質をめぐって住民が混乱するシーンが繰り広げられるが、これはそっくりそのまま新型コロナウイルスの騒動を予言していたと言えるだろう。こうした目に見えないものへの恐怖という何度も繰り返されてきたことが21世紀でも起きてしまう原因は、多くの人たちの脳の中が相変わらずノイズで満たされているからだ。スターバックは1人しかいないのだ。
デリーロはこれを国家やラジオといった装置が我々に負わせてきたものだという風刺をするが、僕も全く同意見だ。また同時にデリーロは、学者や聖職者もノイズだらけの人間に過ぎないと描写した。つまり、意味が通じるように感じる会話であれ、論文や説教であれ、それらがタワゴトでないと言える根拠は何か、ということだ。これはかなり本質を突いている。
あらゆる物語は、始まった時から deathward ”死に向かう”とデリーロは書く。死に怯えるジャックとその妻の描写を通して、ハイデガーの Sein zum Tode (死への存在)という言葉が思い出される。ところが、こうした死を常に前にしておきながら、人びとは消費社会のなかで何かに執着し、脳をノイズで埋めている。では、何によってこのホワイトノイズから脱することができるのか。もちろん解答なんて書かれていない。だいたい、解答の存在する問いなんて大したものではない。
冒頭に掲げたデリーロの話は2005年のインタビューのものだ。こうした姿勢の作家が最も作家らしい。そういう意味で、この列島に”作家”なんていないのだ。

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