#11 大変だった、と思っていいのだ
幸せな時間、嬉しい時間と
大変だった時間は、両立しないのだろうか。
先週末、15年来の親友の結婚式に
日帰りで東京へ行ってきた。
それはそれは
とても素敵な愛溢れる時間で
まさに「幸せ」という体験だった。
終電近くの新幹線で京都に戻ってきて、
最寄のJRの駅から家までタクシーに乗った。
話しかけてくれるタイプのおっちゃん。
「今日は、おやすみ?」
「はい。親友の結婚式で東京まで行ってて」
「それは大変やったねえ」
「いえ、とても素敵な時間で本当に行って良かったです」
心の中に残った小さな違和感。
「いえ」と言った私は
今、何を否定したのだろう。
大変じゃなかった?
・・・訳じゃないなあ。
前日までサプライズプレゼントを
想いを込めてつくって
朝から初めての美容室で
美容師さんと息が合わずに時間がかかって
急いで東京に向かった。
「はなむけの言葉」という
スピーチはとても緊張したし
(泣きすぎてうまく言えなかった)
久しぶりにお会いする方のオーラに
すこしビビった。
そう、確かに大変だった。
でも、その大変さとは全く別に、
「今までで最高と呼べる幸せな時間を過ごした」
ということだ。
「いえ」と否定した私は、
素敵なことの中の
大変だった、嫌だったと感じることを
「無し」にしたのかもしれないと思った。
その逆も、ありそうだなあ。
良くなかったことの中に
素敵なことを見つけようとしない
こともあると思う。
両方とも、そう感じた
私の一部を否定しているから、
たぶん”不自然”だ。
知らず知らずのうちに
”不自然”を溜めていたら、
いつかはしんどくなるよなあ。
こんなことを考えていたら、
タクシーは家の前に着いた。
降りるとき、おっちゃんが
「お疲れさん〜!」
と言ってくれた。
泣きそうなくらい
あたたかい気持ちになった。
素敵なことのどこかに、
大変なことがあっていい。
それを感じたときに
誰かに認めてもらえることで
まるっと大事にできるのだ。
photo by 写ルンです│
瓶詰めから溢れるオレンジや赤、茶色の光に、生命を感じる。とても綺麗だった。奈良の「くるみの木」にて。
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