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百冊で耕す┊︎読書という行為

なぜ本だけは読めたのだろう。ときどき考える。いまも分からない。たが、ひとつだけたしかなことはある。本が〈薄味〉だからだ。押しつけないからだ。
自分が入れる範囲までしか、自分の心に入って来ない。ひとたび入れようとするなら、どこまでも入ってくる。

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自分一人で抱えきれないものを受け止めようと必死だったわたしにとって、自分が入れる範囲でしか入って来ない本という存在はどれほど救いだっただろう。
くだらなく、つまらなく、苦しく、逃げ出したくなるような、重たい現実の中。
夢中にさせてくれたのは、教室での孤独を許してくれたのは本だった。

屈服してしまいそうだったのに、本心を忘れてしまわないように、押し殺すことが完璧にならないように、本がわたしを揺さぶって、守り、支えてくれた。

そんな本を読むという行為が、高校でのある出会いをきっかけにガラリと変えた。
親友とも呼べる彼女は、探究心が強く、気になったことはすぐ調べ、本をよく読み、興味を持ったことは深く知識を得て自分の糧とする人だ。

この人と対等に話せる自分でいたい。
そう思ってお気に入りのラノベを何周も読んでいたわたしは、いろんな本に触れていくこととなった。

中学生の頃は孤独から自分を守るための読書だった。
高校生からの読書は、孤独と向き合う読書となったような気がする。

今はまた違うベクトルで本を読んでいるけれど、それがどういった読書なのか、言語化できずにいる。
きっと、またステージが移った時に何を得ていたのか、分かるんじゃないかな。
でもとても楽しんで読んでいる。

読みやすい本、自分の読めそうな範囲でしか読んでいなかったけれど、まずは興味ある分野や書籍に手を伸ばしてみよう、と決心した一冊でした。
考古学、世界史、源氏物語、太宰治……。
これらは興味がありつつ、しばらく放置していた。

実現に向け、新潮文庫の人間失格を購入。
読みたい本がありすぎて、人生たんないなぁ。

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