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人の嫌な部分に目がいきがちな時、自己評価が下がっているかもしれない

友達の嫌なところばかりが目について、「あ~小さいこと気にしているな、自己の器がパンパンだな」と自分にガッカリするここ数日。
人の嫌なところが目についてしまうのは、自己評価が低くなっているからなのだそう。
人間が安心できるお付き合いには「対等」がポイントで、自己評価が低い時、自分と相手を対等にするために、相手の悪いところを探す機能が、心にはあるらしい。

こうやって自尊心を補い、心を守ろうとしているのだな。
と理解して受け止める。
自分を責めるのではなく、労わるほうへ思考をシフトチェンジさせていきたい。

無価値感

確かに心の奥底、無意識に近い場所で、その友人といるときに無価値感を抱いているような気がする。
そして無価値感を生み出すのは、対人関係で出やすい自分の癖。
この癖は幼少期に親との関わりで培ったもので、個人がそれぞれに持っている原始的なシステムだと言える。

原始的システム

わたしの原始的システムは、人に合わせて自分を犠牲にすること。
両親が精神的に不安定な人たちだったので、幼い子供としては親の要求に絶対的に適応する必要があった。
・自分の居場所が欲しい
・人に必要とされたい
・見捨てられないようにしなければならない
生きていくうえでこんな不安と痛みがあって、それを解消するために、わたしは自己犠牲を選んだ。
これは全ての人間関係、そして自身の言動全てに反映される。

原始的システムに則った生き方で苦しい思いをしている人はたくさんいると思う。
わたしもその一人。
どんなにこの生き方で苦しんでも不安が増す一方だった。
生き方を選び直す必要があった。
原始的システムが反応しているとき、まずそれを自覚し、心や傷が痛みを感じているんだと受容したうえでどうしたいのかを見つけていく。
この道のりは死を考えるほど苦しいけれど、コーチや親友、本から学び支えられてかなり進めることができた。

ただ、今悩んでいる友達との間では生き直しが適用できていなかった。

ストレス状態のとき、習慣に頼っている

人はストレスを抱えている時ほど、習慣に頼ろうとするそうだ。
その友人とはずっと合わないな、と感じていた。
友達のことはとても好きなのだけれど、かなりテンションに差があるので疲れてしまうことがしばしば(笑)
合わないと思っている人間と関わるには、ある程度のストレスを請け負わなければならない。
好きだから、とか何かしらの理由でストレスを打ち消そうとして、でもなくなるわけじゃないから習慣である原始的システムが作動する。
その結果、不本意な現実が立ち現れてしまう。

原始的システムや、思考の癖を理解して、この習慣を今現在の自分に合うようにアップデートしていく必要があると思っている。
ストレス状態の時に頼る習慣を質のいいもの(自分に合うもの)に変化させることができれば、きっと生きやすくなる。

不本意な現実

相手に合わせるばかりで我慢してしまっている自分と、楽しそうにしている友達。
わたしの立場から見ると、人の我慢の上で楽しそうに喜んでいる人間、という映り方をしていて、わたしの無価値感を誘う。
本人はそんなふうに思っていないのは意識としては分かっているんだけど、わたしの中の一方的な妄想と偏見は健在で、意識を覆すほど強く影響してくる。
これを自認するのが難しくて、無意識のうちに自分の評価を下げて相手の嫌なところ探しが始まる。

こういったものは、手放すのに根気がいるし、簡単なことではない。
手放せずに死んでゆく人もたくさんいる。
でも、苦しさを耐えようとしなくていい。
本当は、そんなふうに頑張らなくてもいい。

がんばっているわたしと、あなたにこんな言葉を贈りたい。
『人の精神そのものは傷つくようにできている。だから傷ついてしまう自分を嫌になんて、ならくていいからね』
『他人を気にしなくなるほど強くなってしまう、とは繊細さも機敏も失うということ。そんな風に強くなる必要はないと思う。』

もちぎさんの本に書かれている言葉💝


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