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このまちの大人図鑑 Vol.4 ◀こだわりと伝統、お互いさまの心で、人をつなぐ▶

「神酒造」 神孝輔さん

こんにちは、高尾野中学校ボランティアクラブ「×α」(プラスアルファ)です。

「このまちの大人図鑑」の活動として、今回は「神酒造」6代目神孝輔(かみ  こうすけ)さんにインタビューさせていただきました!

1872年(明治5年)創業。この町の歴史とともにありつづける「神酒造
明治からの伝統の製法にこだわり、人の手で作りあげる焼酎は、この町にたくさんの笑顔をつなげます。

◀仕事のこと▶

質問…とても古い建物が目に入ったのですが、ここはどれくらい前にできたのですか。

高尾野の町のランドマーク

回答…ここは、いまから150年ほど前、1872年(明治5年)に始まったんです。建物で一番古いのは甕の貯蔵庫で明治45年につくられたものが残っています。ほかにも煉瓦の煙突だったり、石造りの塀は大正時代からのものですね。

質問そんな昔から、この町にあるんですね。ちなみに、その150年の伝統をどのように受け止めていらっしゃいますか。

回答…そうですね。世の中ってすごく変わっていくスピードが速いんですよね。150年ずっとやってきてるんだという思いというのをあまりにも今に持ちすぎると、いろんなことに挑戦できなくってしまうと思うんです。世の中にのニーズにマッチしなくしなかったりとか・・・
最低限自分が守るところは大切にしながら、たとえばここならではの仕込みの方法とか古い建物や甕などは大切に引き継いでいきながら、商品開発では、好きなことに挑戦していきたいなって思ってます

質問焼酎ってどうやって作るんですか。

回答…焼酎の作り方ですね。作り方としては、一次仕込み二次仕込み蒸留の3つの工程があるんです。わかりやすく言うとみなさんよく食べるお米を蒸して、種麹という菌をつけます。そして約35時間ぐらいおいて麹というのができあがります。そこに水と酵母を入れて6日間寝かせます。これを1次仕込みいいます。次は2次仕込み、そこに洗って蒸し粉砕した芋を入れて8日間置きます。そして最後に、蒸留です。それらを沸騰させ気体にします。その気体を大気中に逃さずに液体にするんです。そうすることによって焼酎ができあがります。おおよそ工程としては2週間ほどかかります。でも出来たては荒々しいんです。だから半年ぐらい甕で寝かせ、ブレンドしたりして商品として出荷していきます。

質問始まった当時のお話を聞かせてもらってもいいですか。

創業当時の様子

回答…創業当時のことですね。当時は鹿児島県でも3000件ぐらい焼酎をつくっているところがあって、明治の初期に酒税法というのがでたのをきっかけに、まとめられていっていったんです。現在は113軒あるんですね。ここでも芋焼酎を中心にしながら当時は米焼酎もつくっていたんですよ。

質問今の仕事のやりがいを教えてください。

回答…普通のお米と芋とに、この目に見えない微生物で焼酎が出来るんです。そこに凄く不思議な感じがするんですね。そして出来上がった焼酎は少量飲めば健康にも良いものだし、多くの人に焼酎を飲んでもらって、喜んでもらい愉快な気持ちになってもらえるといいなって思っています。

質問お酒造りに対して大切にしていることは何ですか。

回答…焼酎を作る段階で気をつけているのは、目に見えない雑菌が蔵の中に入らないようにするとか、夏場の暑い時期では、温度管理に気をつけるなど品質管理ってとても大切ですね。でも、やっぱりが作っているんですよ。気持ちよく焼酎を作れる環境ってとてもても大切で、ここで働く人たちを大切にしていきたいなって思っています。

質問作る過程で神酒造ならではのこだわりってありますか。

回答…そうですね。私どもの一番の特徴は、やはり甕で仕込んでいるということです。150年前からずっと使い続けている甕で仕込みを行っているんです。その甕の表面は一見つるつるしているんですけれど、顕微鏡で見ると、気泡という穴が開いてて、実はそこには当時からの麹が微生物として住んででいるんですよ。それが伝統的な、ここならではの味わいと香りを醸し出しているというふうに言われるので、その甕仕込みを大事にしていきたいと思います。

質問何種類の銘柄を作られているんですか。

回答…現在、約30種類ぐらいの焼酎を作ってます。芋の違いとか、米の種類の違い、それから種麹菌や酵母の違い、あと貯蔵の違いですね。

質問代表銘柄は「千鶴」って言うんですね。ちなみに何で「千鶴」って名前つけたんですか。

代表銘柄は「千鶴」

回答…もともとは昭和30年代までは「千鶴」という銘柄じゃなかったんです。当時は神焼酎という名前でした。そのうち、いろいろな名前の焼酎がでてきて、出水は鶴の渡来地ということで、鶴にちなんでつけました。当時は1000羽来ていなかったんです。そこで1000羽来るようにという思いで「千鶴」という名前がつきました。

現在は一万羽をこえる鶴が、毎年飛来しています。

質問この仕事を始めてから「やめたい」と思ったことは何ですか。

回答…「仕事が大変だな」とかは思ったことはありますが、やめたいと思ったことはないです。

質問…この仕事をしている上で、忘れられない出来事ってありますか。

回答…忘れられないというと…。平成11年の9月にですね台風18号というのが来て、皆さん、当然生まれる前だったんですけど、その時にこの通りの電信柱も全部倒れて一帯が停電になったんですね。そしてときの蔵が古い建物だったんですけれど、その屋根も飛んでしまったんです。当然9月なので、仕込みもやっているのときで、もろみも全部だめになったんです。非常に大きな被害で、そのときというのはその焼酎自体、業界自体もあまりよくなくて・・・もう本当にやっていけるのかどうなのかなという状況になって、いろんなサポートもあってそれからしばらくして焼酎ブームというのが来て、それで何とかこう息を吹き返したという経験があるんです。

平成11年9月 台風18号の時の様子 出水市のHPより

質問酒造りに対するこれからの夢や希望、この仕事の最終的な目標はなんですか。

回答…これからはやはりお酒を飲む方っていうのが日本の人口も減っていきますし、若い人を中心にお酒もなかなか飲まない方が増えていってるんですけど、そんな人たちも買いたくなるような商品作りができらたって思います。また、私達は焼酎造りを始めて151年目になります。株式会社としての組織になってからは71年になります。代々続いてきた焼酎づくりの伝統を、しっかりとバトンタッチすることが最終的な目標なのかなって気がします。

◀このまちについて▶

質問神さんから見た高尾野の魅力はどんなところですか。

回答…出水市自体はものすごく魅力的だと思います。例えば交通の便はとても恵まれていると思います。新幹線が通っていたり、鹿児島空港まで行く高速や熊本から鹿児島までつながる高速もこれからできてきますね。また自然が豊かで、食べるものも美味しく、今どんどん新しい家も建ってますね。魅力があるからこそ増えているのだと思います。住心地が良かったり生活環境が整っていて治安、安全面や横の繋がりなどが、しっかりしているのが出水・高尾野の魅力なんじゃないですかね。

質問高尾野の一番好きな所はどこですか。

回答…高尾野は、皆さん住みやすいと言われますね。自分たちが小学校の時の先生や、又は大人になってからこっちに赴任された先生達方は、「色んな所あちこちまわってきたけど、出水・高尾野が一番住みやすい」というふうに言ってくださいます。それは、さっきとつながるとおもうんですけど。やはり人が優しかったりとか地域との連携が取れているとかそういうようなところが魅力なのかなと思います。ちょっとした買い物をするにもどこでもありますし、非常にそういう点では、落ち着くところだと思います。

質問この町に対する思い出はありますか。

回答…そうですね。創業当初からここでずっと焼酎をつくってますので、当時は地元の方がつくったお米と芋を中心にやってました。今でも地元農家の原料を使って焼酎をつくってますけれども、やはり地元の方に飲んでもらって、そして地元の人に支えてもらったという。そういう感謝の気持ちは常に持ってますね

◀学生時代について▶

質問小学生の頃のなりたい職業は何でしたか。

回答…小学校の時にプロレスラーになりたいって書いたんですね。で、中学校の時は相撲取りになりたいなって思ったんですよ。勉強とかよりも体を使う方が好きだったんですね。私は川内の学校に行ってました。しかも男ばっかりだったんですよ。だから、非常に大雑把というか(笑)そんな中で育っているので、体を動かす職業がいいなって思っていました。

質問中学生の頃のことを教えてください。

回答…中学1年の時、寮に住んでいたんです。個性的な先輩が多くて、あれはね・・・(苦笑)
今では先輩たちも優しいでしょう?時代も環境も違いますもんね(笑)
ただ、私立の川内中学校だったので、そこは県内の人を中心に、川内、串木野、指宿、出水と色んな人が集まって来ていて、早くから色んな人と交流出来たっていうか。それこそ中1の時の寮も含めて、そういう点ではすごく、勉強になったという気がします。そのことは良かったのかなという気がしますね。

質問中学生の頃、一番ハマっていたことは何ですか。

回答…僕は一年生の時に寮に入って、二年生の時から川内まで電車で通っていたんですね。だからというか、趣味とかなかったですね。ただ、本当に勉強に明け暮れていたという思いでですね。

質問では最近の趣味は何ですか。

回答ゴルフですかね。あと、youtubeをよく見ますね。テレビをほとんど見ないので。youtubeで昔のお笑いとか見ますね。ドリフとか、分かります? 分かる!? えぇ~、嬉しい!「ドリフ」とか、「俺たちひょうきん族」とか、昔の、古いのを…。自分が小学生の時とか流行ったのを見るのが好きですね。ちなみに、漫画は行け!稲中卓球部が好きですね(笑)

【最後に】

質問中学生へ一言お願いします。

回答…もう僕、50歳なんですけども、中学校時代っていうのは長く感じるかもしれないんですけど、数十年たってみればもう、あっという間だったなって…。多分皆さんも、色んな大人の方々と話をしていたら言われるかもしれないですね? でも、皆さんには、そんな事を言われてもピンと来なかったりとか、全然そんなふうに思わなかったりすると思うんですよ。そんな時代だからこそ、年長者の話を聞いたりとか、先輩方の意見をぜひ聞いてみるっていいと思うんです。そして、今を有意義に生活して欲しい・・・当然、勉強とか、体力も大切だけと、やはり今のように変化の激しい時代だからこそ、心も強くないと、これからの世の中ではやっていけないと思うんです。皆さんには知力も体力もだけど心を強くしてほしいなって思います。何というか「別に良い」っていうぐらいの、そういう強さっていうか、そういうものを持っていてくれたらいいなって思ってます。

◀まとめ▶

今回インタビューをして感じたことは「仕事を続けることの誇りと強さ」です。
仕事に限らず色々なことを続ける上で、躓いたり失敗したりすることは必ずあります。その中で、考え、試行錯誤をし、楽しさを見つけることで、神酒造さんは150年という長い歴史を築いてきたのだと思います。どんな状況でも折れない、そしてどんな状況でも柔軟に対応する強さを、私達も持ちたいと思いました。


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