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いま必要なのは、「できない」を楽しむこと【理想のひみつ道具#2】

こんにちは、Studio Topitaです!
私たちは理想郷を本気で「想像」「創造」するサークルと称し、毎月テーマを決めて語り合い、議事録をアップロードしています。
ぱっと聞いただけでは「?」かもしれませんので、どうぞ是非、自己紹介をご一読いただきたいです。
(常連さんは、いつもありがとうございます!)

Studio Topia 9月
第2回「いま必要なのは、「できない」を楽しむこと」

こんにちは。Studio Topiaです!

2022年9月は、「ドラえもん」のひみつ道具をきっかけに、技術の進歩によって実現されるものや、それのある世界が、果たして自分達の望んでいた社会なのだろうか、ということを考えてみました。
それは、生命倫理などのお話(例えば、人工知能が人間を超えるとして、単にヒトの能力を超えるだけでなく、一人ひとりの個人のクローンAIを作成してより効率化された個体を生み出すのが良いか/悪いか など)というよりも、かつて自分達がワクワクしていた「こんなことできたらいいなあ」という気持ちが、果たして今の技術革新や、さまざまな実現によって満たされているのか、ということを検証していくような作業です。

みなさんもぜひ、かつて未来にワクワクした気持ちを思い出しながら、今とこれからに思いを馳せるきっかけにしてみてください。

▼テーマ紹介記事

第1回:社会はひみつ道具を受け入れられるか?

第1回目では、ドラえもんのひみつ道具をもとに、ひみつ道具は、現代の技術ではどんなふうに実現可能か、あるいは実現可能ではないか、またそれが現れると、実際に社会はどう変化していくかを考えていきました。

▼ひみつ道具カタログ(テレビ朝日)

例えば、ドラえもんの中に出てくる、眠らなくても睡眠をとったことになる薬。一見すると、眠らなくても趣味や仕事を続けられるので良さそうですが、「眠り=娯楽」の時代が訪れ、ほんの少しでも眠ろうものなら、怠惰と見做される可能性があります。あるいは、その薬が非常に高価なら、時間を有効活用できる人と、そうでない人に大きな格差が開くことにもなりかねません。

また、ひみつ道具からは少し離れますが、自分の健康状態が全て瞬時にわかるスマートウォッチがあったとしたら。自分の情報が全てわかるようになれば、病気をすぐに検知したり、生活習慣を見直して予防できたりと便利そうですが、一方で、常に選択を迫られることにもなります。目の前のお菓子を食べるか食べないかも、これまで以上に自身の健康に及ぼすリスクを認識し選択しながら、食べる時代となっていきます。さらには、例えばそのスマートウォッチで自分が集中しているタイミングがわかるようになれば、自身をコントロールしやすくなって良いですが、先ほどと同じく、「集中できるのにしていない」人・タイミングも可視化されてしまいますので、スマートウォッチを積極的に使わない人は「怠惰」と言われてしまうかもしれません。

と、ここまで、誰もが一度は憧れたことがあるような空想をディストピア風に解釈し、批判してきました。
よく言われることでもありますが、問題は技術やものではなく、使う人・社会です。眠らなくても良くなったり、集中するタイミングがわかるようになること自体は非常に「便利」で「素敵」ですが、効率化を目指す社会においては、それが自分達を強制し、「不便」で「最悪」な状況を生み出すものとなり得ます。

会で出た意見としては、「いろんな問題はあるかもしれないが、ひとまず技術的に可能ならば、面白そう、楽しそう、使ってみたい」と、テクノロジーや秘密道具に前向きな姿勢が示されました。好奇心やチャレンジ精神のようなものは、とても大事だと思われます。倫理的にどうなんだ、という不安感が案外杞憂という可能性もあると再確認した部分もあります。
とはいえ、その好奇心だけでは、受け止めきれない部分もあるでしょう。

我々はかつて夢見た「ひみつ道具」たちを作り出せる時代にいますが、果たしてそれらを使いこなすだけの社会に生きているでしょうか。

第2回:未来に必要なのは「なんでもできる」ことか?

第2回では、その疑問を深掘りしていきました。
問いとして主に掲げたことは、「我々がひみつ道具に求めてきたロマンは『なんでもできる』ことなのか?」ということです。

ドラえもんのひみつ道具には夢がありますし、まさに『ドラえもんの歌』のごとく、「こんなこといいな できたらいいな」の延長線上に、ひみつ道具に憧れる気持ちを持つことになります。

しかし、今回ひみつ道具を振り返って話題になったのは、「ひみつ道具は案外万能ではない、なんでもできるわけではない」「しかし、だからこそ魅力があるのでは」ということです。

たとえば、会参加者のイチオシひみつ道具という「アドベン茶」は、「秘密道具カタログ」によると

このお茶を飲んで外に出ると、大ぼうけんができる。効き目はひと口につき、5分間。

ひみつ道具カタログ

と、「大ぼうけん」ができるのは、ひと口あたり5分間という、行動や時間の制限を設けてきます。そんな制限なんかに縛られずなんならずっと大冒険でいたい、と思うものの、「非日常は非日常ゆえに非日常」。つまり、その不便さや制限にこそ夢を感じる、夢があるということです。

また、ドラえもんのひみつ道具には、「どくさいスイッチ」や「バイバイン」など、読者にトラウマ級の切なさや怖さを与えてくるお話もあります。ここまで来ると少しメタ的で、お話の面白さにフォーカスが当たりますが、万能な道具が常に良い結果をもたらすわけでもない、ということも描かれているわけです。

テクノロジーの進化を追い求めることが良いこととは限らない、ということは、もはや現代では大常識ですが、とはいえやはり、夢のテクノロジーや何でもできることに憧れる気持ちがあることも確かです。しかし、かつて憧れてきたドラえもんの世界を振り返ると、案外限定的な部分もあったり、その中で工夫したり、冒険したり、遊んだりすることに魅力があるのも、また確かだと思われたのです。
つまり、「こんなこともできる!」「あんなこともできる!」と、望みをただ実現することが、私たちが子供の頃から思い描いてきた、理想の未来ではないはずなのです。

会では、ドラえもんは現実と空想の間を繋ぐ存在だ、という話もでました。ドラえもん自体が、現代(といってもお話的には昭和の時代ですが)に、22世紀の未来、空想的な世界からやってきたロボットですが、現実を作り替えてしまうのではなく、その場その場で現実と空想を繋いでくれる存在です。

我々はつい、テクノロジーで何が実現できるか、実現してはいけないか、それで社会はいかに変わるかに目を向けがちですが、「テクノロジーで実現できないまま残ること」「現実を作り替えるのではなく、空想的にとりいれること」に目を向けてみても良いのではないでしょうか。

そして、会で話されたのは、その際に必要なのは、ひみつ道具から学んで、「遊び心ではないか」ということでした。「お茶ひと口で5分間だけ大ぼうけんができる」「5分間、相合傘ができれば、右側の人が左側の人を好きになる」などという制限や条件は、ともすれば「無駄」と切り捨てられがちな「遊び心」、でも、ちょっと笑えますし、空想的でロマンがあります。そういう縛りや設定が子供っぽいというのはあるかもしれませんが、効率化や二元論を追い求める(あるいは白黒つけられないことに絶望する)現代にとって、ちょっとばかり無駄なことや、どちらともつかない中途半端な状態が必要なのだということになりました。

まとめ

今回は、藤子・F・不二雄さんの漫画、『ドラえもん』の「ひみつ道具」と、そのコンセプトが実現された事例をきっかけに、果たして「なんでもできるようになること」「空想をただ実現すること」が、私たちが望んできたことだったのだろうか、ということを改めて考え直しました。
会で出た結論としては、技術の進歩で可能になることは、面白さや楽しさの面からも、実現していくことはやぶさかではないが、それを受け止める社会の側のあり方も考える必要があるということ、とくに現代においては、効率化を追い求めるのではなく、「無駄」「制限」「遊びごころ」を大事にする心を持つ必要があり、そこに面白さが宿る場合もあるのではないかということでした。
前回の記事で紹介させていただいた「透明マント」は、遊び心をもった、もしかするとそういう存在かもしれません。もしいずれそれが社会に進出し、我々の生活を変えるとしたら、その時は考え直す必要があると思われます。
いずれにしても、技術とは作られ与えられるものではなく、使う側の認識によってその意味や在り方を変えるということを改めて認識した回となりました。

編集後記

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回は『ドラえもん』の「ひみつ道具」からヒントを得て、テクノロジーの進歩について改めて考えてみました。
はじめは、「なんで私たちはこんなにもひみつ道具にワクワクしてしまうんだろう」という好奇心的な疑問でしたが、考えるうちに、現代社会への批判的な部分も言語化ができるようになり、よかったです。

また、個人的には、新しい技術やモノに忌避感を感じやすく、イノベーター理論で言うと、レイトマジョリティか、ヘタをすると(?)ラガード中のラガードに分類される自覚があるのですが、「面白いならどんどん実現したらいいのでは!楽しそう!」という会参加者の皆さんの意見をきいて、「確かにそういう部分もあるかもしれないなあ…」と思えたのも新しい変化であり、よかった部分です。笑

空想は、どんなことであれ、未来を連れてきます。
それは、ひとつの空想が技術によって実現された後も同じことです。
いろんな技術を楽しみながらも、自分や社会の思い描いていた未来を思い出しながら、空想しつづけて生きていきたいと思います。(奈都)

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